生駒
『今の世に電波届かぬ山ありて生駒の腹を潜(くぐ)るさみしさ』 禰子

昨日は月に一度の歌会。
「今の世」というのが、なんとかならんもんかと自分でも再考しようとおもいつつ、
そのまま出してしまったら、案の定指摘があった。
電波届かぬ山 というのも不要ではないか とも。
まったく同感(笑)。
どうして山上にはあれだけテレビ塔が建っているのに、
隧道の中は圏外なんだ、という思いが上の句を濁らせたと思う。

でも、下の句は何かが伝播したようだ。
それをみなさんは「ある情感」という言葉にしてくれた。

この歌を詠んだときの、
どうしようもなくあふれてくるさみしさは
こんな風に言葉になってしまった後でも、
ちゃんとあふれいるんだ と

三十一文字に 容れる
ということは不思議なことだと
あらためて思った。
togawahachiman.jpg

【2008/06/02 07:32】 | 歌会・その他短歌 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
<<大内行灯 | ホーム | 嗚呼、大失敗 -短歌人 6月号->>
コメント
むかし、山をトンネルで越えて勤めに行っていたとき、山を越えるとほっと自分の世界に戻れて安心感を覚えたことがありました。

山は人を隔て、さみしさも安らぎもあたえるとすれば、やはり人間に近しいものなのですね。

でも隧道でその腹中を潜るというのは、隔絶された別の世界を実感させます。
【2008/06/03 22:01】 URL | 矢田野三郎 #-[ 編集] | page top↑
>矢田野さま

そうですね。
その昔、人は峠を越えて境界を行き来したのであって、
随道で腹を潜るなんていうのは、
あり得べからざる景色、
ヨモツヒラサカですね。
そんな場所を毎日何十回も何百回も潜られて、
山もかなしいから、それが伝わるんでしょうか。
【2008/06/03 23:05】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
そういえば、トンネルを通るとき、
強いものではありませんが、なにかちょっと妙な感覚があります。先日もいくつも通過しました。
山に登り峠に至りまた下る、というのとは違う感覚が、トンネンルを通過するときにはあります。

山の腹に穴を空けられて、ヒューヒューしながら、人や車が行ったり来たりする、それを山の神がどんな情けない思いで、なすがままにされているかと考えると、やはりトンネルとは、かなしいところなんでしょうね。

【2008/06/04 20:53】 URL | 矢田野三郎 #-[ 編集] | page top↑
峠でなく隧道、船でなく飛行機。
ダイレクトに、直線的に進んでいるようにみえて、実は異界へ侵入しているような気がします。
もちろん、峠でも海でも「なにか」をよく感じます。
なんでしょうね。
迷信深くは決してありませんが、場所だけは絶対なんかあります!

【2008/06/10 18:38】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://chipoo.blog84.fc2.com/tb.php/141-da3e0479
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |