宇宙塵
『朝食の用意しながら立ちながらワカメむしゃむしゃ食う宇宙人』 禰子

通勤途上の車両内だけがほとんど唯一の読書時間なのに、私が本を手にしているにもかかわらず声をかけられて正門までずっと・・・そのまま仕事に突入、ということが続くと精神的に滅入ってくる。滅入らなきゃいいんだろうけど、ちょっと最近は疲れているようで、ま、こころの振幅の一過程かと思うこととする(必ずしもお喋り嫌いなのではなく、読書できるはずの時間に読書できなかったことに対するストレスです)。

こういうササクレ立った気分のときに、いつも遠くから聞こえてくる『春と修羅』(序)。
私の極ゴク個人的な意見だけど、宮沢賢治はとてもイラチでちょっとしたことにもすぐ腹をたてていた一面もあるのではないかと思う(それを外に出せたかどうかとはまったく別の次元で)。
思う、というより、そうであってほしい と思う。
そんな時もある人のつむぎだす言葉が、春と修羅のようであってほしい。
人の中で聖と穢れが遠慮なくぶつかっていてほしい。


  序

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます



     大正十三年一月廿日
宮沢賢治

     青空文庫(新字旧仮名、作品ID:1058)より引用
【2007/01/19 06:49】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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