残像
『あくがれて出づる残像を筆先に集めて妖し方久斗の雨月』 禰子

感じ方のとてもあう知人が勧めてくれた「玉村方久斗展」を、
京都の国立近代美術館でみてきた。
土曜日、雨の京都。
JR京都駅のバス停はものすごい人で、日展もしているらしいのでバスはものすごい混雑。
と思ったら、ほとんどの人が清水で降りてしまった。
美術館前で降りたのはけっきょく私一人。
久しぶりの近代美術館。
2階入り口の山ばかり10点ほどの小さな絵から、もう引き込まれていた。
色使い、筆使い、毛筆のかたち、
どれも、いままでにないくらいと言っても言いすぎではないくらい、
私の好みのタイプ。

ポスターなどに使われているものよりも、
やはり雨月物語の絵巻物や、道成寺縁起などの「方久斗版古典もの」
の持つ力を強く感じた。
残念ながら忘れられた日本画家といわれるだけのことはあり、
残っていないものも多いらしい。
ネット上もあまり絵はなく、残念(国立美術館のWEBでこんなのはあった。
でも、ここに載っている分だけではこの人の作品全体のニュアンスがわからないと思う)。
もしもこの後見に行かれて、気に入った方は、
ぜひ図録を購入することをおすすめします(という私は買えばよかったと後悔)。

帰りはこれまた久々に京阪三条まで歩いた。
昔はふつーに、三条まで歩くものだと思っていた。
地下鉄が出来ていてびっくり。
いつから京都に来ていないねん、私。

sanjyo_kijishi.jpg


『見えぬものを切り落としたる心地して、「菊花の契」をながめておりぬ』 禰子
【2008/01/14 23:55】 | ディープ近畿(上記以外) | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
澄んで美しく玲瓏とした美を表現する日本画のなかで、激情とその刹那を描こうとした日本画家の絵を、私も見ました。

わが内に潜むものが、触発されて沸き上がり、感応して昂ぶりを覚える、そのような作品に巡り会うと、あとは杯を重ねて、余韻を楽しみながら、鎮めるしか仕方がなくなります。

【2008/01/20 21:31】 URL | 矢田野三郎 #-[ 編集] | page top↑
「作品」といえるものすべては、
刹那を見ていたその瞬間をどう捉えるか、ただそれだけのはずなのに、
表現のしかたは、それこそ刹那の数だけあって・・・

方久斗の雨月物語をみて思いましたが、
絵の中の迷いのある(ように私には見えた)人のまわりには、
あの、残像のような光がこの世の仮の器である身体から飛び散っているのですが、
悟りを開いたような人のまわりには、その光がないのです。
それはある種、方久斗と正統派日本画のちがいのような、動と静に思えました。
動と静のちがいだけで、描こうとするものは同じなのかもしれませんね。

でも、静だけではなかなかそう気づかない。
いい展覧会でした。

【2008/01/31 21:30】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
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