短歌人 10月号
にんべんにうれふと書いて優ならば、「ゆふ」とふ音の不意にやさしき。

廃村の集会所には鍵がなく、黒板にかすれた「新住所」二つ。

軒下に凍み豆腐揺れ、山里に密やかにふたり暮らした前世。

命名の妙に惹かれて、コーナンで「鳩目パンチ」を買つてしまつた。

岸恵子みたいな女になれと言い、父があたしに飲ませた洋酒。

毒を消す、菌を殺す、と並べみて、消毒液はやさしと思ふ。

                       勺 禰子 (しゃく ねこ)


題詠ブログに提出した歌をほぼ順番に出詠しているので、
しばらくはストックがあり利息生活者の気分・・・
と思っていたらもう尽きてきた。
やはりその日暮らしが私にはあっているのだとおもう。

また、最近わかったこと。
題詠ブログで与えられた言葉を入れ込んで詠っていっても、
結局は、詠えることしか詠えない。
これに尽きますね・・・。限界論ではなく。
短歌をしている人が本当に長年続けていても新鮮な人は新鮮な理由が
そのへんにあるのだとちょっとわかった。

しかし
句読点にもさすがに飽きてきました(苦笑)
【2008/09/27 13:33】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東下り 4
大江戸天丼のあとは文京区白山にある小石川植物園へ。

途中でみつけた白山神社の秋の大祭のポスター。
どうやら手書きっぽい(こういうレアものにめっぽう弱い)。
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なぜ此処に行かなかったんだろう・・・。と今頃思ふ。
でも、寄り道を考えるにはあまりに暑かった昼下がり。
駅から植物園だって結構歩くのだ。
何かを考えるのに炎天下は向いてない。

植物園の向かいのタバコ屋さんが切符販売所。
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いかめしい雰囲気の看板をくぐり抜けると以外にも・・・
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お茶目
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(下段の左から二つ目の緑うずまきは、「蚊取り線香かぁ、さすが小石川植物園。
生態系への影響を考えてか!」と思っていた私・・・。
よくみると「フリスビー」と書いてあります。緑色は紛らわしいっちゅーねん)

でも、昔の薬園保存園というのもあったり、
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大木の並木道があったり。
8月末の太陽は容赦ないが、木陰に入るとざっと風が吹く。
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東京の起伏を考える。
なんとなくペタッとしていた東京の印象が、
この街のおかげで急に起伏を持って私に迫ってくる。
そういえば、○○坂という地名多いですね。
緑も、坂も、大阪より多いのかもしれない。
アースダイバーやっぱり読まなあかんのか・・・
『雪片曲線論』『虹の理論』『森のバロック』『ゲーテの耳』・・・
耳に心地よく、装幀の美しい彼の本をよく読んだけど、
いまいちわからんかった昔を思い出した(笑)

・・・そして、やはりここでも信じられないくらい蚊にかまれる。
その昔、赤十字からお墨付きをもらった血だけあって、蚊も嗅ぎ分けてくる。
というてるバヤイじゃないくらいかまれる。
(注:大阪では蚊に「かまれる」と言います(言いますよね?)。
関東じゃぁ「吸われる」というかもしれませんが、
私にとっちゃぁやっぱり「かまれる」が正解)
ジーパンの上からでも容赦なく。誰の断りもなく蚊はかんでゆく。
本気で懊悩しながら坂道を下っていったら、突然目の前が開けた。
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大江戸、ぼちぼち続く。
【2008/09/24 23:57】 | 番外編(江戸・琉球) | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
下弦の月 (昨日分)
月齢は二十二日を過ぎ夜空いっぱいに笑ふ喪黒福造  禰子

サイレンがあちこちから近寄ってきて、
ベランダの下を通り過ぎて、角を曲がった辺りでその音が止まる。
何台か集ってきたので、とうとう堪え切れずベランダに出ると、
東の山からぱっくりと下弦の月。
昔(高校生のころ?)テレビでやっていた笑ゥせぇるすまんの喪黒福造を思い出した。

喪黒福造の出現によって人生を狂わせてゆく人たちには、
まだなんとなく単純に救いが残されていた。
悔い改めれば、やり直せる、みたいな。
これが最近の地獄少女みたいになると、そうはいかない。
でも、今の方が昔より悪くなっている、というのは易いがそうとばかりは言えない。
私の幼かった頃、川には汚染物質が垂れ流しで、
工場の煙に毎日光化学スモッグの赤い旗が運動場に置かれていたが、
どぶ川のようだった川にも、今は魚が戻ってきていたりもする。
閉塞感を増していることもあるが、進化していることだってあるはずだ。
科学的なことだけでなく、精神世界の事物でも。
完全な悪人がいないのと一緒で、
完全な悪時代もないのだと思いたい。

大きな朱い下弦の月で、へんなひとり言になってしまった。


※昨日22日に保存したはずが、「下書き保存」になっておりました。失礼。

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【2008/09/23 00:18】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
門 ―宗助と御米の場合
三度目の『門』、十年ぶりくらいに再々読中。
しかし、肝心の部分は下記のように観念的で、特に引用の(中略)以降の部分に至っては、
「大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。」
と何のことなのかサッパリわからない。
漱石さん、そりゃないでしょ。とは言いたくなる。
でも、これはよく言われるような漱石の、
体調不良からの逃げでも、肝心な部分をなかなか書かないという逃げでもないのではないか、と今回読みながら思った。
こういう状況を客観的に語ることは不可能で、
不可能に挑戦するのが文学であることは承知の上で、
やはり文字で表すこと自体が不可能だという表明かもしれないと。
文学の限界をあっさり認めたんじゃないかと。
そうじゃなけりゃ、いくら調子が悪くても、
こんな投げ方、ありえないでしょ。
物語の三分の二まで引きずってきた二人の過去が
これだけなんですから。
ミステイクとかいう問題じゃなく、確信犯だと思ふ。

…とここまで書いて乱暴な結論に自ら失笑。
要(かなめ)の周縁をどのように書くか、の問題。
そういう意味では『門』は最後までなぜ二人の今があるのか、
を書かなくてもよかったんだと思ふ。
(これまた、かなり乱暴な結論。しかも何故「思ふ」だけが旧かななのか。笑)

---
 宗助は極めて短かいその時の談話を、一々思い浮べるたびに、その一々が、ほとんど無着色と云っていいほどに、平淡であった事を認めた。そうして、かく透明な声が、二人の未来を、どうしてああ真赤に、塗りつけたかを不思議に思った。今では赤い色が日を経て昔の鮮かさを失っていた。互を焚き焦がした炎は、自然と変色して黒くなっていた。二人の生活はかようにして暗い中に沈んでいた。宗助は過去を振り向いて、事の成行を逆に眺め返しては、この淡泊な挨拶が、いかに自分らの歴史を濃く彩ったかを、胸の中であくまで味わいつつ、平凡な出来事を重大に変化させる運命の力を恐ろしがった。
(中略)
宗助は当時を憶(おも)い出すたびに、自然の進行がそこではたりと留まって、自分も御米もたちまち化石してしまったら、かえって苦はなかったろうと思った。事は冬の下から春が頭を擡(もた)げる時分に始まって、散り尽した桜の花が若葉に色を易(か)える頃に終った。すべてが生死の戦であった。青竹を炙って油を絞るほどの苦しみであった。大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。二人が起き上がった時はどこもかしこもすでに砂だらけであったのである。彼らは砂だらけになった自分達を認めた。けれどもいつ吹き倒されたかを知らなかった。
 世間は容赦なく彼らに徳義上の罪を背負した。しかし彼ら自身は徳義上の良心に責められる前に、いったん茫然として、彼らの頭が確であるかを疑った。彼らは彼らの眼に、不徳義な男女として恥ずべく映る前に、すでに不合理な男女として、不可思議に映ったのである。そこに言訳らしい言訳が何にもなかった。だからそこに云うに忍びない苦痛があった。彼らは残酷な運命が気紛(きまぐれ)に罪もない二人の不意を打って、面白半分穽(おとしあな)の中に突き落したのを無念に思った。

 夏目漱石『門』より
  ※引用4行目の「炎」は正確には「(「(諂-言)+炎」、第3水準1-87-64)」。

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【2008/09/22 00:10】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
つい人扱いしたくなる…
さぁ、大雨のなか帰宅するか。
と、会社の扉を開ける。

??
さわやかな秋の夜空。
なんとなく光っている雲。
なーんや、と思いつつ、
でも降るところでは降り、大暴れしている模様。
この台風、先週からぐずぐずと、
「もー、はっきりしいやっ!」
と、つい関西人としては突ッコミたくなる。
低気圧なら突ッコまないのに、
なぜ、人は台風に突ッコミたくなるのか。
関西人だけじゃなく、全世界共通に?それは感じるらしく
だから台風の名前は女性の名前。
080921追記:これはわたくしの思い込み。
別に女性名だけじゃないようです^-^;)

やはり目があるからか??
そして渦巻。


…ここまで書いて寝てしまった。
渦巻のことを考えると、眠くなるらしい。?

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【2008/09/20 09:03】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
米抜きカレー
最近マジメにお弁当を作っていて(お弁当屋さんが美味しくないという理由)、
今日は昨日帰りがけにゲットしたデパ地下の中華の蒸し鶏(もちろん半値以下)と
野菜は何でもいいからたっぷり入れて持っていこう!と思ってたのに、
またご飯をセットせずに寝てしまった・・・。

で、帰宅後そのまま食べるのはちょっと・・・ということでそうだ!カレーに入れよう。
でも、ご飯が炊き上がる前に出来てしまって(だって鶏は既にやわらかい)、
うーん、いい匂い。このスパイシーな気分を満足させてくれるのは、
麦酒

あー、やってしまいました とうとう。
ルゥをアテに麦酒やるっちゅーやつを。
さらにそれのアテは思いっきり細く千切りにした生の白菜にサラダオイル・醤油・かつをぶしをかけたのと、えのきをゆがいてよくしぼったものに梅干の身を細かくたたいてまたまたかつをぶしとまぜまぜしたのをシャッフルしただけのサラダ(キャベツよりも白菜好きでしかも和風なのに生で食べられるところが秀逸)。

麦酒は少しだけ奮発してスタウト(黒ビール)。
あー、みなさんすみません。
やっぱり独りで飲むときはビールっすね。
【2008/09/18 20:51】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
しんにょう
夕映えに釈迢空のしんにょうが伸びだしてきてねろり張り付く
                                   勺 禰子

とあるWEB歌会にて出詠した歌。
お題は「人名を詠みこむ。」
やっぱ、人名といえば真っ先にこのお人を思い出してしまいます。
しんにょうが伸び出すというのに、割と共感を戴きましたが、
ねろり、は私もまだ模索中。
でも、ねっとり、とかやだし、なんか違うし。

今、書きながら思い出した。
小学生の頃、ひとりでお留守番をしていたら、
選挙中の市会議員が(近所のおばちゃんと共に)突然玄関を開けて、
私の手をとって握手して去っていった。(鍵なんてもちろん掛けていない)
あれはねっとり、やったなぁ・・・なんともはや。
「おとうさんとおかあさんによろしく」とか何か言って。
今思えば、政治家の手ってきっとあんなんなんだろう。
(ちなみにちゃっかり当選してた)

私は、といえば
ここしばらく手がぬくい。微熱気味。
もしかして今年蚊に刺されやすかったのは
微熱のせいか・・・と今頃気づく(遅い!)

あ、脱線しすぎた。
しんにょう が 伸びる。だった。
本欄明朝」という書体があって、
それの「の」をぢーーーっと見ていると、伸びてきた。
ような気がした。
最初に文字が伸びる歌を詠いたかったのは、本欄明朝の「の」のおかげです。
あたため続けて半年余り。
やっと歌になりました。

以上、作歌秘話・禰子秘話など。
【2008/09/17 21:55】 | 歌会・その他短歌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東下り 3
あんみつにソフトクリームがのってゐる 上野に「よし」と言はれてるよな


美味い蕎麦と美味いぬる燗をいただいたにもかかわらず、だ。
これで今日のフルコース完了。
と、思いきや、実はその後もありました(笑)。
夜中の漬物はなぜにあんなに美味いのか。

江戸東京博物館のすぐそばに泊まったのに、
ゆっくり見る暇はなく(あれは一日取って行った方がよさそうだ、
だって、御土産物屋だけでもかなり楽しめる←それは楽しみました。)、
用事を兼ねて小石川植物園へ。
玉三郎の「外科室」が流行ったときに一度行ったことがあるが、
あの時も猛暑の中で、半分以上記憶がない。

・・・というわけで両国に別れを告げる前に、昨夜なんだか気になっていたお店の前を通って、「江戸前天麩羅!」とほとんど嗅覚だけで暖簾をくぐる。
(ちなみに夜気になったのは「ヱビスあります」のポスターゆえかも^-^;)
わー、きれいな机。なんだか正解みたい。
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↑これは新しいのとはちゃいま。
お店は古いのに、毎日毎日、丹念に拭き続けてこうなった模様。
端っこの方との段差でそれが発覚。

天麩羅も美味なり。(漬物にも感動)
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あー、小石川植物園もいっぺんに書こうと思ってたのに、
なんだかこの天麩羅でおなかがいっぱいに・・・(つづく)

【2008/09/16 21:46】 | 番外編(江戸・琉球) | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
東下り 2
首塚のあとは、六本木の国立新美術館にて「アヴァンギャルド・チャイナ」を鑑賞。
現代中国のひずみを垣間見る。
私にとっての中国との出会いは、やはりなんと言っても「天安門事件」。
装甲車でバリバリと人を潰してゆく映像を見て、歴史って動いているんだ、
という当たり前のことに今まで気がつかなかった自分を発見。
それはかなり革命的出来事だった(いや、世界も革命だったが)。
それまでなんだかんだ言いながら、安住する場所のある世界に住んでいた私は、
文字通りガラガラと音を立てて崩れてゆく価値観を体験した。
高校3年生)。
shinbijyutukan.jpg

国立新美術館というのは去年できたようだけど、
どうやら開閉しなさそうな一面のガラスをみて、
10年後、20年後、もっと先、どんな風に朽ちてゆくのだろう、
と思わず想像してしまう。ちなみに建築費385億円!。
この風貌と建築費を知り、まっさきに思い出したのが京都は亀岡の建造物。
道の駅と学習センターを兼ねているこの建物の建築費が確か200億円!!
(私の記憶が正しければ、竣工のプレートにそう書いてあった)
きっと(そのころまだ現役だった)ご当地の大物政治家N・H氏の力技やろなと、
憶測したものだった(憶測の域を出ません。私の妄想的必然の帰結ということで^-^;)。

大雨洪水警報の次の日の東京は、降ったり晴れたり慌ただしい。
それでも屋外を移動中はなかなかいい塩梅に降らない。
上野の演芸場に行くと、なんと「満席」。
なにかブームにでもなっているのだろうか(泣)。
がっかりばかりもしていられないので、せっかくだからと湯島天神に行ってみた。
門が見えてきたところで雨が降り出した。急いで階段を上ると大雨。
30分くらいびっくりするほど雨が降って、流れてくる水をじっと見ていた。
yushima_rain.jpg

ガラスを伝う雨もきれいだけれど、
どうしても木造建築にほっとしてしまう。
朽ちてゆくときも、木の建物は水を受け入れて朽ちてゆくが、
ガラスやコンクリートはそれを拒むだけで親和しないからだろうか。

雨上がりのすっきりした空気の中を、
坂を下って上野まで戻った。
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夜は早い目に江戸の蕎麦とぬる燗を堪能。
日本酒がこんなに美味しいとは。
江戸、すごいやん!と素直に感動した。
お店は・・・マル秘デス(笑)

【2008/09/16 00:27】 | 番外編(江戸・琉球) | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
幸福論から落日まで――しつこく椎名林檎
最近の椎名林檎は、昨日の「落日」くらいしか知らないので、
昔の歌から少し。


椎名林檎の歌詞は、
演歌というか、怨歌というか、
ある意味正統に日本のうたの系統を引き継いでいると思うが、
(ここで歌詞が読めます)
それはたとえば「闇に降る雨」の、

  貴方を知り尽くすことが譬え 可能だろうが 不可能だろうが
  満たされる日が来る筈もない
  身体が生きている限り

というような、諦め方によるのではないかと思う。
(しかしかなりド演歌調やな、今にして思えば)
それは「幸福論」の中の

  時の流れと空の色に
  何も望みはしない様に

や、「同じ夜」の中の

  吹き荒れる風に涙することも 幸せな君を只願うことも
  泣き喚く海に立ち止まることも 触れられない君を只想うことも 同じ
  空は明日を始めてしまう
  例えあたしが息を止めても

など、枚挙に暇が?ない。

ずいぶん昔、「幸福論」の
「少し位する苦労」というくだりを聴いて、
大いに笑ったことがある。

  あたしは君のメロディーやその
  哲学や言葉 全てを
  守る為なら少し位する苦労もいとわないのです

苦労は「少し位する」のが味噌だ。
それ以上になると、よっぽど強い人か、
よっぽど状況を転化できる人以外は、壊れるだろう。
「いとわない」と言い切りつつ「少し位」(ともまた言い切る)という椎名林檎に
おおっ、っと思った記憶がある。


そんな椎名林檎が「落日」のような歌詞を歌うようになって、
こんどは大いにしみじみした。
メジャーになりすぎて、寺山修司のように自己模倣せずに
歌姫として「演歌」の王道を歩んで欲しいと思う。

  「何が哀しい?」と尋かれたって
  何も哀しんでなど居ないさ
  丁度太陽が去っただけだろう
  微かな希望と裏腹に
  ごく当たり前の白け切った夕日を迎えた

  独りきり置いて行かれたって
  サヨナラを言うのは可笑しいさ
  丁度太陽が去っただけだろう
  僕は偶然君に出遭って
  ごく当たり前に慈しんで 夕日を迎えた
  さあもう笑うよ
                         「落日」より
【2008/09/13 23:57】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
落日
最近時々?話のなかに椎名林檎がでてくるので?
今日はYouTubeより。
最近これが気に入ってよく聴く。

落日


椎名林檎をよく聴いていたのは
前の仕事で営業をしていたころ。(・・・もう8年くらい前 ;)
阪神高速を走りながらよく聴いていたなあ。
大和川に夕日が落ちる頃に堺に戻ってきて、
川よりも低い波打った瓦屋根を見ながら聴く椎名林檎は
ちょっと、よかった。

以下、貼り付けすぎ(笑)。初めてYouTubeを貼ってみたのでお許しを。

歌舞伎町の女王


ギブス


闇に降る雨


本能


【2008/09/13 02:12】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
本歌取り
「踏みしだく、それゆゑ色を鮮(あたら)しくする葛花(くずばな)が隠す思ひ出。」  禰子

ちょっと前に某WEB歌会にて提出した歌。
本歌は釈迢空(折口信夫)の、

「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」

「うみやまのあひだ」という紀伊半島(というか志摩か)を巡る
旅の歌集の最初に置かれた歌。
読んでそのまま感じていただければよいので、
私が解説するまでもないのですが、
過去にこんな記事をかいたこともありました。

しかし。
今回、本歌取りという視線で眺めているうちに、よく知っていた次の歌が、
この「葛の花」の本歌取りだったということにはたと気づいて、衝撃をうける。

「この夕べ遠くゐる妻 憎しみは噴きいづる血のごとく鮮(あたら)し」  岡野弘彦

このことはどこかで言及されているのでしょうか。
きっとされているのでしょうね…。
状況はもちろんちがうのでしょうが、明らかに短歌的な空間としては
つながっています(…と思ってしまいます)。
こんな形で(しかもこんな内容で)、師匠の歌を本歌取りするとは。
岡野さんて皇室で歌をおしえてたりして、今では好々爺然としてみえたりもするが、
どうしようもない荒魂は消えることはないだろう。
ちなみにこんな記事もかいていました。
それにしても、この二首がものすごく好きだったわたしは、
何ゆえこのつながりを先月まで気がつかなかったのか。
いくつになっても、発見はあるものですね (^-^;
yushima_renga.jpg
【2008/09/12 23:24】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
阿倍野歌会
峠から眺めるときに思ひ出す 女郎のあたしを殺めたをとこ 
                                  勺 禰子

メッタ切りされるのを覚悟で出してみた今月の歌。
WEB歌会では「上の句から下の句へ、意外性のあるところへ着地する」
というお題だったので、その部分で話し合ってもらえたとしても、
自由詠の関西歌会では、そこが関係ない分、この歌の必然性がなくなる。
案の定、「峠から眺めただけでそこまで飛ぶのは無理」という意見が出る。
「峠」にも「女郎」にも、固有名詞があったほうがいいとい意見もある。
この固有名詞というのは、歌会では必ず出てくる話。
たとえば、「花」といわずに、「芙蓉」といったほうがいい、云々。
でも、これはある意味「実景」で、何故か峠、もしくは峠のようなもの、
を通るときに私が抱いてしまうある感情があり、
それは半ば普遍的で固有名詞にできない。というのがある。
でも、いくら自分の実景でも、それが普通に伝わりやすいかどうかは別。
その意味で、歌会は「流通」するかを確認しに行く場所でもあるし、
いろんな思ってもいない意見をもらうことによって削いでいくものはもちろんあるが、
それでも消えていかないもの、を自分でじっくり見極めるための場所でもある。

後半は「題詠」&「即詠」
お題は「吊る」で、20分間で詠まねばならない。
以前題詠ブログで詠んだ歌の姉妹編みたいになってしまったが、
これもいまや私の中で実景と呼んでもいい。

凍(し)み豆腐吊るされたまま廃屋の軒下の空気だけがねぢれる

【2008/09/08 00:48】 | 歌会・その他短歌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
誰がなんと言っても
先ほど、今シーズン初の 「チャルメラ♪」 が聞こえてきた!ので緊急速報(^-^)

秋です。
誰がなんと言おうとも。
どんなに大阪が蒸し暑くても!

街路樹しかないこの街に
したたかに虫も鳴いている。

私の斜め左一メートルから、
先日購入した「吉野杉 樽酒」がじっとこちらを見つめてる。。。
・・・しゃーないなぁ、
ちょっとだけ飲んであげてから寝よう。

あー、早く冷たい空気の中を
コートをしっかりと着込んで歩きたい。
早く長袖が着たくて、うずうずしてきた。
【2008/09/05 01:04】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
東下り
ゆく夏に東下りを企てて何ゆえ出発点は首塚

葉月尽の土日、東京に行って、戻ってきた。
数週間前に地図を買ったはいいが、バタバタしているうちに、案の定タイムリミット(^-^;
で、なぜか新幹線の中で急に行くことになった「某所」へ向かう途中の
丸の内は某巨大都市銀行の前で見つけた現代風大黒さま。
しかしこれはどう見ても、エンデのモモに出てくる「灰色の男たち」だ。
彼らはまたの名を「時間泥棒」。
時間を貯金できると言っては、せっせと人々の「時間」を貯金させ、
それに見合った(と思わされている)賃金を支払い、
人々はいつかおしゃべりすることも、夕日をみることも忘れて、
「時間」をせっせと貯金しだす。
時間泥棒、彼らもまた人からの時間を食べてやっと影を保つことができる・・・。某巨大銀行前、というのが、暗喩ですらなく少し苦笑。
tokyo_kurohukudaihuku.jpg
しばらく行くと目的の某所が見えてきた。tokyo_kubitsuka3.jpg
むわっとする空気。
石垣島の御嶽(ウタキ)の奥の閉ざされた空間を思い出す。
土曜のお昼時のほんの5分ほどの間に、次から次へと人が来る。
そういえば、職場近くの「一願大明神」にも、ひっきりなしに人が来る。
首塚をでてすぐ西の突き当りが「坂下門」。
首塚の立ち位置と、「保存会」とやらの幟をみて、
政治的な力関係を思わずにはいられない。
まぁ、それはともかく、皇居(江戸城)のすぐ横に首塚を許す
(というか、江戸城なら背反しないのか、同じ坂東のものとして)、
祟り神も「神」という、日本的な構造に素直に驚き。
そういえば、天神様も祟り神。
祟り神はいつでも強力で、人気者だ。
tokyo_kubitsuka1.jpg
【2008/09/03 22:15】 | 番外編(江戸・琉球) | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
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