車窓から 2
『「皮フ・性病・内科・婦人科」中黒(なかぐろ)で繋がれておりカナメ医院は』 禰子

毎朝、高架の上から見えるレトロな建物。
釜ヶ崎の南端あたり。
今も開院しているのかわからないけど、
圧倒的な存在感。
そういえば、南海高野線で、この駅だけ降りたことない。

                                車窓から 2007.8.3
【2008/01/31 22:10】 | ディープ大阪 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
短歌人 2月号
「ルナパーク」通天閣は山越しの阿弥陀如来を迎へる装置

ナポリタンスパゲティとは未(ま)だ道が砂利だつた頃の土曜の定番

はふり・ふはり・はふり・ふはり と転がせば屠(はふ)るとふ言の葉の哀しさ

吉祥天の怒りの如(ごと)き子の寝息くんくん嗅げばけもののこども

不自然に明るい家族が横に居るミスドの前の薄暗き墓

狂ひとはおつしやいますな此処が只あたたかいから咲いただけなり

勺 禰子 (しゃく ねこ)

【2008/01/28 00:48】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
風の道
『竹の道けふ風の道さやさやと在るを素直に嘉(よみ)せよと過ぐ』 蒔田さくら子

関西短歌人会の年末の忘年歌会に、
短歌人会の大・大・大先輩、蒔田さくら子さんがお見えになられた。
関西短歌人会は、無記名のまま評が行われ、
得票が発表されてから一番最後に詠者発表がある。
なので、この歌が蒔田さんの歌だと知るのは最後の最後なのだが、
まるで自分のために詠んでもらったと思いたいくらい、
そのときの私にはありがたかった。
いまでも何度でも頭の中で反芻してみる。
言靈(ことだま)というのがきっとあると思うのは、
いい言葉を口にすれば、身体も心も浄化されるような気がするし、
悪い言葉を口にすれば、それが身体を通って心にしみ込んでいくような気がするからだ。

『在るを素直に嘉(よみ)せよと過ぐ』
なやんでいることがたくさんあった。
あった、というより今も解決はしていない。
解決することがあるのかどうかもわからない。
それでも、
『在るを素直に嘉(よみ)せよと過ぐ』
それでいいのだと言われたような気がした。
都合のいい解釈かもしれないけれど。

長生きしただけで、何かを見つけられるわけじゃないと思うけど、
長生きしないと見つからないものもあると思った。
今まであんまり長生きをしたくないと、ずっと思っていたけれど、
生きていたい、そう思った。

世界中のどんな不条理にも打ち克つ術があるとすれば、それは
『在るを素直に嘉(よみ)せよと過ぐ』という方法でしかないような気がする。
ただ、『嘉(よみ)せよ』じゃなくて、嘉(よみ)せよと『過ぐ』なのだ。
ここで視界が無限にひろがる。

青臭いですか?
青臭くてもいいじゃないですか。
わかったつもりの言葉たちより、
その実感を手に入れることだけが生きる意味。
私には、まだまだ程遠いけれど。
程遠いけど、そこにそれがある、
そう分かっただけでも生きていけそうな気がした。


---
蒔田さんは、年齢をちっとも感じさせない、
本当に素敵なお方だった。
歌の持つ力というものに、しみじみした冬のはじめのことだった。

shimotera3.jpg






【2008/01/20 00:39】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
四弘誓願文
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無盡誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
仏道無常誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)

                            四弘誓願文(しぐせいがんもん)

ジジババ趣味仲間の元同僚に誘ってもらっていた坐禅を急に思い出して、
雪のちらつく日曜日の宇治へ。
obaku_ichiba.jpg


なんと15年ぶりの坐禅
20人ほどの集まりにちょこっと入れてもらう。
お経を読む。
声に出すということが、こんなにも気持ちよかったなんて。

般若心経のあと、説明されていなかった唱和がはじまった。
慌てて、いただいたばかりの小さな手帖を探す。
この28文字なら、毎日見ている。
四弘誓願文
恩師が鉛筆書きしてくれたものを、
ちいさな写真立てのような額に入れて、洗面台の横に飾っている。
無知な私は、最初なんと先生が書いた漢文なのかと思っていた。

この言葉を再発見できただけでも、
来た甲斐があったと思った。

そうやって、自分でピンと来たものを拾ってゆけば、
なんだかいろいろつながっている。



【2008/01/16 00:49】 | ディープ近畿(上記以外) | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
残像
『あくがれて出づる残像を筆先に集めて妖し方久斗の雨月』 禰子

感じ方のとてもあう知人が勧めてくれた「玉村方久斗展」を、
京都の国立近代美術館でみてきた。
土曜日、雨の京都。
JR京都駅のバス停はものすごい人で、日展もしているらしいのでバスはものすごい混雑。
と思ったら、ほとんどの人が清水で降りてしまった。
美術館前で降りたのはけっきょく私一人。
久しぶりの近代美術館。
2階入り口の山ばかり10点ほどの小さな絵から、もう引き込まれていた。
色使い、筆使い、毛筆のかたち、
どれも、いままでにないくらいと言っても言いすぎではないくらい、
私の好みのタイプ。

ポスターなどに使われているものよりも、
やはり雨月物語の絵巻物や、道成寺縁起などの「方久斗版古典もの」
の持つ力を強く感じた。
残念ながら忘れられた日本画家といわれるだけのことはあり、
残っていないものも多いらしい。
ネット上もあまり絵はなく、残念(国立美術館のWEBでこんなのはあった。
でも、ここに載っている分だけではこの人の作品全体のニュアンスがわからないと思う)。
もしもこの後見に行かれて、気に入った方は、
ぜひ図録を購入することをおすすめします(という私は買えばよかったと後悔)。

帰りはこれまた久々に京阪三条まで歩いた。
昔はふつーに、三条まで歩くものだと思っていた。
地下鉄が出来ていてびっくり。
いつから京都に来ていないねん、私。

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『見えぬものを切り落としたる心地して、「菊花の契」をながめておりぬ』 禰子
【2008/01/14 23:55】 | ディープ近畿(上記以外) | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
六万体 ろくまんたい
『「六万体」累々と目を見開いた地蔵が眠っているその上を』 禰子

新しい職場の最寄り駅に降り立つと、
不思議な交差点名がある。
「六万体」 ROKUMANTAI ろくまんたい
難波の方へ向かうくねりと曲がった下り坂を左に見ながら進む。
聖徳太子が戦勝のお礼に仏像を六万体つくったことに由来する・・・らしい。
そういう話を耳にすると、
六万体累々と屍が横たわっている光景を視てしまう。
素直に話を聞くというのはむずかしい(のか、わたくしには)・・・。
【2008/01/10 01:02】 | ディープ大阪 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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