第18回与謝野晶子短歌文学賞
 もう一度みごもりたいと思ふ夜の厨(くりや)に水耕栽培は萌ゆ

                        勺 禰子

来月23日に堺で行われる
「第18回与謝野晶子短歌文学賞」で
篠弘さんに入選で選んでいただきました。
(入選って、いっぱいいるので、
 エントリするほどでもないっちゃないんですが^-^;)

今年は授賞式諸々が堺で行われるということで、
応募したところ、大賞!とはいかなかったのですが、
堺に住む父母はえらい喜んでくれました(^0^;

昨年の逸翁美術館の与謝野晶子短歌コンテストで
永田和宏さんに銅賞で選んでいただいて、
それまではこういうのには興味もなく、
またご縁もなかったのですが、
与謝野晶子は高校の先輩にあたるので、
それなりになにかと(勝手に)ご縁を感じる今日このごろ。

とかいいつつ、実はこの文学賞のこと
去年まで知りませんでした(すみません…)。

女学校出身の方の時代は、
まだまだ晶子のことは「あばずれ女」呼ばわりされていて、
あまり話題に出なかったとか聞いたことがあります。

私が通ってたころも、
沢口靖子はさんざん話題になってましたが、
与謝野晶子はビックネーム過ぎてw
時々、観光で見学にお見えになった方を
中庭の「君死にたもうことなかれ」の碑にお連れするくらい。
でしたねー(よね?)。

でも、高校時代にわたしはひそかに短歌を詠みはじめたので、
(サラダ記念日による!)
やはり高校は短歌とつながっているのでした。



去年の逸翁美術館のは


 おもかげを風にあたへて風の中あゆめば君は深く入り来る



以上、ご報告でした。
【2012/05/31 23:47】 | 歌会・その他短歌 | トラックバック(3) | コメント(0) | page top↑
短歌人 2012年6月号
のぞみなう。湖東の村は瓦屋根多くて火の見櫓りりしく

珍しく三列シートに指定され、しづかな母娘のとなりに座る。

また川と思ふ間もなく木曽川を越えてしまへり  旅は川と思へ

五反田を通過するとき今はなき五反田ハイツに差す夕日見ゆ

渋谷、原宿、字づらをみればフォークロア的な名前と思ふがいかが?

代々木とふ名にておもほゆ代々忠(ヨヨチュウ)の巨匠としての後半生を

原宿も新宿も宿、スクといふ業と業とがあつまるところ

                       勺 禰子(しゃく・ねこ)

3月10日に東下りしたときの旅行詠(?)です。
【2012/05/27 23:23】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
日月宙 第73号
天象儀を並び見上げて手をつなぐこと易ければこそ 触れざりき

夕映えの川面 静かに並びゐてそれでも既に駆けだしてゐた

まだ荒れてゐた吾の手を天守閣ならび見しのち初めて君は、

対義語は向き合ふ言葉たちのこと 関係性は認知されてゐる

換算表は必ず比例するものと思ふ愚に枯葉は一斉に降る

抱きしめて呉れてわかつた春風がすでに吹いてゐて凍えてゐた

惨劇といふはたやすきことならず赤き腹みせ百足死ぬとき

一斗缶下げし男のゆくすゑを誰も忘れて暮るる上町

重吉のやうに光に「いつまでもかなしかれ」とただ貫かれゐる

やはらかなはなびらが母である茄子をふふめば吾に充ちるむらさき

                     勺 禰子(しゃく・ねこ)

※天象儀(てんしょうぎ)…プラネタリウムのこと
【2012/05/27 23:21】 | 歌会・その他短歌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
短歌人 2012年5月号
みだりについて注意ラベルは思はする「みだりに車外へ出ると危険です」

立つたまま眠るペンギンたちを乗せ朝日を背中に快速は西へ

石の守人かうごかぬ入口のまつ毛をんなのまつ毛のみそよぐ

熊除けの鈴鳴り響く快速の車内の耳のあまたぴくつとす

さやうなら放たれてゆく乗客のわれて改札に収斂されて

安土町備後町の空みだされてゆく一本の歩きタバコで

夕暮れて通勤電車に霞みゆく「絆」の文字は幻めいて

                       勺 禰子(しゃく・ねこ)

5月号のアップ、失念してをりました・・・
【2012/05/27 23:20】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
7時過ぎ、ベランダから空を見上げる。
晴れているようだが、不思議な暗さ。
お弁当を詰めて、7時25分ごろ屋上へ上る。

kinkan1.jpg

飛行機から地球を見下ろしているような錯覚。
直接見ないように注意しつつ、カメラを向ける。

kinkan2.jpg

日蝕の不思議さよりも、
空の暗さに戸惑う。
わかっていても、ちょっと不安になるような感じ。
932年前の人は、どんなふうにこの暗さを受け容れようとしたんだろう。

kinkan3.jpg

ひとだまのような、
不思議な雲の尾をひいて。

8時に駅に向かって歩き出した頭上には、
いつもとほぼ変わりない明るさになった空。

【2012/05/21 23:25】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
「鳥居のなかの色町」 ―『編集会議』2012夏号掲載
編集会議2012夏

昨年半年、コピーライターや編集者・ライターの養成で
半世紀以上の実績を持つ老舗、株式会社宣伝会議の
「編集・ライター養成講座」というのに通っていました。

今までの仕事は、
あくまで結果的にみると、ですが
編んだり書いたりすることに関わってはいたものの、
創造的な編む・書くとはちょっと違ったということと、
とはいうものの、
これからも「編む・書く」ということに携わっていきたい。
そのためには一度体系的に学んでみたかった
というのが受講の理由でした。

5月から11月の初めまで、
ほぼ毎週土曜日の午後をみっちり4時間、
先生は総勢30名以上の各分野で活躍中の
編集者、ライター、写真家、新聞記者や
著作権関係の弁護士まで。
受講生どうしインタビューしたり、
結構な量のお持ち帰りの課題もあり、
講座の中でのワークショップもあり、
どうしてなかなか身に着くものがありました。
(そんだけの受講料でもありますが!)

その最終成果物としての卒業制作はインタビュー記事。
最優秀賞になったら『編集会議』という雑誌に
載せていただけるということもあり、
とにかくそれを目標にがんばろうと思い、
「えー、そんな大物無理やん!」という超ビッグな方に
「えー、そこ聞く??」というタブーな題材を聞く企画を立て、
先生にも即却下されるやろうと思いつつ出したところ、
「おもろいやん、案外受けてくれるかもやで。いこ!」
とまさかのGOサインw

さっそくアタックしたのですが、
ご高齢であることと超超超~ぅ多忙ということで、
秘書の方からご丁寧なお電話をいただきあえなく撃沈。
(実際、いつ寝てるのやろというくらいお忙しいお方…)

その時点で、締切まで2週間。
いやー、どうすんべ、わたし。

ということで一から始まった取材企画。

というなかで出てきた

鳥居のなかの色町 ―生駒 参道筋の100年―

で、ラッキーにもめでたくグランプリをいただき、
5月11日発売の『編集会議』2012夏号に掲載されました。
(勺禰子ではなく、本名で出てます)

紀伊國屋本町店では「本日発売!」と
どどーんと20冊くらい平積みされておりましたが、
実家の母は「どこ探してもなかったでぇ」とwww

はい、大きな書店にはあると思いますが、
大きくても郊外のお店にはないかも知れないですが、
お見かけの際は是非お手に取ってみてください。

特集自体も面白いです!
こちらから購入もできますよん。

ということで、若干(え、若干?)宣伝も入りつつ、
お知らせまで申し上げます。
【2012/05/12 10:11】 | なら民俗通信 & 記事 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
生駒あるくみるきく【2】 大看板が見守る酒屋の九十年
大正11年楠下酒店

奈良新聞で毎月第1金曜日朝刊に掲載される「なら民俗通信」
本日「生駒あるくみるきく【3】 受け継がれるくらし」が掲載されています。
大阪では、近鉄難波駅・大阪上本町駅の売店でも売っているそうです(Wikipedia談)。
奈良では近鉄主要駅の構内の売店か(目立たないところにある)自動販売機で。
お見かけの上、たまたま手に120円を握りしめていた方(笑)、
もしくは缶コーヒーその他を買おうとしていた方は
その手をそっと奈良新聞へ・・・(^0^)

「なら民俗通信」は連載回数200回以上の長寿コーナー。
民俗学や歴史学の先生や、行政、寺社、まちづくりなどの立場から、
いろんな人が奈良について書かれてきたこの欄に、
勺禰子、202回目から登場しています。
誰やねん!と言われていそうですが、
シャクネコというケッタイな筆名も
慣れてくると案外しっくりくるもの(たぶん)。

というわけで、今回は3月2日(金)掲載された
「大看板が見守る酒屋の九十年」をアップします。

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 生駒あるくみるきく【2】 大看板が見守る酒屋の九十年  勺 禰子
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■一枚の写真
近鉄生駒駅から、宝山寺へ上る参道筋を150メートルほど進むと、
どっしりとした瓦屋根の楠下商店が見えてくる。
硝子戸を開けて中に入ると、はめ込み細工のつやつやした彩色が鮮やかな、
年代物の大きな看板がずらりと目に入る。
欅(けやき)の一枚板で作られたそれらの看板の傍には、
セピア色の一枚の写真が掛けられていて、
若々しい初代店主の楠下俊男さん(故人)が、
家族や奉公人のほか、酒樽や大きな木箱に囲まれてこちらを見つめている。
俊男さんの次女で二代目としてこの店を支えてきた睦子さん(86)が生まれる3年前、
大正11年の写真だ。
■一升瓶も行き交った暗峠
 奈良市内で造酒屋の8人兄弟として育った俊男さんは、
大正6年に18歳で生駒の参道筋に菓子屋を開いた。
まわりが花街として急速に発展する中、3年後には酒店を開業。原酒を仕入れ、
「行進」「安楽」という銘柄の日本酒の販売を始めた。
番頭はじめ10人ほどの奉公人や女中を雇い、生駒山を越えた大阪側へも配達した。
「一升瓶が16本入った木箱を荷車に積んで、石切の酒屋さんまで
暗(くらがり)峠を3人がかりで越えてました。
1人が荷車を引いて2人で支えて、昔の人は力持ちやったねえ」
と睦子さんは振り返る。
ここにも、暗峠を活発に行き交う人とモノの流れを垣間見る。
 どこにも負けない気概で誂えられた看板は、
「店の顔」として誇らしげに参道筋を見つめている。
■たくあんとドレスとミシン
 俊男さんは、各々が朝食時に小皿にとった醤油は、
夕食時も大切に使って無駄にすることのないよう倹約を躾ける一方、
自ら樽いっぱいにたくあんを漬けて、皆に食べさせてくれた。
「もういっぺん食べてみたいわ。ずらっと干したあと、
糠にはズクシの柿を混ぜてね、ほんまに美味しかった。
お醤油はちょっといややったけどね。昭和11年に今の店に建て替えたとき、
父はまだ37歳。偉かったなあと今ごろ思てます」。
米や炭を扱う店舗を別に構え、順調に商売を広げていった楠下商店だが、
戦中戦後にかけてぜいたく品だった酒類、特にウイスキーはなかなか売れなかった。
あるときウイスキーを探して西洋人がやってきた。
俊男さんは蔵に眠っていたトリスやオーシャンを出してきて、
娘たちのためにビロードのドレスと交換してもらったという。
手に入れにくいものを交換する、交易の原風景を彷彿させる。
父は娘たちにミシンも買ってくれた。
「雑誌を見ていろんな服を作りました。私ちょっとオシャレ好きでね。
人気のあった中原淳一の絵を見つけては写して、
郡山女学校の先生のヒールにあこがれてスケッチしたりね。
男物のオーバーを勝手に女物のコートに作り直したときは、さすがに怒られたけど」
と睦子さんはいたずらっぽく笑う。
今は三代目の息子さんと四代目のお孫さんに店をゆだね、
俳画教室を開いている軽やかな筆づかいは、
慈しまれて育った女学校時代に培われたものだろう。
■心斎橋のようなにぎわい
宝山寺へ詣でる人の多さを、睦子さんは
「心斎橋よりえらい人でしたわ」と思いだす。
「お正月は向かいのお店に辿りつくのもやっとでしてん。
夜中から三箇日の間ずっと、赤いタスキにハチマキ巻いて、
お参りの人にお酒を振舞いますやろ、そしたら帰りには買いにきてくれますねん」。
かつては店内で枡酒の立ち飲みもしていた。
「芸妓さんの鼻緒の修理してる常連さんが、
夕方になったら向かいのお豆腐屋さんで出来立ての厚揚げを買うて、
手のひらに乗せたまま“熱い熱い”言うて走ってきはってね。
そのアツアツにうちの店でお醤油かけたげますねん。
仕事のあとのお酒は、そら美味しかったやろね」。
「持ち込み禁止」なんていわなかった時代。
「店」は、品物を介して人が集い、顔を見せあう場所だった。
■看板から伝わる「店」の意気込み
「あの改革があってから、あちこちにパーっと酒屋ができましたやろ。
あれからですねん」と睦子さんは少し悔しそうに言う。
流通革命の大きなうねりの中で、
小売りという「顔」の見える商売は追い詰められている。
参道筋にはもう、心斎橋のようなにぎわいはない。
心斎橋でさえ「街の顔」といえる店はめっきり減った。
「店(見世)」には、場所を定め、品物を見せるという意味がある。
今は店内に大切に飾られている楠下商店の大看板が、
21世紀の商いをどんな思いで見ているのかはわからない。
けれど看板を見上げる私たちには、
ここに店を構えた創業者の意気込みが、今も確かに伝わってくる。

(しゃく・ねこ 歌人、ささぶね編集工房) 奈良新聞2012年3月2日掲載
【2012/05/04 11:27】 | なら民俗通信 & 記事 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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