桜の森の満開の下
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『桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子(だんご)をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩(けんか)して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足(だそく))という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。』
――坂口安吾『桜の森の満開の下』冒頭――

今年はついに、ゆっくりと桜を見る機会がなかった。
そして、かならず毎年読むことにしている『桜の森の満開の下』を
読むことが出来なかった。
安野光雅の表紙絵の、ちくま日本文学全集の、
坂口安吾がみあたらない。
それで、青空文庫で坂口安吾を検索すると、あいうえお順なので「悪妻論」なるものをみつけ、
ついつい読んでしまった。

『私は逆説を弄してゐるわけではない。人生の不幸、悲しみ、苦しみといふものは厭悪、厭離すべきものときめこんで疑ることも知らぬ魂の方が不可解だ。悲しみ、苦しみは人生の花だ。悲しみ苦しみを逆に花さかせ、たのしむことの発見、これをあるひは近代の発見と称してもよろしいかも知れぬ。』

もっともでございますが、安吾さま。



【2008/04/20 21:55】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
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コメント
安吾の言葉はいつの時代になっても心に迫りますよね。実相を見極めた人の言葉だからでしょうかね。
思えば激戦の古戦場や城跡には桜がよく咲いています。
それもまた、この桜の下にはいったいどれだけの兵が・・・と思えてきますし、桜という花自体が人の散り際の儚さを象徴しているのですね。
日本人にとって桜とは格別で、ともすれば人生や無情を表すものであったりしますよね。
はたして他にそんな草花ってないように思います。
【2008/04/21 12:52】 URL | 参議 北來坊 #V8f62WPM[ 編集] | page top↑
参議さん、こんばんは。
そうですね。
やはり桜には特別な魔力がありますね。
梅のような安定感がない。
普通に生きてきた人間が、
ふっと魔境に入ってしまうような。
古戦場の殺気はもうカラリとしてしまっていても、
なんとなく残っているものですね。
そういう瞬間(どういう瞬間(苦笑))を忘れたくなくて、
日本には桜が似合うような気もしますね。

何言ってんだか(^-^;
【2008/04/21 23:26】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
面白いー。
図書館で 借りよーっと。
 昨日 吉野に 行ったけど 世界遺産とかで 
人が多くて 興ざめ。
奥千本の桜は まだ、これからだった。

【2008/04/22 15:10】 URL | ベルメ #-[ 編集] | page top↑
梅は黄昏時や雨のとき。桜は夜桜。
桜は凄絶、梅は豊潤、馥郁。
日本人の好みが、梅から桜へ変化したこと。
豊潤から凄絶への移行。
【2008/04/23 00:06】 URL | 矢田野三郎 #-[ 編集] | page top↑
>ベルメ

吉野よりすごいところがあります。
PL本庁の桜。
花火とおんなじで、とにかくすごい数。
どこまで行っても桜・桜・桜 …。
PLは宗教界の「不思議ちゃん」やと思います。
近かったけど、勧誘されたことないしね。
一度行ってみてください!

>矢田野さま
お久しぶりでございます。
左に 梅・桜
右に京都・奈良
と配置して、「似合うものどうし結びつけよ」という問題があれば、
桜→京都
梅→奈良
となるでしょうね。たぶん、なんとなく。
いつから桜好みになったんでしょうね。
【2008/04/23 00:37】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
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