中上健次
『ミヤザワケンジ・ナカガミケンジ声に出し、はじめて同じケンジと気づく』 禰子

前回、中上健次が出たので、その続きで。
いちばん最初に新宮をおとづれたのは、12年前。そのとき実はまだ中上健次は新聞小説でしか読んだことがなかった。というより、まだ世の中にはきちんとした答えがあるとしか思っていなかった私には、その新聞小説はあまりに受け入れがたく、なんとなく敬遠する存在だった。『路地』跡を歩いてみても、そこに固執する作家の気持ちをわからなかったし、わからないことが苦痛にもならなかった。
でも、それ以後、突然新宮に行きたくなる自分がいる。
新宮に何があるというわけ、ではない。
その間、中上健次の小説・その他をたくさん読むようになった。
自分の曾祖母が新宮の出身だということもわかった。
『路地』はもう埋められ、削られ、ないのかもしれないが、
全てのことはもしかして、それしかないような気さえするほど、
大きな意味での「差別」する・されるという事態に、心惹かれる。
貴賎のあわいはどこにあるのか。それともないのか。
近畿のどんなに山奥に行っても、それはある。
沖縄と東北にはないとの説もあるが、しっかり歩いたことがないので、まだわからない。

事態の元はなになのか。
それが知りたくてあちこち歩き回る。

「なれ寿司の美味しいところしりませんか」といえば、車を出して買いに行ってさえくれた老舗商店のオヤジさんは、「ナカガミケンジ」の名を口にした瞬間、あきらかに嫌な顔をして話をそらす。
大きな神社の裏手の、昔遊郭街であったようなつくりの家々の前で、オバァと楽しく世間話をしても、話が昔に向いた瞬間、「いや、私はよそ者なんで、知らないんやよ」と、サッと手を引っ込める。

新宮全体で何かを隠しているような気もする。
熊野詣の最終地点。
昔からここで何がおこなわれてきたのか。
他言無用の空気を感じる。
よそ者には知られたくない宝を守りとおすかのように。
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【2007/01/07 09:44】 | ディープ和歌山 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
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