石と音と
『中東の聲明(しょうみょう)聞きながら越ゆるとき闇を増す山中渓(やまなかだに)は』 禰子

実は近すぎて、和歌浦に行ったことがなかった。
朽ち果てるにまかせた旅館がたくさんあるという。
軍艦アパートの二の舞を踏まないうちに、ということで昼前に出発した。


風化しつつある、その名も「不老橋」 
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岩山全体が御神体の塩竃神社
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いつ崩れてもおかしくないような三断橋
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岩をそのまま削っただけの階段。
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本来、生き物であるはずの石は、
見た目の風化にゆっくりと身をゆだねながらも、
それぞれの時をしっかりと生きているようにも見える。

黒い雲が近づいてきて、神社の前後2回、
雨宿りも兼ねて岩の真下の喫茶店で休憩。
あちこちの石の力を感じつつ、肝心(?)の廃墟はスパンの短い、
あまりに儚いもののような気がして、もうどうでもよくなっていた。
一応和歌浦の路を一通り走ってみる。
wakaurahaikyo.jpg

朽ちてゆくときの美しさとはなんだろう。
元あったものに、またどれだけ同化してゆけるか、
そんなことだろうか。
不老橋に刻み付けられた渦巻きに込めた願いのように、
何度でも生まれかわれるかどうか、ということだろうか。
町中の廃墟は、成仏しづらい。
今の人間みたいに?
そんなことを少し考えた。
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帰りの阪和道で、コーランのCDを聴いた。
昔の難所、山中渓(やまなかだに)の空中を飛ぶような高速道路の上で、
なぜかコーランがすっと体に沁みこんでゆく。

器があっての命と、
器がなくなってからの命を
結ぶものは音・揺らぎ、なのだろうか。

石が気の遠くなるほど長い時間抱えている音(たましひ、とも?)を、
少しでも知りたくて、
人は石をまつるのだろうか。
【2007/09/17 02:05】 | ディープ和歌山 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
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コメント
石や空、音の無いものから 音 が伝わってきたり、音があるのに、心にしみ込んでこなかったり。
音の無い世界にいる人が 音 を感じたり・・。 
 
 なんか、禰子の言葉からなんとなく、『揺らぎ』という言葉から。あ、そうかって。
 少し自分なりにわかったところがありました。

なんとも表現しがたい感覚ですが、子がお腹にいるとき常に 音 を感じていました。音波でも、胎動でもない、音 です。 
 それはあなたの何が感じていたのか?と聞かれたら、それは 命 としか言いようがありません。

 そして、ある時 音 がきこえなくなっていたとき、やはりそこに 命 はありませんでした。 
器 だけがそこにあったの。

 ああ、うまく伝わらないか・・。すみません。
【2007/09/17 14:17】 URL | ゆずみかん #-[ 編集] | page top↑
ゆずみかん

器だけでも命だけでも私たちは出逢えない。

でも、かすかな響きをききわけるすべを、ゆずみかんに与えてくれた神様に、ありがとうございますと言いたい。

音というのは、耳という器官にとらわれず、内と外から絶えず語りかける波のようなものなのでしょうか。
【2007/09/17 18:37】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
禰子

 そうだね。いまになってやっといろいろな事に感謝できる。

 付け加させてもらうと、音 として感じていなくても、それが途切れて初めて 音 だったんだな気付いた。そんな風でした。
【2007/09/17 23:39】 URL | ゆずみかん #-[ 編集] | page top↑
自然から感じること。
自然から考えること。

ぼくが存在する前からいる石。
ぼくが存在しなくなったあともいる石。
地球の最後まで存在する石。

石には時が封印されている。
石には過去から未来までもが内包されている。
【2007/09/21 19:22】 URL | 加速装置 #-[ 編集] | page top↑
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