存在の耐えられない軽さ
『耐へられぬ軽さなぞなく存在といふ救ひあり いふ地獄あり』 禰子

先日、ピックアップしてもらったのを載せたように、
たしかにこれは、ミラン・クンデラの小説、
『存在の耐えられない軽さ』 からきている。
最初にこれを読んだのは、たしか二十代前半で、
ニーチェのツァラトゥストラの永劫回帰論を、 (恋愛?)小説にしたものだった。
(もちろん、私が自力でニーチェとのかかわりを発見したのでもなんでもなく、
クンデラが小説の冒頭で永劫回帰について述べている。)

「永劫回帰」という概念は、たとえば「ワタクシが千回人生を生き直しても、2008年8月8日午前1時半には、『存在の耐えられない軽さ』についてのブログを書いているであろう。そして、その行為が偶然ではなく必然として永劫に繰り返される、ということによってのみ人間はその存在を肯定されうるのだ」みたいな話で(う、あってるかな・・・)、
クンデラは「それでは永劫性がなければ存在は否定されるのか否か」というところで小説を書いた、とそんときの私は理解した。「存在の耐えられない軽さ」というのは決してその言葉から想像されるような否定的な意味ではなく、「永劫性」から脱出した場所で生きること、必然ではなく偶然に生きることが本当の生ではないか、というところで物語が語られる・・・と。で、結局どうだったのか・・・2回読んだはずなのに、あらすじも結末もなんとなくしか覚えていない。訳あって文庫本は手元にないので、すぐに読み返すこともできない。

私の中で、偶然と必然という、いかにも青臭い問題が依然くすぶり続けている、という事実があって、それだけでもニーチェとクンデラを読めたことは、私にとって有難かった、というただそれだけのこと。

そんな独り言みたいなことを夜中に書きたくなってしまいました。
禰子、夏バテか。(^ー^;

matsusaka.jpg





【2008/08/08 01:30】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
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コメント
映画もおもしろいよ。
恋愛?映画なのかしら・・・
【2008/08/08 12:48】 URL | ベルメ #-[ 編集] | page top↑
>ベルメ

映画もみたねん。でも随分昔のことですが。
小説も、映画も、「恋愛」って最初につけて広告してたやん?
それがなんか違和感あってさ、
だって、恋愛と永劫回帰は・・・
あ、そっか。だから「恋愛」小説・映画なのか。
でも、そんな意味で「恋愛」ってつけてたんじゃないよなー、電●あるいは博●堂・・・
【2008/08/08 21:57】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
1000回でも1万回でも100万回でも
同じ結果になるでしょう。
そう感じます。

自分という殻からは抜け出せません。
【2008/08/09 22:56】 URL | 加速装置 #-[ 編集] | page top↑
>加速装置さん

嗚呼、永劫回帰はおそろしいですね。
だからニーチェは狂人となったに違いない。
まだ六道輪廻のほうが、6種類もあるからいい(笑)。
だれも、死んですぐ後に、またおんなじことが起こる、
それも永遠に・・・なんて思ったら生きてもいられないし、死んでもいられないでしょう。

でも、殻ってそんなにぬけれらないものかな。
殻を破っても、抜けても、顕れてこざるを得ないもの
が、永劫回帰、じゃないでしょうか。
【2008/08/09 23:16】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
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