東下り
ゆく夏に東下りを企てて何ゆえ出発点は首塚

葉月尽の土日、東京に行って、戻ってきた。
数週間前に地図を買ったはいいが、バタバタしているうちに、案の定タイムリミット(^-^;
で、なぜか新幹線の中で急に行くことになった「某所」へ向かう途中の
丸の内は某巨大都市銀行の前で見つけた現代風大黒さま。
しかしこれはどう見ても、エンデのモモに出てくる「灰色の男たち」だ。
彼らはまたの名を「時間泥棒」。
時間を貯金できると言っては、せっせと人々の「時間」を貯金させ、
それに見合った(と思わされている)賃金を支払い、
人々はいつかおしゃべりすることも、夕日をみることも忘れて、
「時間」をせっせと貯金しだす。
時間泥棒、彼らもまた人からの時間を食べてやっと影を保つことができる・・・。某巨大銀行前、というのが、暗喩ですらなく少し苦笑。
tokyo_kurohukudaihuku.jpg
しばらく行くと目的の某所が見えてきた。tokyo_kubitsuka3.jpg
むわっとする空気。
石垣島の御嶽(ウタキ)の奥の閉ざされた空間を思い出す。
土曜のお昼時のほんの5分ほどの間に、次から次へと人が来る。
そういえば、職場近くの「一願大明神」にも、ひっきりなしに人が来る。
首塚をでてすぐ西の突き当りが「坂下門」。
首塚の立ち位置と、「保存会」とやらの幟をみて、
政治的な力関係を思わずにはいられない。
まぁ、それはともかく、皇居(江戸城)のすぐ横に首塚を許す
(というか、江戸城なら背反しないのか、同じ坂東のものとして)、
祟り神も「神」という、日本的な構造に素直に驚き。
そういえば、天神様も祟り神。
祟り神はいつでも強力で、人気者だ。
tokyo_kubitsuka1.jpg
【2008/09/03 22:15】 | 番外編(江戸・琉球) | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
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コメント
禰子さんも行ったのですね、将門塚。
以前私も偶然見つけましたが、風が渦巻いて、木々が激しく揺れ、凄みのある場所でした。
まるで千年も時を経ていながら、まだ怨念が晴れていないかのごとく。私がそこにいる僅かな間も次々と熱心なお参りの人が訪れ、将門信仰が現に今も生きているのがはっきりと判りました。その一郭から離れるとまるで嘘のように風もなく穏やかで、不思議な経験でした。

坂下門は二重橋の北の門。首塚近くの門は大手門です。
【2008/09/11 18:14】 URL | #-[ 編集] | page top↑
名無しのコメント失礼しました。
【2008/09/11 23:53】 URL | 矢田野三郎 #-[ 編集] | page top↑
>矢田野さま

そうですね、「大手門」でしたか。
実はそのとき私が「坂下門の変」というと、
「坂下門で変なんてあった?」という人が約一名いましたので、
すっかり坂下門だけがインプットされていました(笑)。
東京は緑が以外に多くていいところでした。
半年くらい住んでみたくなりました。
日曜日は自転車に乗って、美術館の図書館で本を読む、とかね。
【2008/09/12 00:04】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
変換ミス。

下から三行目
東京は以外に←意外に
嗚呼、しっかりしなきゃ!
坂下門の変は、正式には坂下門外の変
【2008/09/12 00:42】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
そうでしたね。尊皇派が老中安藤信正を襲った事件。文久2年(1862)のこと。将門は天慶3年(940)。千年近くの差がありました。でも将門の方が、なぜか生々しい。信仰の力が現実性を醸し出すのでしょうね。
【2008/09/12 22:08】 URL | 矢田野三郎 #-[ 編集] | page top↑
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