2009年大晦日
今年もあと10時間ほどで終わり。

昨夜なんとか年賀状を書き終えて、本日午前中に投函。
その足で鶴橋商店街にお正月の買出しに行ってきました。
一応メモしていったのに、あんまり関係のないものをたくさん買ってしまったような(^-^;

毎朝通っている商店街のすぐ裏手に、とても綺麗な、
というより「美しい」お漬物を売っているお店を発見。
スグキと蕪と白味噌(ちょっとお高めだったけれど、手作りだったのでつい)を。
その他、新鮮な食材がてんこ盛り。
(食材と打って最初に出てきたのが贖罪…うーん。)

ハードだった2009ももうすぐ終わろうとしています。
これからパソコンを切ってとりあえず、いらないものを捨てて何とかこざっぱりと
お正月を迎えたいと思います。

今年も読んで下さったみなさま、ありがとうございました。
歌になかなかたどり着けない一年でしたが、
沈潜しているものは少なくないと思います。

みなさんそれぞれに新たな年でありますように。

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鶴橋人情市場

【2009/12/31 13:40】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
定型
最近、どうも定型からはみだしている。
今月号も、自分では不都合なく定型に収めたつもり、だった。

が、よくよく数えてみると上から順に

5・7・5・7・8 (惜しいっ)
8・7・5・7・7 (初句8って)
5・8・5・10・5 (4句10って…)
5・7・5・7・7 (!)
9・5・5・7・7 (初句9って)
5・7・5・7・7 (!)

うーん。
どうでしょうか。
それでも、読んでみると自分ではそれほど違和感ないのですが。
よく、破調は【必然】がないと成功しないと言われます。
たしかにそう。基本の器があるのですから、それを崩すなんてよっぽどの理由がないと。
その理由がひとりよがりかそうでないか、入れ替えが不可能かどうか、
そのあたりが必然の分かれ道、でしょうか。
私は、初句が字余りになる傾向にあるように思います。

先日、某ネット歌会に出した歌も、自分ではすっかり定型というか
ちゃんと短歌の器にのっていると思っていたのですね。。。

時たまはひとりがつつりとんこつのらうめんの匂ひにわしづかみにされる
(57599)

……。
下句だって、思いっきりあふれてるやん…。
しかし、これはなんとなく自分的には必然的なのです。
たしかに一般的必然性をもつかどうかはちょっと疑問。
しかし、一般的必然性を獲得しよう、と心の底では思っていないかもしれない、という噂も。
(誰や、そんな噂流したの)

こうやって、自分では誰にも迷惑をかけていないつもりでも、
いつの間にかはみだしていることって、きっと他にもいっぱいあるような気がしてきました。
というか、ありますね。。。
実害を蒙っている身近な人には申し訳なく思っています。

定型、というのはそのときどきの脳味噌やからだと深く関わっているものだとあらためて思う。




【2009/12/30 00:26】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
短歌人 2010年1月号
2010年1月短歌人表紙 (表紙デザイン 倉本修)



かなしみの鳥居と見ゆるそこここは潜(くぐ)ることのみ玉津交差点

一番困らせたくない人を困らせて秋の底ひの底ひただよふ

「大職冠」といふ名のバス停だけ残りいい人だつたのかも鎌足は

雨上がりふたり食みにし蔘鷄湯(サムゲタン)骨をしやぶりてをる間のしづか

かかつてこんかいと大概は思うてる美禰子のやうに強くなけれど

君帰り河内にひとり眠る夜の君の匂ひのすれば、泣かぬよ

                  勺 禰子(しゃく・ねこ) ※1月号から会員1に。
         


  補足
    4首め、詠草提出はたしか「食み【た】し」だったと思うのですが、
    「食み【に】し」になっていました。
    でも、「食みにし」のほうがいいかも。ということで、
    「食みにし」にさせていただきますm(_ _)m ←いいものはとりいれませう柔軟に(5・7・5)
【2009/12/27 22:56】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
降誕祭
傲慢なをとこイエスの話聞き幼き吾に「恥づ」は芽生えり   禰子

いわゆる典型的な高度経済成長期以後の「無宗教」な家で育ったはずが、
公立幼稚園(当時は1年でした)に入る前の今でいう「年中さん」の年に、
近くのプロテスタント教会の「ナースリースクール」というのに通っていた縁で、
高校入学まで日曜学校にちょこちょこ通っていた、という経歴を持つ。
私の両親はといえば、たまに義理で顔を出す程度でもちろん信仰心もなかった。
私以外は家族そろって熱心な信者の家庭に育った友達が多く、
「イエスさま」はすでに彼らの中になんの疑問符のつく余地もなく、
最初から完全無欠のものとして存在していた。
わたしは4歳のときから宗教の持つ傲慢な部分の格好の餌食として、
日本のごく中流家庭にありがちな中途半端な信心深さの日常生活の中で、
時に元旦に神社の前で「禰子ちゃん、それは偶像ですよ」と日曜学校の先生に呼び止められたり、
時に秋祭りにだんじりを曳いていて「禰子ちゃん、そんな偶像を曳いてはいけません、
かみさまはイエス様だけなのです」と言われたり、また言われるのを畏れたりしながら
「かみさま」について考えさせてもらえたのは、
今から思えばずいぶんありがたい出来事だった。
それにしても、イエスが物語の中で無謀とも言える自信に満ち満ちて何かを断言するとき、
「わぁっ、どうするんやろ、恥ずかしいっ」
といつも頭の中で思っていた、私。
昔はずいぶん恥ずかしがりやで(そこで笑わないように!)、
且つ、「正しいのは私以外のもの」という思い込みがあった。
それもイエスの傲慢(?)な振る舞いを否応なく見せ付けられていたからではないか。
(違うって?)

そんなこんなのクリスマス。
本日夕刻から原因不明の蕁麻疹に苦しんでゐる。。。

追伸;
午後零時過ぎ、少し治まってきました。明日は普通にお仕事できるかな。
【2009/12/24 22:48】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
「地上」―佐々木靖子―
敬愛する酒井佑子さんが佐々木靖子名義で1987年に上梓された「地上」をある方に貸していただいて読んでいるところ。
あちこちで言っているかもしれないけれど、蒔田さくら子さんと、酒井佑子さんのお二方にお目にかかって、初めて長生きしてみてもいいかもと思った。それまでは人生は60年あれば御の字と思っていたのだ。
でも、80代70代を、年齢の恩恵を享けつつも年齢を感じさせずにいらっしゃる姿を拝見して、私も密かに長生きしてみたい、と思うようになったのだった。

「地上」、本当は全部手書きで書き写したいくらい。
ほんの一部を自分の記録のためにも抜粋させていただきます。
感想…などはとてもまだ書けません。
きっと何年もかかりそうだ。
何年もかかりそうなものの何と多いことよ。


「地上」―佐々木靖子― 前半部分より

 かにかくに逢はざりしかな緑垂るる草の鉢いだき帰り来りぬ (草の鉢)

 しなやかに足折りて坐るわが少女見つつし母の心にはあらず (ジョバンニ・ガブリエリ)

 悲しめる吾のこころにしみとほり現し世ならぬアレルヤの声

 木の花の匂ふくらやみ唱ひ終へからだあつき人に並びて歩む

 まぼろしに見し街角を通り過ぎ酸(す)の走るごとく人恋ふるこころ

 何に祷らむ今の心ぞしやうしやうと朝日さす森に歩み入りゆく (寒き顔)

 涙ぐみ言ひつのる子と歩み来て道の上に若き柿の実を踏む (父の朝寝)

 時のまに光移ろふビルのはざま壁落つる水はきらめきやまず (オィディプス・夏)
 
 あらくさは刈られてしるく匂ひ立つひそひそと夕の霧いたる庭 (一日の荷)

 煩ひの多かりければ昼の街に脂垂るる肉を食ひてわがをり

 あるいは病みあるいは怨む眷属を措きて来しかば清き街の灯

 凍りたる如月の空ひとすぢの水脈ほどの青澄むを悲しむ (一年)

 木のもとに昨(きぞ)のはだれの消残りてあはれはつかに雪の匂ひす

 袋ぐるみ塩供へある神の前ふたり礼(ゐや)せりわらはべの如

 逢はざればひと日のおもひ降り沈むひそかに朽ちて匂ひ立つまで

 はじめより終り見ゆる目しまらくは瞑(ねむ)れと言ひてくちつけにけり

 ふた月に足痩せてやや緩くなりし靴君が手に脱がされにけり

 しらしらと心醒めつつ何しかも身はあくがれて朝川渉る

 青年のごとく加速して走り去る車見送りて道の上に立つ

 講終へて出でゆく時に自愛者のかがやくばかり美しき貌(かほ)す

 身を責めて言ふ一語すら美しきを聞きてをり心ふかく蔑(さみ)して

 いちしろきやつでの花に虻来てをり耳鳴るばかり昼のしづけさ

 追ひ及かむ人もあらぬに野の上に午(ご)を過ぎし冬の日は照りみつる
【2009/12/23 02:02】 | 歌会・その他短歌 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
おん祭り など
気がつけば、という表現もぴったりしすぎてびっくりするほど、
気がつけばあと十一日と一時間弱で今年も終わり。
しかも、二十一世紀のはじめの十年、ゼロ年代の終わり。

濃い十年の幕切れを飾るにふさわしい濃い一年だった。
濃厚なのは…珈琲とか、お酒とか、そういう嗜好に関するものだけでいいです。

十二月の今のところ二日のお休みは、
六日、短歌人関西忘年歌会、
本日、久々に夕方まで一歩も家を出ずゆっくり。

休みではなかったが、十七日午後三時過ぎに仕事に待ち時間がポッカリできて、
夜戻ってくればいいことになったので(結局、夜に来なかったので翌朝六時にスタンバる)、
去年仕事で間に合わなかった、春日大社のおん祭りの「細男」を観に急いで電車に乗る。
ちょうど間に合って念願を果たせたのだが、
途中一瞬吹雪に見舞われたりして、盆地の寒さはあなどれなかった。
おん祭り、は春日大社の一番若い神さま、若宮が、
普段居られる若宮本殿から「お旅所」というところに「移って」また本殿に「戻る」というお祭り。
お旅所へ移ったあとは、本殿祭でお祭りの無事を祈り、
お渡り式というパレードのようなものと競馬があったりして(と書きつつ見たことはまだありません^-^;)
その後、「お旅所祭」としてお旅所の前で舞などの奉納が延々と繰りひろげられる。
本殿←→お旅所の移動は行きも帰りも真夜中に行われて、写真撮影厳禁。
つまり「若宮さまの(自主的もしくは強制的に行われる)年に一度の移動」
という行為の証拠写真は撮れない、ということ(と理解しました)。
一体なんのために日本の神さまはよく「お渡り」するんだろうか。
自主的か、強制的か、というあたりにヒントがありそうな気がするけど。

「細男」
ほそおとこ、じゃありませぬ。
せいのお、と読みます。
「お旅所祭」の中で「お旅所」仮御殿の前の「芝舞台(芝居の語源だそうです)」で舞う。
神功皇后の故事にちなむものとのことで、

 筑紫の浜で、ある老人が「細男を舞えば磯良と申す者が海中より出て干珠、満珠の玉を献上す」
 と言ったのでこれを舞わしめたところ、磯良が出てきたが顔に貝殻がついていたので覆面をしていた

という不思議な話が伝わっていて、白い浄衣を着けた六人の舞人が出てきて最初にお祓いを受け、お旅所に礼をしたあと、おもむろに白い長細い布を出して顔を覆う。
そして小鼓、素手、笛にふたりずつ分かれて、進んだり後退したりしながら舞う。
これが単調な不思議な舞なのだけれど、なんとなく見ていて飽きない。
芸能のルーツにつながっているらしいのですが、不勉強なので詳細は省略(というか、書けない)。
ちなみにこの「仮御殿」、屋根は青松葉で葺かれていて、「野営」の雰囲気濃厚。
中央に、大きな、不思議なかたちの提灯(?)がぼわっと灯って、
じっと見つめていると、自分が今何時代にいるかわからなくなる不思議な念力の籠もったおうち、だ。

祭礼や踊り・舞は、今の私たちからみると「なんで?」と思うような取り決めや方法や
「どこが面白いの?」ということも多いかもしれないけど、
たとえば貝殻がついていて「見苦しい」にも関わらず、舞わなければ(みなければ)いけなかったいきさつや、「見られてはいけない」にも関わらず、「お渡り」しなければならなかったいきさつを考えてみるのは楽しい。
そういうことって、自分にあてはめてみても、有るはず(よね?)。
「にもかかわらず~ねばならなかった○○」というもの。
ただ、それらは明確な「理由」を考えると行き詰る。
最初から目的があるのではなく、理由はいきさつが語る、
というほうがわかりやすいと思うようになってきた、この頃。

細男

【2009/12/20 23:58】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
冬なのにほたる
もう十五年も前に、まがりなりになんとか分量だけは揃えた卒業論文の一行目が次の歌だった。

 物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る  和泉式部

古典に造詣が深いわけでもなかったし、ましてや日本文学科ではなく、哲学科だったというのに、
なんで一行目がこれやったんやろ、と思う。
たぶん、高三のときに通っていた予備校の古典の先生がテキストにしていた新書サイズの小さな本の冒頭がこの歌だった。その先生は「いわゆる予備校の先生」っぽくないずいぶん年配の先生で、あんまり人気もなくて気の毒な感じさえする先生だったけど、基本的なことをきっちりと話してくれて、私は結構ちゃんと話を聞いていた、と思う。そのときに「あくがれ」の「がれ」が「離(か)れ」だと知ったのかどうか、もう覚えてはいないけど、そのようにしてたましひは遊離する、しかも「あこがれ」という今でも日常的に使われる言葉が、人の命さえ左右する言葉だった時代があるんだ、ということが強く印象に残って、その後の私の何らかの方向付けをしたのかもしれないとさえ思う。

ちょうど病気で入院中に書き上げた卒論は、もう読み返すのも赤面ものなのだけど、ここでも何回か書いているかもしれないけどそのころはまだちょこっとノートに門外不出の短歌を書き留めるだけだった私が、十年ののち、いくらかきちんと向き合うかたちで歌を詠みはじめたのだから、その不幸な卒論ももう一度読み直して何を書きたかったのか昔の私の意見も酌んであげなければ、と強く思うようになってきた。

ちなみに卒論のタイトルは「折口信夫による古代日本人の霊魂観念」(すでにうろ覚えですが たぶん)

   なんちう怖いもの知らずのタイトル…。

以上とりとめのない雑感でした。


【2009/12/15 00:18】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
電飾中之島
上本町で仕事のあと、中之島へ(仕事です…)。

毎年、こんなふうになってたのか。最近の事情をしらないけど、
とにかくプチルミナリエ状態になっていました(実はルミナリエも行ったことない)。
だいたい、天神祭の船渡御なんかも「動く電飾」といえなくもないので、
大阪人はもともとぴかぴかしてるものが好きなんかもしらんけど、
やっぱりなんとなく違和感がある。
キリストを待つ人々は、
年末にそわそわいそいそとした晴れがましい気持ちになるのかもしれないけど、
正月の方が基本的に大事な(大事だった)このお国柄では、
年末というのはもっとまがまがした気持ちになる(なった)と思うのだ。
そして、息を潜めるようにして正月を迎える(迎えた)。
と、ごくごく個人的な感覚(錯覚)かもしれないけれど。

この師走クリスマス色に彩られほんまにうれしいんか?通天閣
                             禰子(初出2009.3短歌人

電飾中之島

あー、今日は帰宅したときは零時には寝ようと思っていたのに。不可能ではなかったのにな。。。
きもちがへたってしまってから、寝る力も弱ってしまった。
【2009/12/08 02:22】 | ディープ大阪 | トラックバック(0) | コメント(9) | page top↑
極月
「月極(つきぎめ)」 ではありません(笑)。

十二月、師走、極月(ごくげつ)。
はやいはやい。
毎年早いんだけど、今年は異様に早かった。。。というか長かったというか。。。

今日は満月。
「東の果てに大きな赤味がかった月がはっきりと意思を示してどおんと上ってきた(から見よ)」
とメール受信。
しかーし。
その頃ネコタマは北新地でお仕事。
(いえいえ夜のお仕事もいろいろありますので^-^;ま、接客業には変わりはないのか??)
会場はビルの8階。ガラス張りの多いビルで見えるかなと思ったけど、どうやら無理。
3時間ほど取材と販売。
帰り、ビルを出るとお月様は待ってくれていた。

20091202ブリーゼ前

【2009/12/03 00:58】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
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