生駒トンネル
最初の生駒トンネルができて、
来年で100年です。

ウィキペディア
近鉄奈良線

生駒から石切へ電車に乗っている間は、
重力のことに静かに気持ちを集める。すると、
トンネルは確かな傾斜をもって、下っているのがわかる。
けれどまた、石切から生駒へ向かうとき、
トンネルは最後の方で少し下りになっているように思う。
なので、まだ大阪にいるときに詠んだ、

はっきりとわかる河内へ帰るとき生駒トンネル下り坂なり

は、正確に言うと間違っているのかも(^-^;

基本、大阪平野に向けて下り坂なのだけれど、
トンネルの中にも小さな峠があって、
自分の足でかどうかはともかく、
毎日まいにち何万という人が往き来しているとおもうと
ちょいとは楽しくなる、朝のラッシュアワー。

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【2013/06/19 08:58】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
屋根
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近鉄奈良駅で雨の日も風の日も噴水にさらされながら
托鉢しているおじいさんが
行基菩薩だと知ったのは大人になってからだった(じぇじぇ!)。

行基は、堺の人で、
もっと言うと、私の生まれ育った町というか村の
蜂田神社の娘、ハチタノコニヒメの息子、として
幼い頃から刷り込まれてきたので、
最後は奈良で活躍した彼の印象が薄いのでありました。
コニヒメの生まれたという華林寺(けいりんじ)は
小学生のころのラジオ体操の場所で
桜の木にもよく登ったし、
秋祭りには町のだんじりの出発地点だったけど
当時からすでに無住職の地味~な寺だった。
幼稚園のとき、一度だけ「行基を調べているんです」
という女子大生のお姉さんが歩いていて、
母と一緒に少し案内したのを覚えている。

行基も、晶子も、堺の偉人としてもてはやされるけれど、
全国を行脚し、あるいは堺を捨て(堺に捨てられ)た彼、彼女は
実際どんな感情をふるさとに抱いていたのか。

そしていま、
こんなに立派なアーチを被せられた行基は
ほんまはもっと雨に打たれたり風にあたったり
したくはないのかな、などと思いつつ
修学旅行生まみれの階段をおりた。

【2013/06/08 16:28】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
雨漏りから生駒 あるいは 生駒の上にも2年 みたいな。
足代の家

大阪から生駒山を越えてきて(くぐってきて)、今月で2年になります。
ずっと前から生駒界隈は通過するたびに、
またはたまに降りるたびに、
「魅力」というのでなく、
まあ「魔力」とまで言わないけど、
何か吸引されるものがあり、
気になる場所ではあったのですが
急に引っ越し先を探す必然性(※下記参照)に駆られて
ぱっと見つかったのが今の場所。

引っ越して4カ月ほどたったある日、
ふとしたことからその場所に関する由来を聞き、
往時の街並みについて教えてもらって、
いろんな人に話を聞かせてもらう様になって、
そこからいろんなことが
自分で思ってもみなかったほど広がっていって。
これからどんな風につながっていくのかは
まだまだわからないのですが。

それでも、
一人ひとりの記憶の中に眠っている光景を
できるだけそっとひっぱり上げて、
しおりに挟んでおくくらいのさりげなさで、
町の記憶をつないでいけたらいいなと
思っています。

※写真は布施に居た頃の
 なんちゃって町家風長屋(賃貸)。
 工務店さんが凝り性で、一応ほんとの漆喰壁でした。
 キレイにリノベーションされて気に入っていたのだけど、
 土台は築80年、突然のものすごい雨漏りに家移りを決意。
 思えば、雨漏りもまた、
 生駒との出会いに協力してくれたのだなぁ(笑)。
【2013/06/05 16:27】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
大職冠
「大職冠」といふ名のバス停だけ残しいい人だつたのかも鎌足は  勺 禰子

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写真は東明寺 in 大和郡山市矢田町

朝からみっちりの所用のあと、午後の踏査?に向けて急いで移動。
だいーぶ昔に詠んだ歌を、そのバス停を通ってふと思い出した。
ところが、初出では「残し」ではなく「残り」となっていた。
自分の歌もええかげんにしか覚えられなくなってきました…。

閑話休題

この歌については某歌会で下記のようなご指摘をいただいた。
この歌の「大職冠」は最後に鎌足と出てくるのだから「大織冠」のはずである。
「職」は誤字ではないか。それぐらい知らなくてどうすんのさ!
とまでは言われませんでしたが、歌詠みの知性を思わされるエピソード?

ですがですが、このバス停は本当に「職」なのれす。

Wikipediaをそのままお借りすると
大織冠(だいしょくかん、だいしきかん)は、647年から685年まで
日本で用いられた冠位、またその標章たる冠をいう。
冠位としては単に大織ともいう。冠位の最上位で、下には小織がある。
史上藤原鎌足だけが授かった。

とあります。なので、「社長!」と呼べば一斉に数百万人が振り返る
ようなことではなく、「大織冠!」と呼べば幽霊であろうが人であろうが、
鎌足氏しか振り向いてはいけない。
と、こういうお名前なんですね。

バス停の近くには「大織冠鎌足神社」という神社もあり、
冠山町や藤原町もあり、南郡山町には「大【職】公民館」もあるのですが、
町名にはもう「大【職】冠」はないようです。
どうしてバス停だけ「大職冠」が残ったのか
そしてそれはなぜ「職」なのか。。。

ご存じの方がおられましたらぜひぜひお教えください。
【2012/11/18 21:52】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
十津川 ―短歌人 2009年9月号再掲―
短歌人 2009年9月号再掲      勺 禰子 (しゃく ねこ)

山すべて賽の河原となりはてて崩れては積む十津川のみち

崩れやすき山に暮せばかたくなにこころ堅めて十津川の武士

峠道草が覆ひてけものみち今はしづかに眠る坂道

日没のもう済みてある奈良盆地残るひかりが駆けおりるまで

今朝摘んだ花のにほひの中にある遠い昔と未来の記憶

念仏の如く呪文の如くその意味から解かれやみに触れたり

---

ここ数日、
頭で考えている以上に、
台風の災害のショックが強い。
土砂崩れはしょっちゅう、
崩落もしょっちゅう、
そんな紀伊半島でも、
これだけのことになったのは、
たぶん明治の大水害以来ではないか。

近いうちに
ちゃんと新しく歩き直したいと思っていた、
吉野の山々、その向こうの新宮、
みんなめちゃくちゃになってしまった。

こんな歌、あほみたいだ。

自身の中で3月の大震災と、
今回の台風被害を並べたとき、
精神的なショックは疑いようなく、
紀伊半島だった。
それだけ、離れた場所への想像力や
人や世界を思う気持ちが、
わたしには欠如しているのかもしれない。
でも、やっぱり今度の台風は
あまりにかなしい。                         
【2011/09/06 22:44】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(7) | page top↑
鹿いろいろ
先週のことですが、なんかいろんな鹿が見られそうだということで、
久しぶりに春日大社へ。

行きは一人だけどせっかくだし、と
入江泰吉(吉は正しくは上の士の部分が土)写真館へ寄ってこ、と画策。
教えてもらった時間に間に合うようにー
と出たのはよかったが、奈良駅から高畑の距離を勘案していなかった…
しかも、その日は梅雨明けはまだだったが快晴(というか、炎天)、
気温33.2℃、湿度54%…
ゆけどもゆけども、炎天下、日傘はさせども汗がどんどん…

うー、もうあかん。
とそのとき、住宅街に鹿発見!
ふつーに、草食べてました(^0^)【この日1度目の鹿】

ちょっと和んで持ち直す禰子(笑)
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ふー、やっと写真館についた!
と思ったら、時間まであと30分しかないではないかっ!

ひえーっと、15分で写真館を回り(涼み?)、
北へ。
駅の観光案内所で教えてもらった「近道」を試そうとちょっとわくわくしながら歩く。

  「高畑から春日さんへは、3つの近道があります。
  ささやきの道・中禰宜の道・上禰宜の道です」

  と、駅のボランティアのおっちゃんは言った。
  ふむふむ、それじゃあ、禰子だけに中禰宜の道行きますわぁ
  と、おっちゃんに聞こえないように言って、
  炎天下の中もがんばってこれたのだった(単純です)。

鏡神社を通り
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道をひとつ越えると春日大社の南の端に
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お、ここからだ(わくわく)
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でも、サンダルがぬかるんでるところを踏まないように、気をつけないとっ

わ、メール、はいはいっ「わ、もう始まってるって。いそげっ」
5分遅れくらいでなんとか到着。
岩手から鹿踊りを奉納しに来られた保存会の踊りを見る。※鹿踊り=ししおどりと読みます
単調だけど、けっこう激しい。
鹿の面を被って、この慣れない暑さのなか、どうにかなってないかなぁ、と心配。
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が、みなさん、すばらしい踊りを奉納されていました。【この日2度目の鹿】

終わってから関係者を装って(?)なにげなく(??)ついてったら、
お面を外すところに遭遇。

お面の上にコヨリ(?)をいっぱい付けた、ものすごーく長い飾り(角)があるので、
ごろんと横になってから外すのですね。
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駅まではまた、一人で行かないといけなかったので、
ええい、こんなに暑いし今日歩いたご褒美じゃっとばかりに、
売店で
「すみませーん、抹茶ソフトください」と私。
(…そういえば、自分にご褒美ってよくあげるような^-^;)
ぺろぺろ食べてると、
横に居た鹿に頭突きされました【この日3度目の鹿】
まぁまぁ、と雌鹿をなだめて、ぷらぷら歩く。
うーん、この参道、やっぱり遠い…

そう、ここがこれだけ昔のたたずまいを保っている(であろう)のは、
この地の利の悪さゆえ。
だから、決していやな道のりじゃない。
奈良全体にこのことは少し言える。

一ブロック歩いてきて、きゅーんきゅーん鹿の鳴き声がする。
と、親子鹿たちの移動の時間に出くわす。【この日4度目の鹿】
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でも、少し気の弱い最後の子が取り残されて、観光客に囲まれて…
カルガモの横断ほどじゃないけど(ネタが古いなぁ。。)、
鹿も毎日大変だ。

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それにしても、この時期の角は立派です。
ちょっとほれぼれしてしまう。【この日5度目の鹿】

興福寺の境内でも、こんな感じで悠々と【この日6度目の鹿】
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このあと、急に雨が降ってきて、少し涼しくなった。

というわけで(だかどうだか)、【この日7度目の鹿】
の写真はありません(笑)。

おしまい。


※今回、写真サイズを小さくするときに、なんか間違ってグレースケールにしてしまいました。
 鹿踊りはほんとはとてもカラフルなのですが…
 また気が向いたらUPします。







【2010/07/26 07:26】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(11) | page top↑
おん祭り など
気がつけば、という表現もぴったりしすぎてびっくりするほど、
気がつけばあと十一日と一時間弱で今年も終わり。
しかも、二十一世紀のはじめの十年、ゼロ年代の終わり。

濃い十年の幕切れを飾るにふさわしい濃い一年だった。
濃厚なのは…珈琲とか、お酒とか、そういう嗜好に関するものだけでいいです。

十二月の今のところ二日のお休みは、
六日、短歌人関西忘年歌会、
本日、久々に夕方まで一歩も家を出ずゆっくり。

休みではなかったが、十七日午後三時過ぎに仕事に待ち時間がポッカリできて、
夜戻ってくればいいことになったので(結局、夜に来なかったので翌朝六時にスタンバる)、
去年仕事で間に合わなかった、春日大社のおん祭りの「細男」を観に急いで電車に乗る。
ちょうど間に合って念願を果たせたのだが、
途中一瞬吹雪に見舞われたりして、盆地の寒さはあなどれなかった。
おん祭り、は春日大社の一番若い神さま、若宮が、
普段居られる若宮本殿から「お旅所」というところに「移って」また本殿に「戻る」というお祭り。
お旅所へ移ったあとは、本殿祭でお祭りの無事を祈り、
お渡り式というパレードのようなものと競馬があったりして(と書きつつ見たことはまだありません^-^;)
その後、「お旅所祭」としてお旅所の前で舞などの奉納が延々と繰りひろげられる。
本殿←→お旅所の移動は行きも帰りも真夜中に行われて、写真撮影厳禁。
つまり「若宮さまの(自主的もしくは強制的に行われる)年に一度の移動」
という行為の証拠写真は撮れない、ということ(と理解しました)。
一体なんのために日本の神さまはよく「お渡り」するんだろうか。
自主的か、強制的か、というあたりにヒントがありそうな気がするけど。

「細男」
ほそおとこ、じゃありませぬ。
せいのお、と読みます。
「お旅所祭」の中で「お旅所」仮御殿の前の「芝舞台(芝居の語源だそうです)」で舞う。
神功皇后の故事にちなむものとのことで、

 筑紫の浜で、ある老人が「細男を舞えば磯良と申す者が海中より出て干珠、満珠の玉を献上す」
 と言ったのでこれを舞わしめたところ、磯良が出てきたが顔に貝殻がついていたので覆面をしていた

という不思議な話が伝わっていて、白い浄衣を着けた六人の舞人が出てきて最初にお祓いを受け、お旅所に礼をしたあと、おもむろに白い長細い布を出して顔を覆う。
そして小鼓、素手、笛にふたりずつ分かれて、進んだり後退したりしながら舞う。
これが単調な不思議な舞なのだけれど、なんとなく見ていて飽きない。
芸能のルーツにつながっているらしいのですが、不勉強なので詳細は省略(というか、書けない)。
ちなみにこの「仮御殿」、屋根は青松葉で葺かれていて、「野営」の雰囲気濃厚。
中央に、大きな、不思議なかたちの提灯(?)がぼわっと灯って、
じっと見つめていると、自分が今何時代にいるかわからなくなる不思議な念力の籠もったおうち、だ。

祭礼や踊り・舞は、今の私たちからみると「なんで?」と思うような取り決めや方法や
「どこが面白いの?」ということも多いかもしれないけど、
たとえば貝殻がついていて「見苦しい」にも関わらず、舞わなければ(みなければ)いけなかったいきさつや、「見られてはいけない」にも関わらず、「お渡り」しなければならなかったいきさつを考えてみるのは楽しい。
そういうことって、自分にあてはめてみても、有るはず(よね?)。
「にもかかわらず~ねばならなかった○○」というもの。
ただ、それらは明確な「理由」を考えると行き詰る。
最初から目的があるのではなく、理由はいきさつが語る、
というほうがわかりやすいと思うようになってきた、この頃。

細男

【2009/12/20 23:58】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
霜月 奈良
今日は仕事で午後から奈良。
家の中はひんやりしているので、今日も判断を誤った。
小春日和なのに黒のセーターでちょっと汗ばむ。

夕方、夕日に向かって移動。
奈良盆地からみる夕日はいつでも美しい。
けわしく大阪と奈良を隔てている山肌が急にやさしく見える。
昔の人はもっとうっとりと、また、畏れも抱きながら、
山々のむこうに落ちてゆく夕日を見送ったことだろう。

船橋商店街

行きの急行電車でのひとこま。以下四首。


雑音といふには耳に心地よく隣の翁は喋りつづける

駅ごとにその駅名の由来など連れの翁にたしかめてをり

石切を越え生駒越え奈良へ入るころに話題は神の御業(みわざ)に

ひとりびとり造作の違ふ不可思議を無邪気に語る翁、神か?

                                 禰子

ちょっとおちゃめな老人二人だった。

【2009/11/08 23:07】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
求む!情報。 ―楽しいだけなら、別の観光地へ。
今朝、短歌人のTさんから情報をもらった。新聞にすごい広告が載っていたという。

奈良は媚びない。―楽しいだけなら、別の観光地へ。

うーむ、これはすごい。
―楽しいだけなら、別の観光地へ。・・・か
うーむ、だれやろう、こんなある意味ギリギリのすごいキャッチ考えたのん。

Tさんもおっしゃっていたが、
以前小池光さんが「短歌研究」の特集「結社で歌人はどう育つか」(2006.11)の中で、
「・・・今回の特集は結社での作歌指導ということだが「短歌人」は右のようなシステムなので「指導」などということは考えていない。「指導」を欲する人はほかの結社に入られればよい。・・・」
と言われたのとちょっと似ている。

ちなみに小池さんの上記の論の前後をかいつまんで記せば、
・・・「短歌人」は主宰ではなく編集委員制度を採っているので、誰かが白黒つけるわけではないし、誰かに白黒つけてもらいたいという希望を短歌人では適えるのは無理である、ただし会としての判断はないが個人としてなら無論ある、そして編集委員というのも選挙で決まるので選ぶ選ばれるの相互関係にあり大いに「民主的」であるが、風通しのいい面そりゃ矛盾もあるが、矛盾のない組織というものもまずないので、そんなシステムで今日に至っている、そんな短歌人でわたし(小池氏)は「指導」をされたことも、望んだことも、したこともない、結社は指導・被指導の機関ではなく場を提供するところである、いろんな人が影響しあいそれぞれ高め深める、その人がどれだけ伸びるかは本人の動機の深さと熱意意欲の持続と才能とそれなりの野心等であり、結社という場を前向きに活用する積極的な思考法である・・・
(「短歌研究」2006年11月号 特集「結社で歌人はどう育つか」より抄訳)

Tさんは関東の人なので、もしかして関東限定の広告か?
近鉄の広告みたいだがHPを見てもよくわからない。
Tさんは「春日大社に佇む淑女の写真」とおっしゃるが
多分近鉄のイメージガール(???)を一手に引き受けてるT下K子だと思います、
その淑女(もしやT下K子を知らないのかも?)

上本町にはもっとマトモ?なキャッチのポスターしか貼ってなかった。
求む!情報。
【2009/03/14 23:21】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(11) | page top↑
お水取り(十一面悔過法要) 補遺
一つ前の日記のコメントに、動画はミクシィで(友人限定)、と書いたが、
探してみたら、このブログにも自分の動画を貼れるみたいなので、貼ってみます。
1258年も絶えることなく続けられている伝統中の伝統が、
ポストモダンでもある、という不思議を聴いてみてください。



拍子とか音階とか跳び越えて、そこにある音の塊。

うろ覚えだが、ベートーヴェンの音楽を聴いたアフリカの音楽家(普通の人?)が、
「これはいい曲だけど、音が単純すぎる」(というようなことだったと思う)
と言ったというのを思い出す。西洋の音符で表される音階では音色が少ないのだ。
それを基準にしてしまえば、
はみ出してしまった音はどこかの音階に集約されてしまう。
西洋だって、ドレミファソラシドだけじゃないはずなのに。
♯や♭も超えた音があるはずなのに。

記録できるものと出来ないもののせめぎあい。
拍子もそうだと思う。3拍子と4拍子の間があって当然だ。
そのときウタで表現したいものを自然に表現しようとするのに、
およそ記録というものは性質的に相容れない。
口承芸って基本的にそういうものだろうと。
日本の祭礼のウタは、実際聴いてみたらそんな感じがした。

火の塊と、音の塊に圧倒されて、
修二会の儀式は、言葉を獲得する以前の魂が、言葉を獲得し、
ひとつのかたちになってゆく過程をあらわしているようにも思えてきた。
だから毎年また只の塊からやり直すのだと。

五七調は、かたちを持つ前の塊の記憶を持っているのかも…
などと、誇大妄想は音階も拍子もわたしの脳味噌も飛び越えて、
どこかに霧散してしまった…。
でも、そのかけらを少しずつでも集めないといけないと思う。
【2009/03/13 22:27】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
お水取り(十一面悔過法要)
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一般に「お水取り」の名前で知られる東大寺二月堂の「修二会」、正式には「十一面悔過(けか)法要」をみてきた。
ロープが張られ出入り禁止になる前に入れば、二月堂の上でも見学できる(今まで知らんかった!)「お松明(たいまつ)」、これが「お水取り」と思われがちだが、これは「お水取り」の行法をする練行衆の道案内をするための松明で、連れ立って上った僧は堂の中へ入り、案内の終わった松明が火の粉を吹いて堂のまわりをかけめぐるのが、よくテレビでやっているやつのこと。僧(というか、練行衆)は11人。なので、松明の数も最高時11本。普段が10本なのは、一人は用意をするために先に堂に上がっているので、道案内が必要なのは10人(最後の日だけ、「お水取り」に下の若狭井に全員で行くので11本必要)、ということらしい(・・・という説明を聞いたつもりだけど、もしかして多少聞き間違いがあるかもしれませんので、正確にお知りになりたい方は、各自お調べくださいませ。相済みませぬ。また、若狭井のリンクは去年行ったホンモノの若狭井の日記へ飛びます)。
「十一面悔過(けか)」というのは、本尊が十一面観音なので、その観音様に去年1年の懺悔(悔過)をする、ということらしい。

午後7時になると、堂内の明かりがすべて消され、長い石の階段の下からメリメリという音が聞こえてきて、ふわりと暖かくなる。松明がやってきた。
完全に天井に火がとどいている。異様なメリメリ音は、小さいとき辛うじて見たことのある正月の獅子舞みたいに、松明そのものが生き物のような迫力を増しつつ近づいてくる。その火の粉を後ろから箒で掃き清める係りの人もいて、メリメリ音や、観衆のざわめきとはうらはらに静寂を感じる。
神社に行っても手も合わせない日々がずいぶん続いたが、最近はやはり普通に手を合わせる。そのほうが、結局のところ気持ちが落ち着くことに気づいたからだ。
でも、今日はそれとはまた別の、なんとも言いようのない気持ちになって、初めて「手を合わせずにはいられない」ような気持ちが湧き上がってきて、気がついたら手を合わせて巨大な火の塊を拝んでいた。あの昂ぶりはなんだったのかな、と思う。全国に火祭りの多いことを思う。
ちなみに、松明がそばを通るときは、上記の「ふわり」どころではない。業火だ。

松明が終わってから午後8時半ごろまで、堂内で行法を聴聞していたが、
その話はまた書く気力があれば。
一言だけ書いておくとすれば、帰る間際に聞いた法螺貝の旋律が、何故かビョークの音楽のリズムや音感ととても似ていた。不思議といえばかなり不思議。

二月堂の後ろでもやもやと雲に隠れていた月は、
帰宅途上、空なんか見ずに歩いていてもまぶしいくらい光っている。
見上げると満月だった。

ふと昨日短歌人のみはるさんがブログで紹介されていた柳原白蓮を思い出した。
柳原白蓮は、女性歌人の紹介をしている新書で読んだのが最初で、そのままほとんど忘れていたが、今年に入ってすぐ、たまたま仕事で彼女の記事(といってもゴシップ記事のようなものが大半)を目にする機会があり、また読みたいと思っていた。
家に着いて、道浦母都子『女歌の百年』(岩波新書)をぱらぱらめくる。


「ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらで生けるかこの身死せるかこの身」
                                    『蹈絵』 柳原白蓮

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【2009/03/12 00:48】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
秋鹿
諸々の報告を兼ねて春日大社へ。

寒いっ、髪の毛を触ると冷え冷えだ。
今年一番の冷え込み。
透明のひかりがきれいだ。

朝わりと早いというのに結構たくさんの人が居る。
中国・韓国からの観光客や、高校の修学旅行生が多い。

驚いたのが鹿の顔。一ヶ月前よりずいぶん穏やかになっている。
(二ヶ月前なんて服をちぎられた!)
どの鹿もここちよさそうに座っていたり、ゆったりと歩いている。
やはり角の有無だろうか・・・
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参道の灯篭は大小さまざまで、いつ通っても人のようだ。
見られている感じがとてもする。
ここを最初に歩いたのはもう20年くらい前なのかも。
それ以来、なにかにつけてご縁がある。
親戚がいるわけでもないし、小さいときに連れてこられたわけでもない。
どちらかというと京都によく連れて行かれた。
でも、気がついたら奈良が好きだった。
ルノワールの絵を何度見せられても、やっぱりゴッホが好きだったみたいに。

帰りの電車から、いつも気になっていた光景をパチリ。
でも、あんまりうまく撮れなかった。
再来年までに、あの廃墟(だよね?)、どうにかするのかなぁ。
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平城の壁よみがへりその前のボウリング場の廃墟かなしも   禰子 

生駒トンネルは昼潜ってもやっぱりかなしい。
トンネルを出たら、眼下一面に大阪が広がる。
すっかり冬の景色になっていた。
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【2008/12/07 01:05】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
紫陽花
『目をとぢたのちに鮮やかさを増してあぢさゐは真夜かたりはじめる』 禰子

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育った家の濡れ縁のすぐ目の前に、額紫陽花が咲いていて、
そのすぐ後ろの桐の木の葉がぐんぐん大きくなりだして、
雨の降る日は土の匂いをかぎながら、
額紫陽花の絵をかいたような記憶がある。
「ぬれえん」が「濡れ縁」だと知ったのはたぶん小学生も高学年になってからで、
「ぬれーん」と耳で覚えた低学年の私は、
数年間「ヌレーン」という外国語だと思い込んで、
勝手に女性の名前のような気がして、その語の語源に想像を巡らした。

今までふつうの紫陽花を、
こんなにきれいだと思ったことはなかった。
じっくり見てみると、その葉のかたち、花びらのかたち、
こんなに一つ一つ違う花も珍しいのではないだろうか。
同じ茎を持つ紫陽花ですら、
花びらの数がちがったり、大きさも色も違う。
「一般に花と言われている部分は装飾花で、本来の花は中心部で小さくめだたない。花びらに見えるものは萼(がく)」なのだそうだ。(Wikipedia

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矢田寺 奈良県大和郡山市
【2008/06/22 23:12】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
道行き
『吉野川のぼりゆくとき見たはずのない道行きが残す陰翳』 禰子

国道169号線は、いまや相当に走りやすい道となって、若葉マークでも、枯葉マークでも、恐怖感なく10トントラックとすれ違えるような幅員が保たれている。
大台ケ原にはじめていったとき、まだ「ここで対向車が来たらどうしよう」
というような道が各所に残っていたが、今はそれももうない。
高低差のさほどない快適な道を、どの車もけっこうなスピードを無意識に出して駆け抜けてゆく。

吉野、その奥の熊野。
『日本残酷物語』の「忘れられた土地」に描かれたような
昏く閉じられた空間はもうないようにも見える。
それでも、一つ道を分け入れば、苔むした廃車やくずおれた廃屋を見つけることはたやすい。

道は広げられてしまっても、
少し場所を換えられてしまっても、
その道を通ってきたさまざまな時代のさまざまな人たちの
「そこを眺めた」という記憶だけがさまよって、
ふと、息苦しくなるように思うときがある。
単なる錯覚というにはその気持ちは重く私にのしかかって、
何か知っていたことがあるのかもしれない、と思う。

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【2007/12/01 07:26】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
上湯川
『山原の茅原(ちふ)に しをるゝ昼顔の花。見過しがたく 我ゆきつかる』 釈迢空

ちょうど去年の今頃行ったときは、十津川から竜神へぬける県道・竜神十津川線の民宿に泊まって、その両脇に入り込んでいる集落ひとつひとつに分け入りながら寺垣内というバスの終点から少し西の古谷川というところまで行った。

県道は川に沿って、谷に近く、薄暗いところが多いのだが、
集落、とよべるものは、その奥の比較的広々とした空間や山を登りきったところに切り開いた明るい場所にある。
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民宿で食べたきのこがあまりに美味しかったので、聞いてみると「上湯川きのこ生産組合」でつくっているとのこと。道の途中で見つけたので寄ってみると、こころよく見学させてくれた。
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山の上からみると、となりの山は声を掛けられそうなくらいに近い。今ある道は単に車が通れるようにした後世の道だ。
川を使い、けもの道を使い、今のような遠回りをしない分、距離というものについての感覚は随分違っていたのかもしれない。
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【2007/06/24 08:14】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
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