「は」行のこころ
『「はふり」「ふはり」「はふり」「ふはり」ところがせば屠(はふ)るとはまたやさしき言葉』 禰子

短歌総合誌をお風呂でぱらぱらと読んでいるとき、「はふりはふり」なんて面白い並べ方をする、と思って読んだが、よく見れば「ふはりふはり(ふわりふわりの旧かな使い)」だった・・・。そりゃそうだ、よく考えなくても。

「はふる」「ほうる」
共に捨ててしまうことである。
でも「祝部」と書いて「ほうり」と読む。はずだ。高校のクラブの先輩にそういう姓の人がいたから間違いない。「はふりべ」「ほうりべ」とも読むかもしれない。
祝部といえばもともと神職の名だ。
屠と祝が同じ読みなのは、屠る方の身勝手な気持ちからきているだけなのかもしれない。
でも、もっと大きな意味での捉えかたで、この2つの意味が同じ読みであってほしい、と思った。
読み間違いを正当化したいだけ?かな。
ふと書棚をふり返ると、あるのは「常用字解・白川静」だった・・・。
屠は常用漢字ではない、はずだ。
この項、もうちょっと続く(かも)。
【2007/03/26 06:30】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
夕月夜
『ナポリタンスパゲッティとはまだ道が砂利だったころ、土曜の定番』 禰子

日曜日、子が思いがけないケガをしたので今日はめずらしく一日家で過ごした。
子とDVDでじゃりん子チエを見る。一年くらい前は、子にとっては全然おもしろくなかったようだが、今回は本人が気乗りして1枚のDVD(6話も入っている!)を2度も見た。
私はというと、小学校低学年のころテレビでよく見た。
マンガも最初の10冊くらいは持っていて、よく読んだ。
同じ大阪なのに、全然想像できないような環境(ま、マンガですけど)。
チエちゃんとは全然違う優等生の万年学級委員。なのにシンパシーを感じた。
シチュエーションは違うが、子供みたいな父親に振り回される母一人娘一人 に自分を重ねた。

夜に運動不足なので3人でお散歩に出た。
真冬に戻っていた昨日までと違って、春の匂いがする。
じゃりん子チエの影響もあって、近所にできた有名お好み焼き店に初めて入る。
・・お好み焼き屋で3000円も払うなんて絶対おかしい!
やっぱり家で焼こうと固く心に誓って戻ってきた。

あれから25年以上経って、親との縁の薄さを思う、そういえば今日は彼岸。
チエちゃんは相変わらず小学校五年生で、今日も親に悩まされている。

【2007/03/22 01:03】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ぬっぺふほふ
『ぬっぺふぽふぬっぺふほふと顕れて百鬼夜行の吾に入(い)る夜』 禰子

いわゆる「霊感」が強いわけでは決してないのだが、なぜか「おばけ」に追われている夢をよく見る。ちなみに夢の中で「おばけ」を「みた」ことはない。
ぬっぺふほふ とはつまり、のっぺらぼう のこと。
【2007/03/17 23:59】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
流し雛
『夕焼けの燃えて入る先茅渟(ちぬ)の海 荒魂雛の舟もろともに』 禰子

20070305061113.jpg

和歌山市加太の淡島神社で恒例の雛流しが土曜日にあたったのではじめて行ってきた。電車で行ったのははじめて。2時間半・・・遠かった。
今まで数度来たことがあるが、いつもどこかへ行った帰りの夕方ばかり。
普通の休日の夕方の神社に人影なぞあるはずもなく、人形だけがあちこちを凝視している異様な空間はかなりどろどろとトグロを巻いていたのに、あの二両編成の列車が朝からピストン輸送してきたであろう定年後一眼レフを購入したとお見受けする数多(あまた)の人たち(あんなにたくさんの一眼レフが半径数百メートルに犇(ひしめ)いている図も珍しいのでは)に囲まれた上に、22℃という異様な天気に見舞われ、人形達も少々調子が狂った感がありやけにサバサバして見えた。
20070305062435.jpg

神主の幼い娘達が一人ずつ紹介されて(その他の説明も含め、神主はマイクでよく喋る。娘達は巫女の装束で儀式のメインでもある)、いよいよ舟に雛人形が一体一体乗せられてゆく。そのあまりのゆっくりさに、舟は3艘もあるし、と朝からずいぶんと待って退屈していたので、鳥居前の茶店に入ってしまったら、その後作業はピッチを上げたらしく、ふと外を見ると舟が担がれてゆく(苦笑)。あわてて追いかける。
20070305061131.jpg

祝詞には間に合った。
20070305061144.jpg

舟の前にはテレビ局のカメラマンが海に潜って撮影。この人たちにむかって祝詞をあげていることになる、のかな?
引率(笑)の舟に引かれて、渡海してゆく雛たち。
20070305061158.jpg

と、皆がほうとしている間髪も入れず、解体されてゆく橋。
これをもう帰ってこないように宗教的な間合いで即座に解体するのか、実際的な理由で解体を急いでいるのかは、はっきり言ってわからない。が、やはりどちらにしても(2つの理由が混じっていても)、この橋は即座に解体することがぴったりだ。
(↓遠景に雛の舟)
20070305061208.jpg

双眼鏡を持参していたので、沖の舟を見てみる。
??
いつの間にか引率の舟に3艘の舟が乗せられている。
雛はそのまま流されずにあとで燃やされる、とは小耳に(まわりのおじぃおばぁらが教えてくれた)はさんでいたが、こんなに早々に堂々と・・・とちょっと苦笑しながら神社のほうへ戻る。
海岸では渡海したはずの雛たちが燃えているところだった。
20070305061220.jpg

最後まで残っている顔。顔は燃えにくいらしい。
それよりも恐ろしかったのは、一眼レフ愛好家になられたばかりとお見受けする数多の老人達。5メートル離れてさえ熱かったのに、シャッターチャンスをねらうばかりに火渡りの行よろしく炎と海の間(というより海の中)を走っていく。恐ろしい集団だ。
頼んでもいないのに、シャッターチャンスや撮影ポイントを誰彼となく指南してまわる。この先の日本をリードしていく気は満々らしかった。
続きを読む
【2007/03/05 06:51】 | ディープ和歌山 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
春のことぶれ
『念仏の如く呪文の如くその意味から解かれやみに触れたり』 禰子

「おとづれ」について、何度もほのめかしておきながら、なかなかもう一歩が踏み出せないでいる。
「ことだま」「たましひ」「ふり」「ふる」「ふれ」
揺れるということ、ひびくということ、言葉が、その象徴性から元の振動の伝達というところに戻ること。
人は器であるということ。器が音を発すること。器から器へ振動が伝達されること。
私の中で散らばったままの「おとづれ」を呼び寄せることはできるのだろうか。先はまだ見えない。

『拾うても拾うても、玉は皆、掌(たなそこ)に置くと、粉の如く砕けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾い続ける。玉は水隠(みがく)れて、見えぬ様になって行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬(すく)おうとする。掬(むす)んでも掬んでも、水のように、手股(たなまた)から流れ去る白玉――。』
 「死者の書」 折口信夫

20070303013935.jpg

【2007/03/03 00:30】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
| ホーム |