馬のたましひ冱ゆるまで
馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ  塚本邦雄

先日、獄中歌に少し触れてから、
なんとなくこの歌を思い出している。
これは観念で作り上げた歌で、馬のたましい冴えるまで馬を洗うこともなければ、
人を殺めるまで人を恋うことがなくても、歌は出来上がる。
それでも、この歌がぬぅっと心の中に入ってくるのは、
作者と作中主体が完全一体ではなくても、
歌というものが完成しているときには、何かがむくりと起き上がるからだし、
そこに創作が創作を超える一点があって、現実世界に侵入してくるからだ。

獄中歌はその対極でありながら、
これまた心の中にぬるりと差し込んでくる。
獄中歌人本人の人生と、その短歌も、当然ながら別々の道も歩むわけだし、
あくまで作品は作品、という点においては、
塚本邦雄と変わるところはないのかもしれないが、
創作意欲の根源という意味ではやっぱり対極。
バーチャルに罪を犯してゆく方向と、
リアルな罪から罪を償う方向と、、、

でも、なぜか似ているところがあると思ってしまうのだ。
ぐるっと別方向からまわってきて同じ暗渠に落ちついたような、
そんな心もちになる。
同じ軌道を別方向に回っているだけのような。
でも、その方向の違いが現実世界では決定的差異であるのだが。

某師匠に「もうすこし元気を!!」と言われたばっかりなのに、
書き出したらやっぱりなんとなくまたディープな話になってしまった。
ぼちぼちです。

女をば連想しつつ人形の赤ききものにふれゆくおそれ  長光良祐

【2008/11/07 22:11】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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