2008.06.06
大内行灯
『新盆の提灯「プラの日」に出されエコ商品の輪廻を巡る』 禰子
昼休み、某結社誌の特集号締め切りに追われていたので、
買い物がてら一人公園でお弁当でも食べようとお店へ行く途中、
ショッキングな光景に出くわした。
で、思わず撮影。

そりゃ、問題はないんでしょうけど。
どうなんでしょうか。そんな風に捨てられる、
この提灯のはかない時間。
どういういきさつがあってのことか。
つい、考え込んでしまった。
ちょっとびっくりしたまま、小さな公園へ。
前のビルとマンションの間に空間発見。

お稲荷さんだった。
元お店屋さんっぽい町屋の前は、紫陽花でいっぱい。
小さなころ、額紫陽花が好きで、よくスケッチしたなぁ。
本日は、上町台地のお昼の民俗探訪 でした。
昼休み、某結社誌の特集号締め切りに追われていたので、
買い物がてら一人公園でお弁当でも食べようとお店へ行く途中、
ショッキングな光景に出くわした。
で、思わず撮影。

そりゃ、問題はないんでしょうけど。
どうなんでしょうか。そんな風に捨てられる、
この提灯のはかない時間。
どういういきさつがあってのことか。
つい、考え込んでしまった。
ちょっとびっくりしたまま、小さな公園へ。
前のビルとマンションの間に空間発見。

お稲荷さんだった。
元お店屋さんっぽい町屋の前は、紫陽花でいっぱい。
小さなころ、額紫陽花が好きで、よくスケッチしたなぁ。

本日は、上町台地のお昼の民俗探訪 でした。
2008.04.23
風に揺れる
『樟(くすのき)のさやとそよげば上町のビル風すこし自然送風』 禰子
駅を降りて10分の間に、お地蔵さまの祠が三つある。
ビルの合間にまだ残っているそれらや木々が、
その時々の人々の気持ちを受け止める装置として機能してきたことを思う。
なぜなら、わたしもまた、託したい何かを持ちながら、その横を過ぎているという
あまりにも当たり前のこと。
装置、とか機能、とか。
相対化した、自分の皮膚と繋がっていないものを語るような言葉ではなく、
そこに祈りがあるという、当たり前のこと。
駅を降りて10分の間に、お地蔵さまの祠が三つある。
ビルの合間にまだ残っているそれらや木々が、
その時々の人々の気持ちを受け止める装置として機能してきたことを思う。
なぜなら、わたしもまた、託したい何かを持ちながら、その横を過ぎているという
あまりにも当たり前のこと。
装置、とか機能、とか。
相対化した、自分の皮膚と繋がっていないものを語るような言葉ではなく、
そこに祈りがあるという、当たり前のこと。
2008.02.10
クモハ
『定期券を初めて買った春の日に国鉄「クモハ」もする民営化』 禰子
転職して、JRに一駅だけだけど乗るようになった。
高校生から結婚するまでの9年間はほぼ毎日乗った。
私の定期券デビューと同じ日からJRになったはず。
小さい頃は、たまに乗る電車の、
車両脇に書かれている「クモハ」が気になって気になって。
就学以前のカタカナの記憶といえば、
「クモハ」オンリーといっても過言ではない。
で、クモハって結局なんなんでしょう?
調べたらいいのか。
調べてみました。
ふーん、そうなのか。
インターネットは便利。
もうなかったころには戻れない。
・・・んだろうな、きっと。
転職して、JRに一駅だけだけど乗るようになった。
高校生から結婚するまでの9年間はほぼ毎日乗った。
私の定期券デビューと同じ日からJRになったはず。
小さい頃は、たまに乗る電車の、
車両脇に書かれている「クモハ」が気になって気になって。
就学以前のカタカナの記憶といえば、
「クモハ」オンリーといっても過言ではない。
で、クモハって結局なんなんでしょう?
調べたらいいのか。
調べてみました。
ふーん、そうなのか。
インターネットは便利。
もうなかったころには戻れない。
・・・んだろうな、きっと。
2008.01.31
車窓から 2
『「皮フ・性病・内科・婦人科」中黒(なかぐろ)で繋がれておりカナメ医院は』 禰子
毎朝、高架の上から見えるレトロな建物。
釜ヶ崎の南端あたり。
今も開院しているのかわからないけど、
圧倒的な存在感。
そういえば、南海高野線で、この駅だけ降りたことない。
車窓から 2007.8.3
毎朝、高架の上から見えるレトロな建物。
釜ヶ崎の南端あたり。
今も開院しているのかわからないけど、
圧倒的な存在感。
そういえば、南海高野線で、この駅だけ降りたことない。
車窓から 2007.8.3
2008.01.10
六万体 ろくまんたい
『「六万体」累々と目を見開いた地蔵が眠っているその上を』 禰子
新しい職場の最寄り駅に降り立つと、
不思議な交差点名がある。
「六万体」 ROKUMANTAI ろくまんたい
難波の方へ向かうくねりと曲がった下り坂を左に見ながら進む。
聖徳太子が戦勝のお礼に仏像を六万体つくったことに由来する・・・らしい。
そういう話を耳にすると、
六万体累々と屍が横たわっている光景を視てしまう。
素直に話を聞くというのはむずかしい(のか、わたくしには)・・・。
新しい職場の最寄り駅に降り立つと、
不思議な交差点名がある。
「六万体」 ROKUMANTAI ろくまんたい
難波の方へ向かうくねりと曲がった下り坂を左に見ながら進む。
聖徳太子が戦勝のお礼に仏像を六万体つくったことに由来する・・・らしい。
そういう話を耳にすると、
六万体累々と屍が横たわっている光景を視てしまう。
素直に話を聞くというのはむずかしい(のか、わたくしには)・・・。
2007.08.03
車窓から
『あいりん福祉労働センター 夕闇の底ひに灯りはじめるひかり』 禰子
夕方までかかった打合わせからとりあえず束の間開放されて、
西日にくるりと背を向け、急行からずっと窓の下を覗いていた。
もごもごと動いている影がたくさん。
昼間見るとダンボールの上であまり動かない人たちが、
スローながら あちこち動き回っている。
まわりを犬や猫たちがじゃれて、ゴミのつみあがった山の上に駆け上がっていく。
高架上の電車から見たその景色の、陰翳のきわだち方に、急に心臓が高鳴った。
隣の今宮戎では、こどもえびす をしていた。
雪を運んできて橇で滑ったり。モノを消費することに慣れた人たち。
次々に流れてゆく風景に、時空の中を駆け巡っているみたいになって、
昨日でも今日でも明日でもいいような、事務所へ戻った。
夕方までかかった打合わせからとりあえず束の間開放されて、
西日にくるりと背を向け、急行からずっと窓の下を覗いていた。
もごもごと動いている影がたくさん。
昼間見るとダンボールの上であまり動かない人たちが、
スローながら あちこち動き回っている。
まわりを犬や猫たちがじゃれて、ゴミのつみあがった山の上に駆け上がっていく。
高架上の電車から見たその景色の、陰翳のきわだち方に、急に心臓が高鳴った。
隣の今宮戎では、こどもえびす をしていた。
雪を運んできて橇で滑ったり。モノを消費することに慣れた人たち。
次々に流れてゆく風景に、時空の中を駆け巡っているみたいになって、
昨日でも今日でも明日でもいいような、事務所へ戻った。
2007.07.08
魔道
『蟻のつぶれたにほひが鼻までやってきて いつこの道を知ったのだらう』 禰子
昨日のつづき
友人の家から、駅まで歩いてみることにした。
行基の生まれた寺がある。小さいころ、1月15日にはかならず親戚一同でここの「とんど」へ来た(そして帰りにかならず駅前の「やまたけ」ですき焼きチームとしゃぶしゃぶチームに分かれてご馳走をいただいた)。
仁王門を通るのが怖くて、息を詰めながら通ったものだ。
息をしてしまったら見つかるような気がしていた。
今日は仁王門は通らない。
一番裏手をかすめてゆき、さっきバスからみた建て替えが始まっている駅前の団地を見てゆこう。
はたして、
私は寺の裏道に吸い寄せられただけなのかもしれなかった。

↑クリックで拡大。

「魔道」という言葉が今、普通に使われていることに驚いた。
そこを通らなければ災いは降りかからないとでもいうのだろうか。
もう、その入り口に立っているのに?
道の奥をみると、少しだけ通れるようにフェンスを開けてある。何故だろう。
通っても通らなくても同じこと。
結局、寺に入らないまま、裏手を駅のほうへ向った。
何十棟もあった駅前の公団が建て替えを待ってひっそりと残っていた。
隣にはすでに中高層の新しいマンションが順次完成している。
新しく封印されたのはこっちなのかな。
フェンスは張り巡らされていて、どこからも入ることはできなかった。


昨日のつづき
友人の家から、駅まで歩いてみることにした。
行基の生まれた寺がある。小さいころ、1月15日にはかならず親戚一同でここの「とんど」へ来た(そして帰りにかならず駅前の「やまたけ」ですき焼きチームとしゃぶしゃぶチームに分かれてご馳走をいただいた)。
仁王門を通るのが怖くて、息を詰めながら通ったものだ。
息をしてしまったら見つかるような気がしていた。
今日は仁王門は通らない。
一番裏手をかすめてゆき、さっきバスからみた建て替えが始まっている駅前の団地を見てゆこう。
はたして、
私は寺の裏道に吸い寄せられただけなのかもしれなかった。

↑クリックで拡大。

「魔道」という言葉が今、普通に使われていることに驚いた。
そこを通らなければ災いは降りかからないとでもいうのだろうか。
もう、その入り口に立っているのに?
道の奥をみると、少しだけ通れるようにフェンスを開けてある。何故だろう。
通っても通らなくても同じこと。
結局、寺に入らないまま、裏手を駅のほうへ向った。
何十棟もあった駅前の公団が建て替えを待ってひっそりと残っていた。
隣にはすでに中高層の新しいマンションが順次完成している。
新しく封印されたのはこっちなのかな。
フェンスは張り巡らされていて、どこからも入ることはできなかった。


2007.05.08
堺 その3
『はばかりながら歌はホビーにあらざると言ひたかれども美しき顔』 三井ゆき
GWにあちこち行ったのだけれど、宿題(?)になってしまった「堺 その3」でまごついている体たらく。(堺 その1)(堺 その2)
武野紹鴎生家跡などをぶらぶら歩きながら南宗寺へ向かって歩く。
とちゅう、少林寺町の少林寺の門をくぐる。今では小さな寺だが、織田信長に没収されるまでは横の寺地町を含め、海までの広大な敷地をもっていたらしい。

「永徳元年(1381)塔頭耕雲庵の住持白蔵主(はくぞうず)が、鎮守稲荷明神に参篭して霊狐を得、狂言大蔵流の始祖霊狐の所作を狂言に作り、「釣狐」として上演。以後狂言歌舞伎関係者は釣狐上演の際は当寺に参詣し技芸の上達上演の成功を祈願し寺内の逆芽竹(さかめだけ)を1本祈祷してもらい持ち帰り上演の時の杖に使用する慣習になっている」(少林寺説明板より)
野村家のお家芸とのこと。そういえば萬斎さん、狐顔ですね・・・。

南宗寺に到着。こちらの寺は今でも広大な敷地を持つ。
詳しくはこちらのページやこちらのページやこちらのページを参照されたし。
切り株からの生命力にしばし圧倒される。


お手洗いの(?)生命力にも。

南宗寺の門から続く参詣道の横手の墓地裏の家並み。
こちらは生命力からは程遠く、震度4くらいでも心配な感じ。瓦が波打っている。ほとんどは空き家になっておらず、家の中には生命力が保たれている模様。ある意味生き物的ともいえるのかも。

この更に裏側には臨江寺があり、説明板によると「日本三大敵討ち(!)の一つである曽我十郎の恋人だった遊女・虎御前が石に化したと伝えられる『とらご石』(中略)、また地元乳守(ちもり)遊郭にちなんだ霊験あらたかな乳の守り神様『乳女郎(ちじょろう)さん』」があるらしい。
この乳守遊郭を少し調べてみたが、もともとは神功皇后が長門からつれて来た田植女で、明治維新までは住吉大社の田植神事を行っていたとのこと(その後も新町遊女がこの行事をしていたらしい。遊女が田植えというのに激しく興味をそそられるが調べる根気が尽きました・・・そのうち気が向いたら)
最後は堺名物「かん袋」のくるみ餅を食べて、本日のコース終了。
何かあるようで、何もないようで、「もののはじまりゃみな堺」(物の始まりはすべて堺)と教えられて育ったこどものころ。自分の生まれ育った町には何でもあると思い込ませるには都合のよいものがいろいろあるにせよ、現代の堺はどうなのか・・・。複雑な思いの「堺観光」だった。
GWにあちこち行ったのだけれど、宿題(?)になってしまった「堺 その3」でまごついている体たらく。(堺 その1)(堺 その2)
武野紹鴎生家跡などをぶらぶら歩きながら南宗寺へ向かって歩く。
とちゅう、少林寺町の少林寺の門をくぐる。今では小さな寺だが、織田信長に没収されるまでは横の寺地町を含め、海までの広大な敷地をもっていたらしい。

「永徳元年(1381)塔頭耕雲庵の住持白蔵主(はくぞうず)が、鎮守稲荷明神に参篭して霊狐を得、狂言大蔵流の始祖霊狐の所作を狂言に作り、「釣狐」として上演。以後狂言歌舞伎関係者は釣狐上演の際は当寺に参詣し技芸の上達上演の成功を祈願し寺内の逆芽竹(さかめだけ)を1本祈祷してもらい持ち帰り上演の時の杖に使用する慣習になっている」(少林寺説明板より)
野村家のお家芸とのこと。そういえば萬斎さん、狐顔ですね・・・。

南宗寺に到着。こちらの寺は今でも広大な敷地を持つ。
詳しくはこちらのページやこちらのページやこちらのページを参照されたし。
切り株からの生命力にしばし圧倒される。


お手洗いの(?)生命力にも。

南宗寺の門から続く参詣道の横手の墓地裏の家並み。
こちらは生命力からは程遠く、震度4くらいでも心配な感じ。瓦が波打っている。ほとんどは空き家になっておらず、家の中には生命力が保たれている模様。ある意味生き物的ともいえるのかも。

この更に裏側には臨江寺があり、説明板によると「日本三大敵討ち(!)の一つである曽我十郎の恋人だった遊女・虎御前が石に化したと伝えられる『とらご石』(中略)、また地元乳守(ちもり)遊郭にちなんだ霊験あらたかな乳の守り神様『乳女郎(ちじょろう)さん』」があるらしい。
この乳守遊郭を少し調べてみたが、もともとは神功皇后が長門からつれて来た田植女で、明治維新までは住吉大社の田植神事を行っていたとのこと(その後も新町遊女がこの行事をしていたらしい。遊女が田植えというのに激しく興味をそそられるが調べる根気が尽きました・・・そのうち気が向いたら)
最後は堺名物「かん袋」のくるみ餅を食べて、本日のコース終了。
何かあるようで、何もないようで、「もののはじまりゃみな堺」(物の始まりはすべて堺)と教えられて育ったこどものころ。自分の生まれ育った町には何でもあると思い込ませるには都合のよいものがいろいろあるにせよ、現代の堺はどうなのか・・・。複雑な思いの「堺観光」だった。
2007.04.30
堺 その2
『子のために花を手折ればすがすがとのぼり立つ靈(ち)にそっと手合わす』 禰子
堺 その1からのつづき。

阪堺線綾ノ町から神明町の通り2つ分東側を南下する。
十輪院というお寺の中に、室戸台風で犠牲になった児童らの慰霊碑がある。一体一体に名前があるそうで、経年により首のとれているものもあったが、通常の水子地蔵と違い、いろいろな表情がある。
東隣は、与謝野鉄幹と晶子ゆかりの覚応寺がある。格子戸をあけないといけないので入っていいのかな?と思うが出入りは自由。
道を隔てて南側には本願寺堺別院がある。
別院の前に不思議ハウスを発見。
屋根の隙間から空に向かってのびる藤。
オフシーズン(!)はどうなっているのか少々気になる。
ちなみにしっかり住居されている様子だった。

このあと阪堺線にのり、
堺では一応名の通ったうどんの店へ。
どうも人に案内される道はいろんなことを見落としたままで、
こころここにあらずなまま通り過ぎてしまい、
一週間以上経つと、あまり記憶が定かでない。
最後に南宋寺へ行くのだが、もうちょっと調べ物をしてからUPします。
『花の名は一年草もある故に忘れず星は忘れやすかり』 与謝野晶子
堺 その1からのつづき。

阪堺線綾ノ町から神明町の通り2つ分東側を南下する。
十輪院というお寺の中に、室戸台風で犠牲になった児童らの慰霊碑がある。一体一体に名前があるそうで、経年により首のとれているものもあったが、通常の水子地蔵と違い、いろいろな表情がある。
東隣は、与謝野鉄幹と晶子ゆかりの覚応寺がある。格子戸をあけないといけないので入っていいのかな?と思うが出入りは自由。
道を隔てて南側には本願寺堺別院がある。
別院の前に不思議ハウスを発見。
屋根の隙間から空に向かってのびる藤。
オフシーズン(!)はどうなっているのか少々気になる。
ちなみにしっかり住居されている様子だった。

このあと阪堺線にのり、
堺では一応名の通ったうどんの店へ。
どうも人に案内される道はいろんなことを見落としたままで、
こころここにあらずなまま通り過ぎてしまい、
一週間以上経つと、あまり記憶が定かでない。
最後に南宋寺へ行くのだが、もうちょっと調べ物をしてからUPします。
『花の名は一年草もある故に忘れず星は忘れやすかり』 与謝野晶子
2007.04.23
堺 その1
『日は沈み今日はなかったと言うように花弁を閉じぬ ダンデライオン』 禰子
母が観光ボランティアをやりはじめてしばらく経つので、一度堺のまちを案内してもらうことになった。
朝、南海高野線堺東駅で集合、南海本線堺駅との間をむすぶシャトルバスに乗って途中の阪堺線大小路までゆく。

通っていた高校のそばを通っているので、学生時代、通学につかっている友達も多かった。「今日もまた車と接触して脱線して遅刻やってん」とかよく聞いたように記憶しているが・・・本当だったのかな、と書きながらふと思う。
環濠都市の一番北の端、高須神社前で降りる。

大村コンのオロナミンCや赤影のポスターまで。廃墟かと思いきやセコムのシール!コレクション?ついついガイドの案内から離れてしまうカメラマン。
北旅籠町の細い道を進むと、お線香屋さんがある。

昔ながらの店構え、与謝野晶子の実家の和菓子屋もこんなかんじだったということで、以前生家としてドラマか何かのロケに使ったということだ。
店の奥でつくられた沈香を一つ購入。
雨が降る前の蒸し蒸しとした暑さと、街歩きの退屈さで、娘は早くも「だっこして〜」の連発。アスファルトからの照返しも蒸返しもあるし、街歩きは5月いっぱいが限界かなーと思う。
アイスクリームを求めて桜之町商店街に入る。ここは途中チンチン電車の線路とぶつかっているちょっと面白い商店街だ。

なんとなくいつもと違って「表通りの」街歩きをして、少しへばって昔ながらの喫茶店へ。ブログもすこしへたばったので、「堺その1」にして、しばらく続く予定・・・。
母が観光ボランティアをやりはじめてしばらく経つので、一度堺のまちを案内してもらうことになった。
朝、南海高野線堺東駅で集合、南海本線堺駅との間をむすぶシャトルバスに乗って途中の阪堺線大小路までゆく。

通っていた高校のそばを通っているので、学生時代、通学につかっている友達も多かった。「今日もまた車と接触して脱線して遅刻やってん」とかよく聞いたように記憶しているが・・・本当だったのかな、と書きながらふと思う。
環濠都市の一番北の端、高須神社前で降りる。

大村コンのオロナミンCや赤影のポスターまで。廃墟かと思いきやセコムのシール!コレクション?ついついガイドの案内から離れてしまうカメラマン。
北旅籠町の細い道を進むと、お線香屋さんがある。

昔ながらの店構え、与謝野晶子の実家の和菓子屋もこんなかんじだったということで、以前生家としてドラマか何かのロケに使ったということだ。
店の奥でつくられた沈香を一つ購入。
雨が降る前の蒸し蒸しとした暑さと、街歩きの退屈さで、娘は早くも「だっこして〜」の連発。アスファルトからの照返しも蒸返しもあるし、街歩きは5月いっぱいが限界かなーと思う。
アイスクリームを求めて桜之町商店街に入る。ここは途中チンチン電車の線路とぶつかっているちょっと面白い商店街だ。

なんとなくいつもと違って「表通りの」街歩きをして、少しへばって昔ながらの喫茶店へ。ブログもすこしへたばったので、「堺その1」にして、しばらく続く予定・・・。
2007.03.12
雌岳から
『ダッフルを脱ぎ捨てた子と降りてくる雌岳の岩に三月の雪』 禰子
當麻から登らずに、大阪・奈良県境の竹之内街道沿いから遊歩道のような快適(というか公園のようなつまらない)道を登りきれば、簡単に雌岳に辿りついた。

4歳の子連れでも全然オーケー。
大阪平野も奈良盆地もくるりと180度まわるだけで見渡せる。
遠くに曽爾の山、大台ケ原方面の雪山もよく見えた。

子は冬の嵐の合間、(台風みたいな暖かい)豪雨と(大阪では稀にみる)大雪を前後15時間くらいに持って生まれたせいだろうか、風に激しく反応する。
なんばパークスの間のビル風に、必ずいつも一人うれしくなって全速力で駆け出してしまう。
今日(日曜)は傾斜のきつい下り坂で、何を思ったかダッフルコートを脱ぎ捨て、風が吹いては馬跳び姿勢になって、(おしりで??)風を感じていた。気持ちいいのかな?


帰り道は舗装路が退屈なので、岩場を降りてきたが、途中で花びらでも落ちてきたかと思ったら雪が降ってきた。すぐにやんでしまったけど、さっきまでの青空はいつの間にかどこかに行ってしまっていた。
雄岳の大津皇子は今回は断念。
双眼鏡でのみ拝見した。
下界へ降りてくると、相変わらずのっぺらな二上山に見えた。
“マクドで子を寝かせ(最近はクッションがいい)、大人は読書計画”は失敗。
最近体力がついたせいか、休日のお昼寝が「お夕寝」だ。

當麻から登らずに、大阪・奈良県境の竹之内街道沿いから遊歩道のような快適(というか公園のようなつまらない)道を登りきれば、簡単に雌岳に辿りついた。

4歳の子連れでも全然オーケー。
大阪平野も奈良盆地もくるりと180度まわるだけで見渡せる。
遠くに曽爾の山、大台ケ原方面の雪山もよく見えた。

子は冬の嵐の合間、(台風みたいな暖かい)豪雨と(大阪では稀にみる)大雪を前後15時間くらいに持って生まれたせいだろうか、風に激しく反応する。
なんばパークスの間のビル風に、必ずいつも一人うれしくなって全速力で駆け出してしまう。
今日(日曜)は傾斜のきつい下り坂で、何を思ったかダッフルコートを脱ぎ捨て、風が吹いては馬跳び姿勢になって、(おしりで??)風を感じていた。気持ちいいのかな?


帰り道は舗装路が退屈なので、岩場を降りてきたが、途中で花びらでも落ちてきたかと思ったら雪が降ってきた。すぐにやんでしまったけど、さっきまでの青空はいつの間にかどこかに行ってしまっていた。
雄岳の大津皇子は今回は断念。
双眼鏡でのみ拝見した。
下界へ降りてくると、相変わらずのっぺらな二上山に見えた。
“マクドで子を寝かせ(最近はクッションがいい)、大人は読書計画”は失敗。
最近体力がついたせいか、休日のお昼寝が「お夕寝」だ。

2007.02.14
恵美須・下寺・名護・日本橋
『冬枯れてまた朱(あ)けてゆく山の端(は)よ おまえからみればおまえが基点』 禰子
南海高野線新今宮を降りると、簡易宿泊施設が軒を連ねる。

釜ヶ崎は、戦後始まったわけではない。「ルナパーク」をはさんで反対側にあった名護町がキレイさっぱり歴史からもほとんど名を消してしまったことと、少なからず関係があるようだ。

バスが運んできた観光客が道を塞いでいる通天閣の下をそのまま北へ向かい、下寺の方へ進む。

ディズニーのお姫様のお布団。
お姫好きの娘に「今晩はここで寝よっか」とさそってみるが即座に却下。

軍艦アパートは、昔もしかして通ったことがあるのかもしれないが、そのときは普通の風景にしか見えていなかったはずなので、今回が初めて。
はたして、解体工事はすでに始まっていた・・・。


通りがかったおじいさんがおしえてくれたのだが、南半分は10月から、本丸(正方形の迷路型)のほうは1月から工事がはじまったそうだ。あきらめきれずに覗いてみる。隣のビルディングの屋上でタバコをふかす男性を発見。
「あ、上からみたらいいやん」。

隣接してる10階建てのマンションの非常階段からしばし鑑賞。
「パパ?どうしてこわれたおうちみにきたの?」
「ママが住みたいって見に来たのに、もう、壊しちゃってたんだって」
「そう、ママもこわれてるおうちもかわいそうやなぁ」
「そうやなぁ、かわいそうやなぁ」
日本橋の電気街を抜け、難波(ナンバ)まで戻った。
南海高野線新今宮を降りると、簡易宿泊施設が軒を連ねる。

釜ヶ崎は、戦後始まったわけではない。「ルナパーク」をはさんで反対側にあった名護町がキレイさっぱり歴史からもほとんど名を消してしまったことと、少なからず関係があるようだ。

バスが運んできた観光客が道を塞いでいる通天閣の下をそのまま北へ向かい、下寺の方へ進む。

ディズニーのお姫様のお布団。
お姫好きの娘に「今晩はここで寝よっか」とさそってみるが即座に却下。

軍艦アパートは、昔もしかして通ったことがあるのかもしれないが、そのときは普通の風景にしか見えていなかったはずなので、今回が初めて。
はたして、解体工事はすでに始まっていた・・・。


通りがかったおじいさんがおしえてくれたのだが、南半分は10月から、本丸(正方形の迷路型)のほうは1月から工事がはじまったそうだ。あきらめきれずに覗いてみる。隣のビルディングの屋上でタバコをふかす男性を発見。
「あ、上からみたらいいやん」。

隣接してる10階建てのマンションの非常階段からしばし鑑賞。
「パパ?どうしてこわれたおうちみにきたの?」
「ママが住みたいって見に来たのに、もう、壊しちゃってたんだって」
「そう、ママもこわれてるおうちもかわいそうやなぁ」
「そうやなぁ、かわいそうやなぁ」
日本橋の電気街を抜け、難波(ナンバ)まで戻った。
2007.02.06
ルナパーク
『「ルナパーク」通天閣は山越の阿弥陀如来を迎える装置』 禰子
日曜日、大阪くらしの今昔館に行ってきた。
ずいぶん豪勢な造りで“できるかぎり当時の工法を再現”したらしく、ついついその潤沢な金回りの裏事情を調べたい気持ちに駆り立てられるのだが、最初だったし、まぁ面白かった。
通天閣が、“1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、パリのエッフェル塔と凱旋門を模した初代通天閣が1912年(明治45年)にルナパークと共に建設された。64mというその当時東洋一の高さを誇っていた通天閣は、ルナパークとロープウェーで結ばれており、人々に親しまれていた。”というのは聞いたことがあったけど、パノラマ模型とナレーション(浜村淳)で当時の雰囲気がすこし味わえる。
こんな面白いページを見つけた。写真がすごい。
昔のおもちゃなどで遊びつかれた子が寝てしまったので、今昔館前の商店街のジモティな喫茶店でしばしオットと読書。
面白キャラの人が多かった。
『皮ジャンバー黒スラックスライターは100円 左の席が気になる』
『「オレの昔からのブレーンでおもしろいキャラのやつ一人つれていくわな」』
『「もうそろそろそいつ起きるわ、ミナミでな」夕方の四時よ。ブレーンって誰?』
何屋さんでしょうか。
あと、着物を着て「アイスミルク」を飲んでいるおねえさんもいました。
日曜日、大阪くらしの今昔館に行ってきた。
ずいぶん豪勢な造りで“できるかぎり当時の工法を再現”したらしく、ついついその潤沢な金回りの裏事情を調べたい気持ちに駆り立てられるのだが、最初だったし、まぁ面白かった。
通天閣が、“1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、パリのエッフェル塔と凱旋門を模した初代通天閣が1912年(明治45年)にルナパークと共に建設された。64mというその当時東洋一の高さを誇っていた通天閣は、ルナパークとロープウェーで結ばれており、人々に親しまれていた。”というのは聞いたことがあったけど、パノラマ模型とナレーション(浜村淳)で当時の雰囲気がすこし味わえる。
こんな面白いページを見つけた。写真がすごい。
昔のおもちゃなどで遊びつかれた子が寝てしまったので、今昔館前の商店街のジモティな喫茶店でしばしオットと読書。
面白キャラの人が多かった。
『皮ジャンバー黒スラックスライターは100円 左の席が気になる』
『「オレの昔からのブレーンでおもしろいキャラのやつ一人つれていくわな」』
『「もうそろそろそいつ起きるわ、ミナミでな」夕方の四時よ。ブレーンって誰?』
何屋さんでしょうか。
あと、着物を着て「アイスミルク」を飲んでいるおねえさんもいました。
2007.01.31
金剛山
『天駆けの小角(おづぬ)を置いて降りてきた。道知らなくに途上の家族』 禰子
娘の誕生日、朝から思い立って、金剛山山頂で一泊してきた。
秋のようなあたたかな金剛山、今年はほんとに暖冬だ。
古代檜風呂で温まったあとは鴨鍋。
自家製そばしゃぶまでついていて、美味しかった。
地元のにごり酒も調子に乗って一瓶頼む。

「危険なお酒なんですよ〜」と、宿の人たちが楽しそうに持って来てくれた。上手に開けないと爆発するらしい。「最近もシャンパンみたいに吹っ飛んで、大盛り上がりなことがありました〜」とのこと。ふたりであっという間に空けてしまった。娘は鴨のだしのよくきいた雑炊を3杯もおかわり。
この宿、今も村営宿泊施設であることには変わりないのだが、今は、委託された運営会社が経営、麓からのロープウェイも同じく管理している。誰にレポートを頼まれたわけではないのに、ついついまた「裏事情」調べたグセが・・・。その会社、飲食店経営ではあきたらず、いまや学校運営までしているのだから、調査対象としてはかなり興味津々。
次の朝、なんとこの冬二度目の積雪。一応大阪最高峰。冬になると雪は積もるはずなのだが、今年は本当に積もらなかったらしい。
3〜4センチといったところだと思うが、すっかり冬山らしくなった。
宿の人は、「ラッキーですね〜!そりありますけど、貸しましょか?」って、売店で売っているのに、お店のをわざわざ貸してくれた。
朝から登ってきたという山小屋で出会ったおばさん(おばあさん)が、「このピーナッツを砕いて手に置いて、よそ見をしながらじっと待っていると鳥が食べに来るのよ」とピーナッツを分けてくれた。「府の職員にみつかったらおこられるど」と、となりからおじいさん。はたして、鳥はあっという間にやってきた。他の人たちもわれもわれもと並びだす。中年のご婦人5〜6人が、並んで手を伸ばしてよそ見しながら直立している図は、なかなか滑稽であった。
ピーナッツをくれたおばあさん達6人連れは、私たちが立った後の山小屋のテーブル席で、その後お弁当を開き、二時間はおしゃべりに花を咲かせていたようだ。
娘はそりに夢中。
昼すぎにはずいぶん解けてしまった雪を踏みながら、ロープウェイで戻ってきた。

娘の誕生日、朝から思い立って、金剛山山頂で一泊してきた。
秋のようなあたたかな金剛山、今年はほんとに暖冬だ。
古代檜風呂で温まったあとは鴨鍋。
自家製そばしゃぶまでついていて、美味しかった。
地元のにごり酒も調子に乗って一瓶頼む。

「危険なお酒なんですよ〜」と、宿の人たちが楽しそうに持って来てくれた。上手に開けないと爆発するらしい。「最近もシャンパンみたいに吹っ飛んで、大盛り上がりなことがありました〜」とのこと。ふたりであっという間に空けてしまった。娘は鴨のだしのよくきいた雑炊を3杯もおかわり。
この宿、今も村営宿泊施設であることには変わりないのだが、今は、委託された運営会社が経営、麓からのロープウェイも同じく管理している。誰にレポートを頼まれたわけではないのに、ついついまた「裏事情」調べたグセが・・・。その会社、飲食店経営ではあきたらず、いまや学校運営までしているのだから、調査対象としてはかなり興味津々。
次の朝、なんとこの冬二度目の積雪。一応大阪最高峰。冬になると雪は積もるはずなのだが、今年は本当に積もらなかったらしい。
3〜4センチといったところだと思うが、すっかり冬山らしくなった。
宿の人は、「ラッキーですね〜!そりありますけど、貸しましょか?」って、売店で売っているのに、お店のをわざわざ貸してくれた。
朝から登ってきたという山小屋で出会ったおばさん(おばあさん)が、「このピーナッツを砕いて手に置いて、よそ見をしながらじっと待っていると鳥が食べに来るのよ」とピーナッツを分けてくれた。「府の職員にみつかったらおこられるど」と、となりからおじいさん。はたして、鳥はあっという間にやってきた。他の人たちもわれもわれもと並びだす。中年のご婦人5〜6人が、並んで手を伸ばしてよそ見しながら直立している図は、なかなか滑稽であった。
ピーナッツをくれたおばあさん達6人連れは、私たちが立った後の山小屋のテーブル席で、その後お弁当を開き、二時間はおしゃべりに花を咲かせていたようだ。
娘はそりに夢中。
昼すぎにはずいぶん解けてしまった雪を踏みながら、ロープウェイで戻ってきた。

2007.01.10
犬鳴山
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