釜ヶ崎
あいりん福祉労働センター 夕闇の底ひに灯りはじめるひかり   禰子

昔釜ヶ崎について、詠んだ歌
通勤経路(というか、通勤先その他)が変わったので、もうしばらくそれを見ない。
その結界(と敢えて言う)の一番中心部分に入ったことはたぶんなかったと思うが、
ぎりぎり周辺を歩いたことは何度も何度もある。

ちょっとした縁で、『釜ヶ崎風土記』の続きをまた読み始めた。
昨年夏、たまたま頼まれた古本を引き取りに行ったとき、
目について衝動買いしてしまった不思議な本。
作者は一年間この街に棲みついて、これを記したという。
ここ、がどんなところか知らなくても、
何かに導かれるようにして結局釜ヶ崎に辿りついてしまう人たち、
というのがあるというのだ。

土地の霊というのが確かにあるというのは、実感として持っている
そして、それは人間のそれよりずっとずっと長いスパンのものだ。
その土地土地の神を鎮めるために祭りをする、
昔の人たちの発想はいまの私たちがどんなに想像しても想像できないくらい、
急所を押さえている、と思う。
【2009/03/30 00:53】 | ディープ大阪 | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑
短歌人 4月号
木偶(でく)ならば木偶の勇気を人ならば人の勇気を夜は明けねど

漆喰と雨に塗りこめられながら折口信夫全集を読む

「訴」といふは「逆方向に切り込みを入れる」と電子辞書のたまひき

いちばんさみしいときにあなたは不在とふヘモグロビンの足りなくて嗚呼

匂ひから君とひとつになつてゆく隧道(とんねる)のやうな闇さへ光

もうなにもしんぱいせんでええんやと言はれてるやうな「おやすみ」の声

                                   勺 禰子 (しゃく ねこ)


短歌人4月号・70周年記念号が届く。
「発刊の辞」(昭和14年創刊号より再録)が表紙裏に載っている。

  (前略)斯くて樹立すべき吾々の短歌世界は、
  生命の本質に於いては、勿論普遍性を持たなければならないが、
  その特殊性に置いては、千種万様に開花すべきものであり、
  しかも互に譲ることなく、互に犯すことなく、燦然と、整然と、
  更に又粛然たる一世界を形成すべきである。(後略)

ちょっと、本気で久々に感動しました。。。
あまりにも明快に真理が記されていて、
感動、とかも通り越した静かな気持ちで充たされる。
いつもの約2.5倍のボリュームなんと292ページ。
結社外からのさまざまな歌人や装幀家の方からのメッセージ、
座談会、インタビュー、特集作品、その他その他…
宝ものな一冊だ。

そしてこの記念号の私の歌は…
探しても探してもなかなか出てこない…
と思ったら、会員2のトリに載せていただいている。
素直に、うれしい…。しばしこの分厚な冊子の重みを受け止める。

…で、二十秒くらい余韻にひたったあと、
「ん?」
…勺 彌子…彌子…ヤコ…??
えっと、勺 禰子(シャク ネコ)です!漢字はこちら
変換するときは禰宜(ねぎ)としてから宜をトルツメしてくださると便利です。
どうぞよろしくおねがいします!(笑)

毎月掲載されないけど原稿に振り仮名振ってたのを、
かえって邪魔かなぁ、と最近書かなくなっていたような気もするので、
やっぱり「ネコ」ってわかったほうが変換しやすいわっと反省。
入力したり校正したりしている人のご苦労が、
よぉくわかるので(というか、普段逆の立場です)、
読めん名前にした私が悪いんです(平謝り)と素直に思ってます~。
と、そんなこんなの短歌人4月号、読むのが大変!なうれしい悲鳴。
【2009/03/28 00:05】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(9) | page top↑
かくもわずかな差 ―偶然と必然―
先日、御神籤の歌を載せましたが、
あの御神籤は私が本当に引いた「大吉」の御籤です。

  初めは冬の枯木の葉おちて花もなく
  淋しく此末如何ならうかと気遣ふも
  其内に春となりて
  花さく如く末よき運なり
  何事も慎め
  退屈せず時を待てば必ずよし

大吉というにはあまりに翳のあるこの詞をいただいて、
物事の裏表へ思いを馳せないわけにはゆかなかった。
夕闇がすぐ裏の卯辰山を黒くしはじめた金沢のひがし茶屋街で、
かなしいわけじゃないのに泣きたくなった。


・・・?アレ
偶然と必然について書くつもりだったんだけどなぁ。
大吉と凶のことになっちゃった。

今日はまだやるべきことが残っているからして、
偶然と必然についてはまた後日。
【2009/03/27 00:19】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
花鎮め
ひらかむとする蕾(つぼみ)から零(こぼ)れたるかなしき音を人知るなゆめ   禰子


今にも桜が咲きそうだ。
と思っていたら、ほんとうに昼から少し咲き出した。
明日は雨の予報。
まだ蕾だからきっと大丈夫。
それにしても早い桜。

毎年読んでいる本を昨年遠くに置いてきてしまい、
読めないまま去年の春が過ぎた。
今年は必ず読もう。
花の咲き誇る季節に花を鎮めて疫病を抑えようと、昔の人は考えたらしい。
私は毎年、『桜の森の満開の下』を読んで花を鎮めていたらしいことに、
また春が来てやっと気がついた。
花鎮め、って花を鎮めるというよりは、
花の下でおかしくなってしまいそうな人の心を鎮めるのだろう、きっと。

fuse_tsurumijinjya.jpg

元歌
『薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ』 岡井隆
【2009/03/21 22:39】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(11) | page top↑
詞書(ことばがき)
---詞書(ことばがき)---
面白いと思ってはいたが、通常詠む歌の中ではなかなか使わない。
というか、使えない。短歌人も会員は詞書入れられないし(同人は一行くらいOK?)。
でも、お笑いなんかで、ネタに入る前、冒頭になんか喋るじゃないですか?
あれは詞書の流れをくむんじゃないか、と思っていて、
だけど家にはテレビがないので、いまいち最近のお笑い事情わからず、
やっぱりテレビもいるんじゃないか、と思い始めていた今日この頃、
WEB歌会にて、題詠「詞書」!
ということで詠んでみた一首
(笑、↑これ、ブログの詞書 ^0^)

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ひがし茶屋街は菅原神社―別名「小さいお宮さん」―にて引きし神籤(みくじ)第二十七番、
「初めは冬の枯木の葉おちて花もなく淋しく此末如何ならうかと気遣ふも
其内に春となりて花さく如く末よき運なり何事も慎め退屈せず時を待てば必ずよし」
を開きみて詠める一首

大吉と凶のあはひよはかなけれ廓(くるわ)に春を待つ娘(こ)らのため
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長っがーい詞書(笑)、だって長くしたかったんです。
ちなみに詞書は詠者によって、多種多様、面白かった。


kanazawa_kazuemachi.jpg

金沢に行ってきた。
ふっと時空のねじれに紛れ込んでしまいそうな場所だった。
切符紛失事件もあり・・・今思うと、狐につままれたような失くし方。
見つかったんだけど(失くしたすぐそこで)、ほんとにしばし紛れ込んだのかも・・・
と今になって思う。
【2009/03/19 00:53】 | 歌会・その他短歌 | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑
求む!情報。 ―楽しいだけなら、別の観光地へ。
今朝、短歌人のTさんから情報をもらった。新聞にすごい広告が載っていたという。

奈良は媚びない。―楽しいだけなら、別の観光地へ。

うーむ、これはすごい。
―楽しいだけなら、別の観光地へ。・・・か
うーむ、だれやろう、こんなある意味ギリギリのすごいキャッチ考えたのん。

Tさんもおっしゃっていたが、
以前小池光さんが「短歌研究」の特集「結社で歌人はどう育つか」(2006.11)の中で、
「・・・今回の特集は結社での作歌指導ということだが「短歌人」は右のようなシステムなので「指導」などということは考えていない。「指導」を欲する人はほかの結社に入られればよい。・・・」
と言われたのとちょっと似ている。

ちなみに小池さんの上記の論の前後をかいつまんで記せば、
・・・「短歌人」は主宰ではなく編集委員制度を採っているので、誰かが白黒つけるわけではないし、誰かに白黒つけてもらいたいという希望を短歌人では適えるのは無理である、ただし会としての判断はないが個人としてなら無論ある、そして編集委員というのも選挙で決まるので選ぶ選ばれるの相互関係にあり大いに「民主的」であるが、風通しのいい面そりゃ矛盾もあるが、矛盾のない組織というものもまずないので、そんなシステムで今日に至っている、そんな短歌人でわたし(小池氏)は「指導」をされたことも、望んだことも、したこともない、結社は指導・被指導の機関ではなく場を提供するところである、いろんな人が影響しあいそれぞれ高め深める、その人がどれだけ伸びるかは本人の動機の深さと熱意意欲の持続と才能とそれなりの野心等であり、結社という場を前向きに活用する積極的な思考法である・・・
(「短歌研究」2006年11月号 特集「結社で歌人はどう育つか」より抄訳)

Tさんは関東の人なので、もしかして関東限定の広告か?
近鉄の広告みたいだがHPを見てもよくわからない。
Tさんは「春日大社に佇む淑女の写真」とおっしゃるが
多分近鉄のイメージガール(???)を一手に引き受けてるT下K子だと思います、
その淑女(もしやT下K子を知らないのかも?)

上本町にはもっとマトモ?なキャッチのポスターしか貼ってなかった。
求む!情報。
【2009/03/14 23:21】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(11) | page top↑
お水取り(十一面悔過法要) 補遺
一つ前の日記のコメントに、動画はミクシィで(友人限定)、と書いたが、
探してみたら、このブログにも自分の動画を貼れるみたいなので、貼ってみます。
1258年も絶えることなく続けられている伝統中の伝統が、
ポストモダンでもある、という不思議を聴いてみてください。



拍子とか音階とか跳び越えて、そこにある音の塊。

うろ覚えだが、ベートーヴェンの音楽を聴いたアフリカの音楽家(普通の人?)が、
「これはいい曲だけど、音が単純すぎる」(というようなことだったと思う)
と言ったというのを思い出す。西洋の音符で表される音階では音色が少ないのだ。
それを基準にしてしまえば、
はみ出してしまった音はどこかの音階に集約されてしまう。
西洋だって、ドレミファソラシドだけじゃないはずなのに。
♯や♭も超えた音があるはずなのに。

記録できるものと出来ないもののせめぎあい。
拍子もそうだと思う。3拍子と4拍子の間があって当然だ。
そのときウタで表現したいものを自然に表現しようとするのに、
およそ記録というものは性質的に相容れない。
口承芸って基本的にそういうものだろうと。
日本の祭礼のウタは、実際聴いてみたらそんな感じがした。

火の塊と、音の塊に圧倒されて、
修二会の儀式は、言葉を獲得する以前の魂が、言葉を獲得し、
ひとつのかたちになってゆく過程をあらわしているようにも思えてきた。
だから毎年また只の塊からやり直すのだと。

五七調は、かたちを持つ前の塊の記憶を持っているのかも…
などと、誇大妄想は音階も拍子もわたしの脳味噌も飛び越えて、
どこかに霧散してしまった…。
でも、そのかけらを少しずつでも集めないといけないと思う。
【2009/03/13 22:27】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
お水取り(十一面悔過法要)
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一般に「お水取り」の名前で知られる東大寺二月堂の「修二会」、正式には「十一面悔過(けか)法要」をみてきた。
ロープが張られ出入り禁止になる前に入れば、二月堂の上でも見学できる(今まで知らんかった!)「お松明(たいまつ)」、これが「お水取り」と思われがちだが、これは「お水取り」の行法をする練行衆の道案内をするための松明で、連れ立って上った僧は堂の中へ入り、案内の終わった松明が火の粉を吹いて堂のまわりをかけめぐるのが、よくテレビでやっているやつのこと。僧(というか、練行衆)は11人。なので、松明の数も最高時11本。普段が10本なのは、一人は用意をするために先に堂に上がっているので、道案内が必要なのは10人(最後の日だけ、「お水取り」に下の若狭井に全員で行くので11本必要)、ということらしい(・・・という説明を聞いたつもりだけど、もしかして多少聞き間違いがあるかもしれませんので、正確にお知りになりたい方は、各自お調べくださいませ。相済みませぬ。また、若狭井のリンクは去年行ったホンモノの若狭井の日記へ飛びます)。
「十一面悔過(けか)」というのは、本尊が十一面観音なので、その観音様に去年1年の懺悔(悔過)をする、ということらしい。

午後7時になると、堂内の明かりがすべて消され、長い石の階段の下からメリメリという音が聞こえてきて、ふわりと暖かくなる。松明がやってきた。
完全に天井に火がとどいている。異様なメリメリ音は、小さいとき辛うじて見たことのある正月の獅子舞みたいに、松明そのものが生き物のような迫力を増しつつ近づいてくる。その火の粉を後ろから箒で掃き清める係りの人もいて、メリメリ音や、観衆のざわめきとはうらはらに静寂を感じる。
神社に行っても手も合わせない日々がずいぶん続いたが、最近はやはり普通に手を合わせる。そのほうが、結局のところ気持ちが落ち着くことに気づいたからだ。
でも、今日はそれとはまた別の、なんとも言いようのない気持ちになって、初めて「手を合わせずにはいられない」ような気持ちが湧き上がってきて、気がついたら手を合わせて巨大な火の塊を拝んでいた。あの昂ぶりはなんだったのかな、と思う。全国に火祭りの多いことを思う。
ちなみに、松明がそばを通るときは、上記の「ふわり」どころではない。業火だ。

松明が終わってから午後8時半ごろまで、堂内で行法を聴聞していたが、
その話はまた書く気力があれば。
一言だけ書いておくとすれば、帰る間際に聞いた法螺貝の旋律が、何故かビョークの音楽のリズムや音感ととても似ていた。不思議といえばかなり不思議。

二月堂の後ろでもやもやと雲に隠れていた月は、
帰宅途上、空なんか見ずに歩いていてもまぶしいくらい光っている。
見上げると満月だった。

ふと昨日短歌人のみはるさんがブログで紹介されていた柳原白蓮を思い出した。
柳原白蓮は、女性歌人の紹介をしている新書で読んだのが最初で、そのままほとんど忘れていたが、今年に入ってすぐ、たまたま仕事で彼女の記事(といってもゴシップ記事のようなものが大半)を目にする機会があり、また読みたいと思っていた。
家に着いて、道浦母都子『女歌の百年』(岩波新書)をぱらぱらめくる。


「ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらで生けるかこの身死せるかこの身」
                                    『蹈絵』 柳原白蓮

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【2009/03/12 00:48】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
少々悪趣味ですが…再登板。
流し雛のニュースをしていたので、
2年前に行った加太の流し雛を再リンク(再リンクっていうんだろうか?)。
少なからず、ショッキングな写真を含みますので、
心臓の弱い方、人形の嫌いな方はご遠慮くださいちゅーほどでもないです(笑)

本日(昨日)3月3日の大阪の最高気温6度(たぶん)。
2年前の3月3日の和歌山の最高気温22度(上記ブログによる。多分そんとき確かめたはず)。

うーーーん、気持ち悪いがな、そんなに暑かったら。


今日はお昼に外を見ながら、
「あ!硬い雨降ってる!」と思った。
それは、霙ですよ、ミゾレ。禰子さん、大丈夫?

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今日の一言
は、うーん、前回のインパクトが強すぎて。。。(あ!これって悪口??)
言葉はコトダマだから、大切にしなくては。
コトダマはヒトダマですからね。綺麗じゃないと、ね。
【2009/03/04 01:04】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
くしゃみする回数で知る春加減
寒冷前線と花粉前線が一度に来て、
寒いのに目がしょぼしょぼ。
ここ数年、花粉により春の到来を察知する季節敏感症な体に
でも、来週にはお水取りも終わって、
正式に春がやってきます。

ということで、テンプレートも少し春らしくしてみました。
「見れなくなったぞー」とか、
「字が薄くてRO眼にはこたえるぞー」とかいふ人は、
どうぞお知らせください。
ご希望に添えるかわかりませんが、検討だけはしてみます(笑)

シャクネコ
【2009/03/02 23:00】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
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