2008年
2008年が終わろうとしています。

この文字通り激動の一年を、
静かに受け止めつつ、
お風呂に入ってきます(笑)

みなさまのそれぞれの来年が、よき年でありますように。

禰子
【2008/12/31 23:59】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
忘年会
まいど出典Wikiなので、正否は明らかではないが、
日本の忘年会の歴史は鎌倉時代もしくは室町時代に始まったと言われていて、和歌を詠むなど静かで厳かな内容だったとされている。のだそうだ。

今年の仕事は昨日で終わった。
同僚の女性と静かに(え、それは違うかもやけど)飲んだ。
思えば、お盆前の最終日も彼女と飲んだ。
今、同じ作品の仕事をしていて、思わずその内容に盛り上がる。
それぞれ、公私共にいろいろ抱えつつも、
一番純粋に「いろいろあるけどこの仕事結構好きやなぁ」
って思ってる二人なんじゃないかと思う。
そんな彼女と今年の仕事納めができたことは本当にうれしい。

明日は仕事納めじゃなくて、本当の今年納め。
静かに今年一年をふりかえり歌を詠めたらいいなと思う。



【2008/12/30 22:21】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
37.4歳
プロフィールのところに、ちょっと考えたらすぐにわかることを書いていて、
いまさら隠す必要もないので、書きますが、わたし今37.4歳。

夜、ネットニュースの見出しで、う、と気になった記事を開いたら案の定。

 「おばさん未満とおばさんの分かれ目年齢は?」
               ↓
 20代・30代・40代の女性各200人、計600人の平均回答【37.0歳】

うーん。
大体、「気になる」時点で、もうやばい。
年代別の平均では、20代が【34.3歳】、30代【36.5歳】、40代が【40.2歳】
なのだそうだ。
うーん。
でも、きっと私のまわりの友達のほとんどが、
自分がもうすぐ40代であるという意識がないと思う。
(よね?よね?)
年齢って、つまり、なんでしょう?
成長期においては、目に見える形でそれはあらわれる。
一ヶ月、半年、一年の違いはとてつもなく大きい。
でも、成人になって、とりわけ30代を過ぎてからは、
本当に個人差があると思う。
それはもちろん見た目(だけ)ではなく。
もちろん、客観的物理的な年齢はあるのですが。

ちなみにもう一つ気になっていること。
アラフォーというのんが、今年はやりましたが、
私としては、あれは一つ上のグループの人たち。
アラフォーっていうのは、バブルを知っている人たち。
私は大学一年の後半(二年だった?)にバブルがはじけて、
いわゆる就職氷河期のさきがけ。
3歳上の今40の人たちは、内定17社とか18社とかで、
内定旅行にハワイとか、そんなバブリーな時代だった。
そこのあたりを経験しているかしていないかは、
戦前生まれと戦後生まれくらいちがうんじゃないかと思うので、
ひとくくりにしてほしくないという気持ちがあります。
どっかな?

以上、年齢に敏感になってしまった打ち明け話でありますが、
でも、この言葉(おばさん)、やはり入力するだけでかなり違和感あるよなぁ。。
普段は「おばさんであるかないか」など、露も考えないでいるはずなのに、
そこに実年齢37歳がかんでくると、やっぱり気になるあたり、
素直に謙虚に「おばさん」について考えないといけないのかもしれませんね・・・

■補足(追記)
年齢は個人差があるといいつつ、アラフォーと区別しろと言うあたり、
矛盾しているのですが、でも確かに時代の共有というのはあって、
なんだか「その年代」をひとくくりにしている空気、みたいなのはあるのです。
個人的な年齢の問題とは別にして。
以上、なんか何書いてるのかわからなくなってきた戯言でした。


【2008/12/28 23:36】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
短歌人 1月号
「方言を所有する」とふ謂ふときの「所有」とは何か考へてゐる

「お子様の手をしっかりとお繋ぎく・・・」エスカレーターにまで糺される

夕映えに釈迢空のしんねうが伸びだしてきてねろり張り付く   *しんねう=しんにょう

凍(し)み豆腐吊るされたまま廃屋の軒下の空気だけがねぢれる

雨の降る上本町(うえほんまち)に毀(こぼ)たれてゆかむと近鉄劇場は立つ

今の世に電波届かぬ山ありて生駒の腹を潜(くぐ)るさみしさ

勺 禰子 (しゃく ねこ)


---
今月は早い!短歌人新年号届く。
短歌人賞(同人が応募対象。私はまだ会員デス)の発表。
関西歌会の猪幸絵さんが受賞。
うれしくて、帰宅後すぐ、封を切ったままの着替えないままで30首音読してみた。
おなかの中のあたらしい命に、彼女固有の気持ちで詠いきった「生まれておいで」。
見るたびに大きくなっていくおなかで、それでもぎりぎりまで歌会に出ていた猪さん、
こんど復帰したらおめでとうって言いたい。

猪幸絵「生まれておいで」より
  三月尽捨てたいものは捨ててゆく理由なくおまえは生まれておいで
  もうヒトの形になって ヒトになる前の記憶をなくさずいろよ
  怒るべきときに怒れるようになれモーツァルトよりGREEN DAY聴く
  精一杯おまえに仮の名を贈る 晴れただけでは祝えない世に
                         
【2008/12/26 23:56】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
ところで、禰子ですが
<はじめに>
  黒いテンプレート、少々不評?でしたので、
  ちょっと替えてみました。
  (デザインは好きだったのですが、読みにくい・化ける等、実際的な問題です)
  ちなみにこの左上のお姉さんは「こーゆーデザイン」ですので、どうかお間違いなきよう。
  またクレーム?がありましたら検討しますw


ところで、禰子ですが、実はこんな字です。

禰子   (^-^;

Vista以降の人にはすでにこのように見えているかもしれませんが、
それ以前の人にはきっと、「しめすへん」が「ネ」に見えていると思います。
正しくは「示」です。

また、「禰子」の「禰」ですが、「禰宜(ねぎ)さん」の「禰」でもあります。
禰宜:
  禰宜の語源は「和ませる」の意味の古語「ねぐ」であり、
  神の心を和ませてその加護を願うという意味である。
へぇぇ、「ねぐ」なのか・・・

「ねぐ」とは、少し今にことばを近づけるなら、「ねがふ」ですね。
ふむふむ、「ねがふ」ことを仕事にしている人だから、「禰宜」は「祈る人」ですね。
ふむふむ。

そして、「勺」は、18.039ミリリットル。
???
つまり、一合の十分の一が「勺」です。
「一合」ってのは、駅とかで売ってるアレですね、アレが入ってるのん。
最近はかわいいバンビの絵がついたの、とかもありますね。(参考写真参照)
勺:
  勺は元々、古代中国における、
  小さなコップの口縁に長い柄のついた酒をくむ用器のこと
ふーむふむ。
なあるほど。

そんなこと(どんなこと!)考えてつけたわけじゃなかったのですが、
名前って、不思議です。

akishika.jpg
(この写真、載せたかっただけかも 笑)





【2008/12/22 23:10】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑
イルミネエシヨン
この師走クリスマス色に彩られほんまにうれしいんか?通天閣

                                     禰子

金色にかがやく通天閣を見ながら、哀しくなった。
通天閣は、寒色系のほうが、断然似合う。
眼下の悪所を従えて、
通天閣は寒そうであってほしい。

違う?


【2008/12/21 22:36】 | ディープ大阪 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
東下り 5 (佃島その1)
つくだにと呼ばれし佃君のママの思へば25歳のジーンズ姿
                                (・・・字余り)

今年もいよいよあと半月・・・
と久しぶりに遊びにきてくれた友人の持っていた年賀状の束(今から書くところ)
を見て、やっと気づく(気づくの遅いよ!)
今年し残したこと・・・として、東下りシリーズが天麩羅で止まっておりました。
・・・と思って調べたら、小石川植物園で止まっておりました(^-^;

ということで、小石川植物園から○△坂(失念)を上って電車に乗り、
向かったところは 佃島。
超高層ビルを背景に大掛かりなセットとして再現されたような長屋が続く
へんてこで不思議な町。
じっと見つめていると、どちらがセットなのかますます混乱してくる。
ここの心臓部は佃一丁目で、今でも橋が周りとの境界線を作っている。
(詳細はWikipediaでどうぞ)

最初に気になったのがこれ。
tsukuda1.jpg
銭湯「日の出湯」の男女入り口の横それぞれに設置された、
傘立て。・・・というより傘収納箱?
昔、傘って結構高級品ではありませんでしたか?
それにしても、雨の日には男女それぞれ14人しか入れないのだろうか。
それとも家族で二本くらいの傘で小走りにやってくればもう少し人数入る?
などと、いろいろ想像は膨らむ。

ビニール傘や百円傘が出てきて、
傘はずいぶんぞんざいに扱われるようになってきた。
盗られても、雨が降っていれば困るというだけの話で、
傘に対する愛着を持つようなことは減ったのかもしれない。
父がやや物マニアであったので、雨の日に重厚な傘を手に会社に向かうのが、
なんとなく晴れがましそうであったのを思い出した。

なんだか長くなりそうなので、佃島、続く(笑)

補足: 佃君は小学校一年生の時の同級生
【2008/12/14 20:53】 | 番外編(江戸・琉球) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
スパイシー
この前、こんなHPを見つけてちょっとハマッてしまいそうになった。
           
あのひと検索SPYSEE スパイシー

説明に、
「SPYSEE はセマンティックウェブ技術を使い、ウェブ上から人と人の関係を見つけ出して見える形にするサービスです。」とある。

セマンティックウェブ技術てなに?

要は “メタデータ(何を意味するかを表す情報)を一定の規則に従って付加し、単なる収集ではなく、知的収集をコンピューターにさせる” ということらしい。。。
わかったようなわからんような。
というより、この一定の規則がすべてのカギなのだろうけれど、それがわかんない私にとっては、一定の法則とやらは脳味噌ほどのことをしているのと同様に思われ・・・

とにかくたとえばこんな感じ。
折口信夫
(いつも引き合いに出してもうしわけないですが、もう著作権は切れているし、有名人だし、
その他いろいろあって、ゆるしてください)
右の相関図が、もにょもにょ動いてなんともいえない感じですねー。
他の人のとかみても、結構間違ってたりはするんですが。
でも、どうやったらこういうものを作り出せるのか、理系オンチな私にはまったくわからない。
それはさておき、
今回、この上記リンク先の右中央(よりちょっと上)にある動画「猫は折口信夫を読まない」というの、
これ、一瞬かつての私の家かと思った。

黒猫がいました。アズハルという本名の、通称ぷーさんが。
そして折口信夫全集がころがっていた。

ぷーさんに天国(か地獄)で逢ったら、
わんわん泣きたい。

poo.jpg
【2008/12/13 21:57】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
俊徳道 (しゅんとくみち)
身毒(しんとく)の道は続きて冬空に枯れたる里も踏み分けてゆく

東大阪に「俊徳道」という場所がある。
これは、謡曲『弱法師(よろぼし)』、人形浄瑠璃・歌舞伎で上演される『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』、説経節『しんとく丸』等で有名な俊徳丸伝説の俊徳丸が通った道、ということで、俊徳丸の話は現代でも、『身毒丸(しんとくまる)』として折口信夫が命名した名前を使って、寺山修司の天井桟敷を経て、蜷川幸雄が上演している(よね?)息の長いお話だ。
もう亡くなった後藤明生が『しんとく問答』という俊徳の歩いた道を実際に歩いたエッセイ(?)を書いている。(?が付くのは買ったのにまだ読んでいないから ^-^;)

継子いじめ、観音信仰、因果応報、(現代版では禁断の愛も含む)、とベストセラー間違いなし的な要素を盛り込んで、謡曲・浄瑠璃・歌舞伎・説教節・演劇・小説・漫画まで・・・題材になるというのはそれはそれだけですごい。
よっぽど俊徳丸の「キャラが立って」いたんでしょうか・・・。
それとも、本来は「道」の方にキャラが立っていたのでしょうか。
近くにいながら、まだ歩けていない。
少し寒い冬空の日を選んで、歩いてみたいと思う。。
(風邪なおしてから歩きや、と突っ込まれそうですが、ゴホゴホ)
【2008/12/12 22:11】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
忘れるかなぁ・・・もう
いただきものの杉(あれれ、檜?)の木片をいっぱい詰めてある袋をお風呂に入れて、
ご機嫌で(つまりなーんにも考えないで)湯船につかっていたら、出てきた出てきた、短歌。
「メモメモ!」と思うけど、お風呂の近くに筆記用具置いてなかったし、出たら寒いし、
ビシッと決まってたし、キーワードも三回くらい頭の中で唱えたので、
「出るまで大丈夫やろ、ふふん♪」と思いシャンプーしてリンスして、本読んで・・・
出てきたら、、、、

あ~ん、
ありますよね、よね?
歌詠んでる人、こーゆーこと、四十回くらいは。
(>本読んで・・・
   ↑ここが決定的に悪かったのは認めます)

面倒くさがらずに必ずメモしましょう ^-^;(みんなしてるって?)。
そして、できればお風呂でメモできるグッズ、など知っている人がいれば教えてください。
そして、歌ができたあと、2つ以上のことをするのは控えましょう。
(んー、これは年齢にもよるやもしれませぬが)

今となっては
>ビシッと決まってた
かどうかも、甚だ疑問。。。

今朝、ヘンな夢をみた。
普段は立ち入り禁止でちょうど特別公開、みたいなところの前で待たされているのだけど、
いざ、入ろうとしたら、みんなが警備員さんにも入るように勧めている。
そしたら、その警備員さん、とつぜん、
「えー、わたくしは今から旧かな使いでマイクで喋らせていただけるんなら、
入ってもよござんす。でも、そんなことさせてくんないでしょ??」
というと、みんな「いいぞいいぞー!」とやたらウケている。
で、なんかわかんないけど、私も楽しくなって笑ってる
・・・という夢(だったと思う、多分)

「旧かな使いで喋る」って、、
なんぼ夢でも、あんまりな夢やなぁ・・・


【2008/12/10 23:18】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
出口
バースディ、ということで、苗字のないあの方のニュースが載っていた。

適応障害 の前に、「慢性の」 というのがプラスされたらしい。
Wikiの病名の判断基準の中に、こんなのがあった。

・ストレス因子が排除された場合、半年以内に症状が軽快すること。

ということは、「慢性」 が追加されたというのは、ストレス因子は排除できません
と医師団が認めてしまったということ。
自分とは何の接点も(たぶん)ないとはいうものの、
ちょっと考えてしまう・・・。
弱いとか強いとかラッキーとかアンラッキーとか別にして、
身につまされる人は多いと思う。
「かわいそう」 というのとも絶対違うし、
「誰が悪い」 とも思わない。
前向き、じゃなくてもいいから、あきらめじゃなくて、坦々と受け入れる日々
・・・が彼女にもくればいいな と思う。

建設的解消したし飼い猫も疲れた飼い猫飼育係も  禰子 (本歌

samgetan.jpg
あー、
寒いから鶴橋で参鶏湯(サムゲタン)食べたいっ


【2008/12/09 21:49】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
顔が好きかどうか、というのは公私関係なくどんな関係でもかなり重要だと、
以前からうすうす感付いてはいたのだけれど、
最近やっぱり確信を持つようになってきた。

代表例でいうと申し訳ないのだけれど、中上健次。
誤解の無いように(!)言うと、好きな小説家は?
と聞かれたら、必ず中上健次は入ります。
『枯木灘』を読み出したが最後、嵌ってゆく世界、
『木の国根の国物語』を読んだが最後、「知っていた」と錯覚してしまう世界、
『熊野集』の中の、私はどの主人公でもあるような錯覚。
嫌悪感を感じつつも、読まずには居られない。
句点のない人生のような文章。
彼の小説がなければ、人生ぜんぜんつまんなかったんじゃないか、
とさえ思うこともある。
・・・でも、やはり何度見ても彼のポートレートは受けつけられない。

もうじっくり話すこともないであろう知人が昔、
「麻原彰晃の顔写真をもし見ていなかったら、たぶんオウム真理教に入っていただろう。
でも、あの経典に顔写真が載っていて、『(信用したら)アカン!』ってわかった」と言ってた(笑)

言葉は危うい。
言葉は魔物だと思う。
もっと、第一印象を信じて生きていいんだと思う。
というか、第一印象は決してないがしろにしてはいけない。
とこれは、最近しみじみ思う。
最初に、あかんかも、って思ったらやっぱりそれはあかん。
最初に、いいかも、って思ったらきっとそれはいい。
それは思い込みなんじゃなくて、直感というのはきっと正しいということ。

ってなこと言いながら、短歌って (^-^; 言葉やん?

でも、短歌って、顔 だと思う。
嘘つけないから。
ちょっと違うかな?どうでしょう?
【2008/12/09 00:52】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
忘年歌会
今日(7日)は忘年歌会だった。

いつもどおり13時から17時まで、一首ずつ出詠した歌を批評しあって、
簡単な立食パーティが2時間。
その後二次会があって、それから古い喫茶店で濃い珈琲を飲んでから電車に乗った。

一応一年の締めくくりなので、関東から、中部からの人も参加して、
こうやって、誰に強制されたわけでもないこの集まりが
結構好き。

ふつーの歌だったり、「好きだから」「嫌いだから」で歌評する人がいたり、
それもいいと思う。
有名無名の人が、同じ土俵で無記名であーだこーだ言う。
もちろん、大体歌柄から誰の歌かわかったりすることも多いけど、
この人の歌だろう、と思っていたら以外な結果、ということもたくさんある。
(一番最後に得点発表と作者発表がある)
そこではじめて、歌単独で見ていたはずの自分が、
実は、なんとなく作者を想定した上で歌評していたことに気づく。
この人だったら実験的なこの歌もOKだけど、
普通の人がこれを詠んだら反感を買う、みたいなことも思ってしまったりしている。
それはマイナスプラス両面あって、
確かに一首だけで立っている歌も歌だし、
確かに作者がわかって初めてわかる歌、というのもあるのだ。
それはもう作者が一つの物語になっていて、
「いい・わるい」の話じゃない。

「いい・わるい」といえば「定型」についてもそう。
定型は窮屈なのか、は正直わからない。
でも、定型に言葉を入れるとき、
自分 というのが揺らぐ瞬間があって、
そういうときの方が、自分勝手じゃない自我
というのが垣間見えるような気がして、
それで定型が好きなのかなーと思う。

って、何のこと言ってるかよくわかんないですね。
大乗仏教と小乗仏教はやり方が違うだけで一緒です、みたいな。
・・・
説明が苦手
もう寝よう。


雨の降る上本町(うえほんまち)に毀(こぼ)たれてゆかむと近鉄劇場は立つ
                                         勺 禰子
【2008/12/08 01:15】 | 歌会・その他短歌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
秋鹿
諸々の報告を兼ねて春日大社へ。

寒いっ、髪の毛を触ると冷え冷えだ。
今年一番の冷え込み。
透明のひかりがきれいだ。

朝わりと早いというのに結構たくさんの人が居る。
中国・韓国からの観光客や、高校の修学旅行生が多い。

驚いたのが鹿の顔。一ヶ月前よりずいぶん穏やかになっている。
(二ヶ月前なんて服をちぎられた!)
どの鹿もここちよさそうに座っていたり、ゆったりと歩いている。
やはり角の有無だろうか・・・
kasuga.jpg

参道の灯篭は大小さまざまで、いつ通っても人のようだ。
見られている感じがとてもする。
ここを最初に歩いたのはもう20年くらい前なのかも。
それ以来、なにかにつけてご縁がある。
親戚がいるわけでもないし、小さいときに連れてこられたわけでもない。
どちらかというと京都によく連れて行かれた。
でも、気がついたら奈良が好きだった。
ルノワールの絵を何度見せられても、やっぱりゴッホが好きだったみたいに。

帰りの電車から、いつも気になっていた光景をパチリ。
でも、あんまりうまく撮れなかった。
再来年までに、あの廃墟(だよね?)、どうにかするのかなぁ。
heijyo.jpg

平城の壁よみがへりその前のボウリング場の廃墟かなしも   禰子 

生駒トンネルは昼潜ってもやっぱりかなしい。
トンネルを出たら、眼下一面に大阪が広がる。
すっかり冬の景色になっていた。
ishikiri.jpg
【2008/12/07 01:05】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
はじめて
Blogのテンプレートを替えてみた。

以前のはおなじみコレ↓(記念に入れてみました)
pre_temp.jpg
(基本的にボーダーが好きなのかも ^-^;

このBlogも丸2年過ぎて3年目に突入した。
この2年を簡単に言えるべくもない。

こういうときこそ三十一文字にぎゅっと凝縮できればいいのだけれど、
それがなかなか言うことをきいてくれないのもまた三十一文字で、
にゅるん、とはみだしてしまったり、
ぽろん、と転がっていってしまったり、
でも今日は寒くて半解凍状態のままだったりします。


【2008/12/05 22:50】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
本を読む花冠の女、あるいはウェルギリウスのミューズ
昨夜、新聞の販売員さんに聞いてみて、たまたま手に入ったコロー展が、
もうすぐ終わるので、それじゃあということで神戸に行ってきた。

コローと言うと実はあまり名前と絵画が結びついていなかった。
なので、思い入れもなにもない、タブラ・ラサな気分で行った(タダだったし)。
風景画はあまり気持ちに入ってこない。
人だかりを通り越して、気に入ったところでだけ立ち止まる。
ちなみに、絵画をみるときは、キャプションは見ない(後で見る)ことにしている。
有名な「真珠の女」は、やはり本物は写真とぜんぜん違った。
キラキラしている。
図版や絵葉書だと、目が死んでいるのだが、
実物は生きている。
こんなに混んでいて、高い拝観料を払ってまで、みんなが観に来る気持ちも
ちょっとわかる。

今日気に入ったのは次の二つ。
ブログに載せていいものかどうか、著作権のことがきになったので、
あちこち調べてみたが、どうやら大丈夫のようなので、載せてみます。

「モルトフォンテーヌの想い出」
モルトフォンテーヌの想い出


「本を読む花冠の女、あるいはウェルギリウスのミューズ」
本を読む花冠の女、あるいはウェルギリウスのミューズ

どちらも、やはり本物の質感がないのが残念。

「モルトフォンテーヌの想い出」は、湖と空の銀鼠色というか、
灰色でも白色でも銀色でもない。
あとで読めば枝の向きなどに、思想?が反映され分析されているようだが、
そんなことは美術史にとっては大事かもしれないが、
本物の前ではなんのたしにもならない。
なんともいえない色をしていた。
その色あいだけで、好きになった。

「本を読む花冠の女、あるいはウェルギリウスのミューズ」は、
えー、そんな設定?という感じがしないでもないのだが、
それを越えて絵画から伝わってくる素直な感じが、
観るものをも素直にさせる。

やはり「1点モノ」の威力はすごい。
美術展が大きな顔をするのもちょっと納得。
でも、博物館・資料館などにある、日常を支えてきたものたちと、
価値が違うかというとそうじゃないと思う。
個人名のない日用品や、いわゆる「工芸品」、
無名のものの上に個人崇拝の時代がちょこっとあるだけで、
座や工房のことを忘れがちだ。それ以前の名前さえつかない「作品」のことも。

個人も時代も両輪だから、
どちらのこともよく見つめてみないとわからないなー、と
そんな当たり前のことを・・・

【2008/12/01 00:30】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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