鬼火
『提灯(ちょうちん)が鬼火のように連なりて、人の匂いのなき田に灯(とも)る』 禰子
 
秋祭りの季節だ。
南大阪でたぶん一番多いのは、だんじり。
各町内会で、路地のいたるところまで提灯をかざっている。
帰りの電車からいつも見える光景、
駅と駅の途中に田んぼが続いているところがある。
みんなで収穫を祝うはずのお祭りだけど、
収穫はたいてい、コンバインが一人ずつ従えて終えてしまう。

今 住んでいるところにはこれといった祭りがない。
だんじりの楽しさも、鬱陶しさも、
娘はしらないまま育っていく。

年齢順に、生まれて数年のもの達から順に、
村のあらゆる層の人たちが百鬼夜行のように並んで綱を持つ。
提灯に照らされて、いつもの通学路が妖しく光っている。
地下足袋で歩くアスファルトに、細かな石を感じながら、
朝の7時から夜の10時まで、
ご飯のとき以外3日間ずっと歩いたり走ったり飛んだり跳ねたりする。
木でできたコマ(車輪)の擦れた跡、まだ新しい木屑の匂い。
鉦の音、笛の音、太鼓の音、大工方が屋根を叩くうちわの音。怒号。

知っているから語れるのであって、
知らないということは語れないことと同義だ。

どんなことにもそれは言える。
だからといって、何でも経験しさえすればいいというもんではないけれど。


【2007/10/14 02:02】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
記憶
『ひんやりと夜があけゆけば蒼天の夏の初日に何度でも居る』 禰子
 
今年の夏は空をよく眺めた。
梅雨が明けた日の朝のことを、はっきりと覚えている。
夏の空って、こんなに高くて澄んでいたかな、と思うような、
ほんとうに不思議な蒼さだった。

もう、むかしみたいに『何も孕めずただ青い空』なんてたぶんいわない。
いろんなものを内包していないとあんな蒼にはならないって、
いまなら少しはわかる。

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小学2年のころ、家の増築のために大工さんがきた。
たぶん一月以上はかかったと思うのだが、
壁の一辺を壊したのに、その部分をシートかなにかで覆ったまま、
そのまま住んでいた、と記憶している。
(時代のせいか、玄関に鍵なぞかけたことのない地域性のせいか?
今なら確実に一時引越ししているんだろうけど、近くにおばぁちゃん家があるのに、
そんなこと誰も考えもしなかったんだろう、きっと。)
毎日、学校から帰ると大工さんとおしゃべりするのが楽しみだった。
カンナで削った木屑を、「ほら、ふりかけやでぇ」ともらうと、
たちまち楽しいままごとの始まり。
今でも木材のちょっと湿ったような匂いは、
あっという間に私を小学2年生に連れ戻す。
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そんな風に、匂いというものが記憶と一番相性よく残っているものだと思っていた。

でも最近、光だったり、風だったりに
間歇性記憶の元を感じたりする。
ちょっと鉱物化してきているのか、私。
【2007/10/08 00:13】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
短歌人 10月号
舗道上に氷ひとかけ落ちていてなんの咎なのかはわからない

水潜(くぐ)る夏鳥の朝騒めきて天満を揺らす催太鼓(もよおしだいこ)

内臓と女性について語りだす束の間。天井から蒼(あお)が射す

うつそみのものとしてある夕焼けの川面が櫂を揺らしておりぬ

熊蝉が傷つかぬままころがりて後(のち)にうごかぬほどのしずけさ

まんまるの和三盆ころころ口の中ひろがってゆくものひとつあり

勺 禰子 (しゃく ねこ)
【2007/10/01 00:00】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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