嗚呼、大失敗 -短歌人 6月号-
敦盛の首塚の奥「チョコレート階段」といふ奥津城(おくつき)ありて

猿田彦神社のくらさやはらかさ 何を肥やしにした?腐葉土は

マガマガと壊滅を待つ。養分といふ贄(にへ)積もり積む多井ノ畑

一ノ谷の明るさ反射せる雲が立ちはだかればあぁ友が丘

耐へられぬ軽さなぞなく存在といふ救ひあり いふ地獄あり

見えぬものを切り落としたる心地して「菊花の契」をながめてをりぬ

勺 禰子 (しゃく ねこ)

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おそらく、気づいておられる方は皆無だとは思うが、
なんと、最後の一首、
先月号の最後にも載っている!!
一応、毎月何をだしたか、控えているはずなのに。 OH NO!
今、見ると、今月分だけ、なんにも書いてない。
でも、その前の5月分を見れば、
「菊花の契」を出したかどうか、すぐにわかるはずなのである。
もー、しっかりせえよ、禰子。
古い持ち歌ばっかりひっくり返してるから、こんなことに・・・。
あふれてくる歌を毎月送っていれば、
こんな心配は皆無なのであーる。
ちなみに、この「友が丘」の歌も、
去年、このブログでしっかり書いたもの・・・。
これは確信犯ですが、
ちょっとさすがに
自分でも
呆れてきました。
【2008/05/29 22:34】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
振り子時計
bonbon.jpg

オークションで振り子時計を手に入れた。
幼いころ、自分の部屋には鳩時計があって、
なんとなく、時刻を告げられるのが恐ろしかったのだが
(今書きながら、私が多少鳩が苦手なのは、その鳩時計の鳩が
あまりかわいい顔をしていなかったからかもしれないと思った)、
この振り子時計の鳴る音は、なぜか気持ちが安らぐ。
丸い振り子の大きさがちょうどよくて、
気がつくとじっと見入っていたりする。

一時間ごとにその時刻の数だけ鉦が鳴る。
毎時三十分には一度「ボン」と鳴る。
夜中、どうなるんだろう・・・と思ったけど、
ぜんぜん気づかない・・・。
私、どんなに深く眠っているんだろう・・・・・・。
毎朝、戻ってこられることが不思議なくらいだ。

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鉦が鳴る三分くらい前になると、
「コチッ」と音がする。
起きているときはそれで、「もうすぐ鳴るな」と思う。
人も話す前に、「あ、もうすぐ話すな」とわかったりするじゃないですか?
そういう、どことなく人間ぽいところも気に入っている。
少しずつ、遅れてくるところも。
(だいぶ調整したんだけど、数日経つと、ほんの少し遅れている。
もう少し調整すればいいだけのことなんだけど、
ま、いいか。と思っている)
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よく降っている。
雨はアスファルトにぶつかって、
昔と違う音かもしれないけど、
この振り子時計が新品で誰かの家で鳴っていたころのことを
少し考えている。

【2008/05/25 01:48】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
「マッコリ」と「人間失格」と「短歌」
マッコリというのは韓国のお酒で、
わりと最近まで飲んだこともなかった。
にごり酒よりも軽い感じで、つい乳酸菌飲料っぽく飲んでしまえるところが玉に瑕。
(誰もそんなことしませんて?)
飲んだが最後、横になった瞬間熟睡体制。

中学生でもあるまいて、
どういう理由か「人間失格」が急に読みたくなって、古本屋に行った。
すると、いまどき太宰治は流行らないのか、みつからず、
代わりに井上ひさしの「人間合格」を買った(なかなか面白かった)。
太宰治と松本清張が同い年だって、知っていました?(1909年生)
生きていたら、現代人だったんだ、太宰治って。
三十九歳で死んだと言うことは、
残っている写真はすべて三十九歳より若いということだ。
うーん、ずいぶん老けてるなぁ。
カルモチンのせいなのか、女のせいなのか、時代のせいなのか、
誰のせいでもないのか・・・。
自分自身があまり変わらない歳になってきて、ちょっと微妙な気分。
高校の時の現代国語の先生が、
「太宰治の誕生日は6月19日。玉川上水で入水自殺したのが6月13日。
遺体はなかなか見つからず、6日後の誕生日19日に発見された。
誕生日まで沈んでいたいと思っていたんじゃないか、と私は思うんですねぇ」
(最後の一文、非常に曖昧。私の勝手な思い込みが創った先生の独白かも)
と言っていたのがなぜか忘れられない。

短歌は最近絶不調で、なかなか出てこない。
というより、それに割く時間を取っていなさすぎることに問題がある。
歩いていても、短歌はできるときはできるけど、
ちゃんと気持ちを短歌に向けないといけない。
結社誌への詠草は、古ネタで糊口をしのいでいる(←ちょっと用法が変ですね)。
でも、溜まっている分、なにかの加減で一度に言葉がでてきそうな気もするのだ。
(というより、「出てきて欲しいと思っている。」かも)

言葉も人生も、思うようにはいかない。
そもそも次を「描く」ということが苦手。
苦手を認めつつ敢えて言えば、
二つとも自分が思うよりも先のところを進んでいる、のだとと思う。
「人生」って、ちょっと大げさな言葉だと思っていたが、
「人が生きる」、うーん、シンプルじゃないか。

そんなわけで
「マッコリ」と「人間失格」と「短歌」が
ぐるぐるまわりながら、五月真ん中の土曜日(もう日曜だけど)。

norinaga_matsusaka.jpg


【2008/05/18 01:30】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
短歌人 5月号
おっさんが知らずに入ればジョセイシャリョウジョセイシャリョウと押し出す電車

「ご所属は?」「本朝世俗部です」という。割と真剣なんだけどなぁ。

それぞれにドラマはありて、その上で小春日和の児童遊園

ミヤザワケンジ・ナカガミケンジ声に出し、はじめて同じケンジと気づく

間断なく溶けゆく雪は状態に執着することなく転生す

見えぬものを切り落としゆく心地して「菊花の契」をながめておりぬ

勺 禰子 (しゃく ねこ)


今月は(今月も?)・・・支離滅裂です。
【2008/05/10 11:03】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
しづかにゆかむ
『こむよにもまたこむよにもあやまたぬみちえらびしてしづかにゆかむ』 
                                 茅野(増田)雅子

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たまたま手に取った本を開いて出てきた歌。
茅野雅子は大阪出身の歌人。
与謝野晶子、山川登美子とともに明星派三才媛と言われた。
・・・といって、実はそんなに知っているわけではない。
大学卒業と同時に勘当覚悟で茅野蕭々と結婚、
夫の死から4日後に66歳で後を追うように亡くなった辞世が上の歌なのだそうだ。

あやまってばかりの私に、
雅子のしづかにゆかむとする気持ちが静かに静かに沁みてくる。
歌はやはり、共有できるものがあるから共感できるのではなく、
不可視のもの(物理的にもそうでなくても)に対してこそ
語りかける力をもつのではないか と思う。
【2008/05/03 14:47】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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