短歌人 2010年6月号
手に入れるときはサインを離れゆくものには署名をする会者定離

コンビニと言ふくせインフルの略語ゆるせないかなりゆるせない

序説とか序章にいつも縁遠く大抵本論のただ中だ

乗り、越える。二つの動詞を恙無く成さむと来迎図を見て思ふ

選べないことの多さよ決定権あるはずもなく有限を生く

賛否も是非もなく闘ひの連続を生きるほかなき野中広務は

天ぷらがすきです特に紅しやうがそれから冷めた翌朝の茄子

                勺 禰子(しゃく・ねこ)

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学校のあと、書類を取りに天満まで。
大川と緑がきれいだった。
学校の前も熊野街道。
八軒家浜は熊野街道のスタート地点。
時間があれば、3キロ足らずの道を北上したかったけど、そうもいかないので地下鉄で。
1日が早い。
したいことがいろいろあるのに、あんまし進まず。。。

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あんまし、の【し】は大阪弁、なのかな。
【2010/05/28 00:03】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
012:穏 (勺 禰子)
穏やかな眠りはすこし触れながらそれでも連れて行つて呉れない
【2010/05/26 03:18】 | 「題詠blog2010」 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
011:青 (勺 禰子)
青くても青くなくても刈上げた後頭部に浮き上がる動脈
【2010/05/26 03:03】 | 「題詠blog2010」 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
010:かけら (勺 禰子)
かけらでも並べてみたら探してるものかもしれないのに眺めてる
【2010/05/26 02:49】 | 「題詠blog2010」 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
009:菜 (勺 禰子)
「揚げさんとシロ菜の炊いたん」食べたいと言うた昨夜の声が遠いよ
【2010/05/26 02:42】 | 「題詠blog2010」 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
やよい連句会
5月4日のことになるが、
初めて「歌仙」なるものを巻くという機会に恵まれた。

昨年、偶然に再会した高校の時の先生(というより、高校の時は直接面識がなかったのだが)に誘っていただき、初夏の陽気の中、懐かしい(と最近言える様になった気がする)堺に出かけた。
俳句・短歌をする人もあるが、ほぼ「連句初体験」という11名で(もちろん私も初)、
先生に最初に連句の歴史について学び、その後作り方について学び、早速実践あるのみ!
とウンウン唸りながら、とりあえず今回は順番に関係なく、思いついた人はどんどん出していく、という方法で提出。
ちなみに、連句とは簡単に説明すると、
575→77→575→77→575・・・と順に36回続けていくちょっとひねりの利いた連想ゲーム
というと簡単すぎる、か。
そのほか、季節によって詠む題材がきまっていたり、
36の句にしてもひとつずつ、何を詠むかが決まっている。
たとえば、今は暦上では初夏なので今回の歌仙は「夏」で
最初(発句=ほっく=これが独立して俳句となった)から順に書くと
◆表六句「夏」「夏」「雑」「雑」「秋の月」「秋」
◆裏十二句「秋」「恋」「恋」「雑」「雑」「雑」「冬の月」「冬」「雑」「雑」「花」「春」
◆名残の表十二句「春」「雑」「雑」「雑」「夏」「夏」「雑」「恋」「恋」「雑」「秋の月」「秋」
◆名残の裏六句「秋」「雑」「雑」「雑」「花」「春」(挙句=あげく=挙句の果てはここから!)
とまぁ、こんな風にきっちりと題を決めつつ(ふえぇ、打つの疲れた><)、
かつ前の句と着かず離れずの連想を持ちつつ、複数人で繋いで一つの作品とします。
表六句とか裏十二句というのは、本来は紙を折って計4頁にわたって連句を書いていくのでその記載位置の ことです。
また、季節は「新年」「春」「夏」「秋」「冬」の5つに分かれています。

詳しくは連句などにあたられたい。

捌き手(進行役)のM先生と、参加者のみなさまから許可を戴きましたので、以下掲載させていただきます。

やよい連句会 歌仙『威風堂々』の巻

◆表六句
 五月空威風堂々鯉泳ぐ   綾子
  なつかしき顔つどう緑陰   直子
 あれこれと弾む話は道逸れて   宏子
  衝動買いにまたも後悔   達弥
 弓張りの矢に射抜かれし虫籠窓   尚美
  土手の草むら蜻蛉飛び交う   健太郎
◆裏十二句
 形而下をひたすらに咲くおみなえし   禰子
  デー トの場所もネット検索   安龍
 何歩目で手をつなごうか帰り路   知春
  秒針だけはつつがなくゆく   禰子
 天井に浮かんで消えるフェニックス   友子
  未来永劫各駅停車   博美
 そそくさとシャッター通り寒の月   安龍
  おひとりさまの鍋はよく売れ   宏子
 減税も子ども手当も間に合わず   博美
  応急処置の耐震工事   安龍
 あでやかに衣(きぬ)一面の花乱舞   綾子
  橋のたもとに揺れる陽炎   尚美

◆名残の表十二句
 若草の堤に犬と寝そべって   友子
  後輩たちの伸び目覚しく   健太郎
 麦茶から麦酒に変わる十年後   禰子
  市民レガッタ光る川波   宏子
 木屋町を歩きたくなるぬるい夜   知春
  我を呼ぶ声聞こえたような   友子
 親しんだコロンの香り思い出す   博美
  お堂に満ちる護摩を焚く煙(けむ)   宏子
 月天心ねぐらに帰る靴の音   安龍
  庭の畑にピーマンの色   健太郎
◆名残の裏六句
 仕事終え猫を追い出し秋刀魚焼く   綾子
  藁しべ長者の藁はこれなり   友子
 これからは人に頼らず生きていく   博美
  絵蝋燭の灯照らす足元   綾子
 環濠の街に流れる花筏   直子
  柳芽吹いて物売りの声   安龍

  2010年5月4日 満尾  於・露廼舎(つゆのや)


いくら題材が決まっていても、直前の句との繋ぎ方、また既に出た言葉を入れないなどのルールがあるのでその緊張感といったら、結構やみつきな感あり。
わたしの基本スタンスはおそらく間違いなく短歌なので、あちこちに手を出すと多分ごちゃごちゃになりそうだけど、短歌を知るためにも、短詩型全体を知るためにも、是非またしてみたいと思います。
【2010/05/16 01:00】 | 歌会・その他短歌 | トラックバック(0) | コメント(7) | page top↑
5月前半の前半―「蔵番」としての冷泉家―
なんだか慌しく過ごしているうちに、きっとまた書けなくなってしまいそうで、
思い出したことからぼちぼちと。
ちょっとだらだら文です。ごめんなさい。

5月に入って最初の日は、前々回エントリの中之島は東洋陶磁美術館へ。

2日は関西短歌人会歌会(上本町)。
いつもながらに面白い会そしてやがてかなしい(愛しい)会。
GWなのでいつもの半分強の11名。
そしていつも思うけど、知らない人が見たら、絶対に「短歌」じゃない人たち(笑)。
年齢バラバラ・年齢不詳・職業不詳・性別不詳?で、一瞬新興宗教かとも思えなくもないが、
いわゆる新興宗教的な統一感は皆無(←ここ太字!)だし、ほんとにこの人たち。
ん?そういう意味では今行っている学校とおんなじやん…(><)
えと、私は怪しくないので!!(ここは私のブログですからきっぱり宣言するものです)

3日は京都へ。
この日はちょっと無謀のリベンジ計画があった。
博物館3館ハシゴ計画Vol.2(別に命名してなかったけど。今つけました)
去年の同じく新緑の季節に一度挫折
でもほんとはリベンジということではなく、この季節、どうしても行きたい展覧会が多いのでこうなってしまっただけなのですが、歌詠みとしては直筆見てみたい。どうしても。ということで、まずは「冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」の開催されている京都文化博物館へ。
烏丸御池の駅を上った喫茶店で、早くも余裕の喫茶タイム(すでに10時半、目測を誤ってないか~い?)。
これが案外居心地の良いテラスで、ちょっとゆっくりまったりしてしまう。
よくある完全オープンタイプではなく、屋根もあるし、ウッドデッキだし、道路より少し高い、でも開放感はある、ということによると思われます。

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何気なく交差点プレートを見てなんだか違和感が。
「【り】アリと【り】ナシが!!あ!こっちは【り】アリやん!!」
妙に興奮気味の私に???な同行人。
そ、揃えたい・・・【り】アリか【り】ナシかどちらかにちゃんと統一したい・・・ぅ゛
すみません、軽い職業病です(元職業病、か 笑)。

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どうですか?みなさん、おわかりですね?
(望遠で撮ったため、どうも肝心な部分がブレてます(・ ・;)
その後も、他の交差点をチェックしましたが、この日見た交差点ではすべて【り】アリでした!

で、展覧会。
定家の直筆を、その墨の鮮やかさと筆致を、八百年の後の今まだ放たれている力を 感じる。
これだけ膨大な一級品の歌集・歌論書などなど国宝やその他それに匹敵するものを、
目にすることができる、ということの奇蹟はひとえに冷泉家が「蔵番」(当主の言)としての役目を徹底した賜物だ。
スキャニングの技術、印刷の技術、版木の技術がない昔、文字を伝達するためにはひたすらに「書き写す」ことしかなかった。そしてその書き写したもの、だけでなくそのこころ、も伝えようとして定家は名月記など膨大な文字にそれらを込めて残した。
だから、その過去からの宝物を保存する蔵を神殿とまでいう彼らは「和歌守(うたもり)」であって、今回の展覧会の題そのものも「冷泉家―王朝の歌人展」ではなく「冷泉家―王朝の和歌守(うたもり)展」だ。
そう、彼らはすでに歌人ではないと、彼らも、主催者も公言したのが今回の展覧会の題名だと私は思った。

図録の挨拶で、婿養子に入った冷泉家当主の言葉にその苦悩をみた。
普段のことを知らないし、冷泉家についても殆んど無知の私だけど、
冷泉家、ができることは何か、格闘した痕跡を少ない文章の中にみた、ような気がした。
「『古来風躰抄』を見ていたある瞬間」に「冷泉家の蔵番」に徹しようと強く思ったいきさつと、
冷泉家に婿養子に来たことにたいする自問自答の回答が得られず悶々とした日々のことを巻頭に書いている。

反対に、その直系?である夫人の巻頭の言には気持ちがむなしくなっていくのを止めることが出来なかった。
「現代短歌」を「少しでも人とは異なる表現を捜し、必ずしも五七五七七にならなくても、自分らしさが表れているものを良しとする。人は喜怒哀楽を表したいものらしい」とし、「歌会は公の場です。そこにあからさまな私情を表現するのは最も下品」といい、そのすぐあとの文章で「明治に「文学」を受け入れ、宮中さえも芸術になった後も、細々と「和歌」を守り続けて来たのが冷泉家である。」とおそらく美智子さんの歌などを和歌ではないのだと高らかに否定して冷泉家のその正統性で結んでいる。
音声ガイドで冷泉家夫人の声を聞いた。
夫人が一番大切だと言い切る「披講」も…。
「守っている宝」と、それを「守っている人」の違いについて思う。
当主夫人の言う「神さん」定家の本歌取りの技法は、いにしへの言葉で、そのたましひ、をつなぎつつも、否応のない今、を詠いなおすことであると私は思っていたから。

とはいうものの、勉強不足の私が八百年も守り続けたものにたいする疑問をこのように書いても、
(いや、守り続けたものにたいしてではなく、今の(しかも主に当主夫人の)姿勢についての疑問ではありますが)自分でも説得力のない反抗期の娘の戯言のように思う。
せっかくなのだから、その一端をもう少し勉強してみようと思います。




【2010/05/10 23:45】 | 歌会・その他短歌 | トラックバック(0) | コメント(11) | page top↑
誤ったときは謝りたい
ちょっと息抜きブログです。

ギリシャの国の粉飾決算で何かと物騒な世界経済ですが
(注 いかにも知ってる風な書き方ですが、ちょこっと先生に教えてもらっただけです。
私の経済ネタにどうぞ騙されないようにしてください ^0^)
今度はニューヨークの株取引で誤発注があり相場が大混乱したとか。
参考
人間に限らず、いろんなことで間違いは発生します。
私自身も故意ではなく、間違うこともあります。
そのせいで、第三者に迷惑をかけることだってあるかもしれない。
そのときにその第三者が判明している場合はやはり相手方にはちゃんと謝りたい。
ただでさえ、自分では気付かぬまま、ということはおこりがちであろうから。


というのも、つい先日、
私名義の銀行口座に以前の職場から間違って振り込みをしてしまった旨連絡がありました。
最初は事後報告の文面だったのですが、どうやら私の許可、がないと作業が完了できないそうです。
そうならそうと最初に書いてよ、とつっこみたくなる。
「即座に銀行を通じて訂正させていただきました。」
なんて言われて私にそれ以後作業の必要性を感じろというほうがおかしい。
で、その後、基本的にこちらの煩雑な作業のことをまったく想像できてないと思われるやりとりにうんざり。
はっきり言って私にはこの件に関して、なんら、まったく、1000%落ち度はないわけです。
なのに、メールを読んだり書いたりする時間を取られた挙句に、
印鑑を持って(←私が!です)窓口へ行くという選択肢まで提案してくる無神経さ。
で、この時点でいくら振り込んだかという基本的情報さえ提示せず、
時間がなければ自分で会社の口座へ振り込んでくれとのこと。
「言わずもがなですが手数料は差し引いてください」
って、それも全部調べてこちらで計算して振り込まないといかんのでしょうか。
だいたい、「言わずもがな」ってこういうときお願いする相手に使う言葉なんですか?????

あんまりなのであえてこの場に記録するものです。

謝る、ということは難しいことで、
わたしも基本的に下手なのかもしれませんが、
それでも、その時々に納得できる行動をとれるようにしたいです。
ほんとうにすばらしい反面教師です。
これからの人生、仕事で役立てたいと思う。
また、今回間違って振り込んでしまった場合に「組み戻し」という手続きが存在する、
ということもわかったので(自分で調べた)、勉強になりました。
使わされた時間、せっかくだから知識の習得として利用しなければやっとれん。

NYの誤発注の記事を見て、
つい見苦しい記事を書いてしまいました。

しかし。

人間というのは意外なところで本性が見えます。
というより、どんな細部にもその人が潜んでいるといったほうがいいのかもしれません。
私もこんなに怒りっぽいって見えてしまったし(?)
・・・というか、労働争議的なものに昔から燃えてしまう傾向あり。
前世は一揆首謀者だったのかも・・・。
気をつけたいものです(><)

ていうか、そんなことにうつつを抜かしてる暇ないねんーっ、私。
全然息抜きブログになってへんかった・・・。

さ、買い物に行ってこよ。



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【2010/05/08 18:51】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
5月に入って夕涼み?に中之島の東洋陶磁美術館へ。

地下鉄淀屋橋駅から地上へ出るとまず見えるのが大阪市役所。
その手前の屋形船っぽい(けど実際はちゃんと建物?の)お店、いつも気になりつつ、まだ未入店。
急におとづれた初夏の陽気に土佐堀川もきらきらしている(あ、川面がほとんど写ってへん)。

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現在の淀屋橋は昭和10年に完成、パリのコンコルド橋を参考にした公募作品とのこと。
コンクリートの建物としては珍しく国の重要文化財指定を受けているそうです。
名前の由来としては江戸初期に活躍した豪商「淀屋」さんが私財を投じて建てた、らしい。
この淀屋さんは「米市」で巨万の富を得て、手形などの活用によって世界初の先物取引を発案?した人(家系?)。
儲け過ぎ?が目立ったのか政府に財産を没収されたり、末裔は幕末にその財のほとんどを朝廷に納めて討幕運動をしたとか、いろいろ大変だったようですが、とにかくこうしていま橋の名前として、また大阪経済の歴史にその名を残しています。
(ウィキペディア等ネット検索による禰子まとめ、なので、話の詳細については別途お調べください)

中之島では産直のイベントなどが行われていて、絵に描いたような休日の幸せな都市みたいになっていた。それをどう思うかは個人個人で、また個人の中でも正否入り混じっていてもいいと思う。
去年「水都大阪2009」で整備が行われて以前よりゆったり散策できる設計になっている。水も昔よりきれいに思う。これは大阪のどの川を見てもそう思う。わたしの小さかったころは毎日光化学スモッグの赤い旗が校庭に出ていない日はなかったので、時代は決して悪い方向ばかりに進むものではないと実感するものです。もちろん良い方向にばかり進むものでもないことは言うに及ばず。

昨年有田に行ってから、陶磁器の美しさを再発見している。
特に磁器は人肌によって冷たくも熱くもなる生き物のようにも思う。
といって、夏に見れば暑苦しいか、そういう意味ではなくて(^-^)
夏の暑い昼下がりの東洋陶磁美術館、勝手におすすめスポットに認定いたします。

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少し東へ歩くと難波橋へ。
これも有名な大阪三大橋のひとつ。

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江戸時代には縦横無尽に伸びていた大阪の川。
それを西へ東へ南へ北へ繋いでいた大阪の橋。
今はほとんどが地名に残っているだけで、大阪の地名はほんとに橋が多い。
ちなみに大阪市内の駅で橋の名前があるのは
(以下ことわりのないのは地下鉄駅名)
淀屋橋
心斎橋
肥後橋
西大橋
四ツ橋
日本橋(近鉄も)
鶴橋(JRも近鉄も)
朝潮橋
天神橋筋6丁目
長堀橋
天満橋(京阪も)
京橋(JRも京阪も)
芦原橋(JR)
阿部野橋(近鉄)
…他にもあったらお知らせください。

橋、というのは一つの境界なので、そこに色々な物語があったはず。
もう少し沢山残っていたらなぁ、と思うが名前が残っているだけでも手がかりにはなる。

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そして上は難波橋の南橋から大阪証券取引所を望むの図。
証券取引なんて、なーんにも私には関係ないと思ってこの●年生きてきたけど、
大阪の成り立ちや今ある地名やはては文学に至るまで、
この大阪の商いなしには語れないと思うと、ちょっとだけ身近に。
前に居てはるのは五代友厚さん。大阪の恩人、らしいです。
明治に入って江戸時代の藩からの収入(各藩は倉庫収入や嗜好品や食料やとにかく大取引相手だった ま、要は利権握ってたんだとは思いますが…)がなくなって疲弊した大阪経済を立て直したとのこと。
4月に入った学校の社会見学に行くまで全然知りませんでした(^-^;
鹿児島出身で明治新政府からの任命で役人として派遣され、
その後、別の任地への異動を拒んで(大阪の人に頼まれて?)民間人となったのが34歳のとき。
『三国名勝図会』の執筆者で記録奉行の父の元に生まれ
(「記録奉行」という名前がほんとうにあるのか??なのですが、もしそうならちょっと!しました)、
もともとアウトサイダーだったのか、大阪によっぽど水があったのか、あちこち赴任を言い渡されれば動かねばならない役人仕事に「あほらし」となったのか、もっと正史には書けない諸事情があったのかはわかりませんが、
ともかく潔い性格だったのかも。
ちょっと男前なので載せときます(笑)←写真載せたかったから文章長いんや!とか言わないやうに!
だって直木三十五や織田作之助もこの五代さんについて書いている(らしい)のですぜ(笑)。

Godai_Tomoatsu.gif 五代友厚 写真もWikipediaより。

※日本史はからきし弱いので、ものすごく偏った話を纏めているかもしれません点はお許し&新たな視点をご教示いただければ幸いです。








【2010/05/05 17:00】 | ディープ大阪 | トラックバック(0) | コメント(7) | page top↑
卯月のことなど
気がつけば黄金週間も本日で終わり。

4月はもしかすると人生のうちで一番のんびりできた可能性もあったのに、
真逆の状況とあいなり終了。
こう真逆だと私に内在するものの精神病理的な分析の必要を感じます。
なんにもせんとおられんのか…わたし。
いや、でも基本的にぐうたらなことは確信しているのですが。

あー、忙しかったです。

4月から大きく変わったことは半年の期間限定ではあるが学生になったこと。
朝9時から夕方4時過ぎまで、先生の話を聞くというのは高校3年生以来。
(大学は毎日朝から晩まで授業になんか(なんか!)出てないもんね 笑
ん、正確には大学を卒業してから受講した司書講習のときもそうだったかも。)
ま、とにかくそんなわけで、授業を聞き、復習をし(予習はしてません、先生ごめん)、
テスト勉強をして、これからのことも考える、という時間を軸とした半年を過ごします。

が、殺人的だった去年1年間に比べて基本的休日は確保されているので、年に一度のイベント「新人会吟行合宿」をはじめ、諸々の行事をつつがなく終え、脱力気味のまま黄金週間に突入、そのままのペースで予定があって本日に至りやっとブログを更新しているという有様、4月中、予定のなかった日を数えると…2日。。。
かなりイケてないと思います。
入力の時間がないので、ちょっとスカスカ感を感じつつ。
5月は入力の上の出力の月でありたいと思います。

といふわけで、4月の写真のみぱらぱらと。
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【2010/05/05 14:57】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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