短歌人 4月号
定期券を初めて買った春の日に国鉄「クモハ」もする民営化

「六万体(ろくまんたい)」累々と目を見開いた地蔵が眠っているその上を

「皮フ・性病・内科・婦人科」中黒(なかぐろ)で繋がれておりカナメ医院は

西門を出でて地上の補陀洛(ふだらく)を渡りつづけてゐる雨上がり

目を閉ぢて耳を塞げば川の彼方の琵琶の語りに揺さぶれをり

吉野川のぼりゆくとき見たはずのない道行きが残す陰翳

勺 禰子 (しゃく ねこ)
【2008/03/28 00:26】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
優等生
『優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる』 俵万智

わたし、こう見えても長年優等生でした。
俵万智にいつも共感できるわけじゃないけど、
この歌を読んだときは正直、心臓がぶぅんと回転速度を上げた。

ああ、そんな日はきっと密かに用意されて、
ある日突然わたしの眼前に立ち顕れるのだ、と。

斯くして、二〇〇八年春。
【2008/03/24 08:13】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
『沖つ波うち寄するも(藻)にいほりして行方さだめぬわれからぞこは』
                       古今和歌集 (1130) よみ人しらず

最近、ちっとも歌が出てこないので、
えいやっと角川文庫『古今和歌集』を占いよろしく開けて、
飛び込んできたのがこの歌・・・。

沖の波が打ち寄せる藻に行方をまかせている「われから」のような私です。

「われから」(岩波古語辞典)
  《割れ殻の意という》虫の名。海藻などに付着している甲殻類の一。
  歌では「我から」とかけていうことが多い。
  「恋ふわびぬあまの刈る藻に宿るてふわれから身をもくだきつるかな」
  <伊勢五七>

行方をさだめぬことを、嘆いているのか喜んでいるのか。
そもそも行方なぞ、自分で決められるものではないのだし、
沖つ波自体に流されるわけではなく、
沖つ波の打ち寄せる「藻」に庵しているのだから、
案外、嘆いているばかりでもないんじゃないのか。
行方をさだめぬのが意思であるかのように、
ものごとの流れをゆっくりみることのできる、いい場所やん、と。

昨日から雨。
沖つ波が打ち寄せる藻の中に住んでいる気分になってきた(笑)。

【2008/03/20 10:04】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
やまとうた
『やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。』 古今和歌集 仮名序 より

歌というものについて、想う。
生きているもので歌わないものはない。
知らずに森羅万象の原動力となり、
目に見えない鬼神のこころをも揺さぶり、
今生のえにしをとりもち、
死をみつめるものの心もなぐさめる。
それ「は」歌だ と言い切るのだ。
それ「が」歌(というもの) なのではなくて、
それ「は」歌(でしかありえない) という言い切り方。
古代人にとって、うたとはどんな意味を持っていて、
どれだけの範囲のものをうたと呼んでいたのだろう。

手段を問わず、「共鳴」するものすべてを「うた」と呼んでしまうなら、
風や、ケータイの振動までも、「うた」の一種なのか。
生を撫ぜるようなものすべてはそう呼ばれうるのだろうか。

学校を卒業するとき、先生が一人一人に本を選んでくれ、
そこに言葉を一つ書いてくれた。
それを今日久しぶりに思い出した。

「風は己(おの)が好(この)むところに吹く」 (ヨハネ三・八)

綱島梁川集(岩波文庫)の扉にそう書いてもらった。
いま、その本は行方不明だけれど(苦笑)、
良い言葉をいただいたとははじめから思っていたけれど、
年月を経て、また巡ってくる言葉がある。

眠れない夜は、
己が好むところに吹く風 のことをじっと考えてみる。
“それは無底に吹く風でなくてはならぬ”
なーんて小難しいことは置いといて。
それはあとからついてくるだろうから。
風を感じることからはじめなきゃ。

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【2008/03/10 01:28】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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