本を読む花冠の女、あるいはウェルギリウスのミューズ
昨夜、新聞の販売員さんに聞いてみて、たまたま手に入ったコロー展が、
もうすぐ終わるので、それじゃあということで神戸に行ってきた。

コローと言うと実はあまり名前と絵画が結びついていなかった。
なので、思い入れもなにもない、タブラ・ラサな気分で行った(タダだったし)。
風景画はあまり気持ちに入ってこない。
人だかりを通り越して、気に入ったところでだけ立ち止まる。
ちなみに、絵画をみるときは、キャプションは見ない(後で見る)ことにしている。
有名な「真珠の女」は、やはり本物は写真とぜんぜん違った。
キラキラしている。
図版や絵葉書だと、目が死んでいるのだが、
実物は生きている。
こんなに混んでいて、高い拝観料を払ってまで、みんなが観に来る気持ちも
ちょっとわかる。

今日気に入ったのは次の二つ。
ブログに載せていいものかどうか、著作権のことがきになったので、
あちこち調べてみたが、どうやら大丈夫のようなので、載せてみます。

「モルトフォンテーヌの想い出」
モルトフォンテーヌの想い出


「本を読む花冠の女、あるいはウェルギリウスのミューズ」
本を読む花冠の女、あるいはウェルギリウスのミューズ

どちらも、やはり本物の質感がないのが残念。

「モルトフォンテーヌの想い出」は、湖と空の銀鼠色というか、
灰色でも白色でも銀色でもない。
あとで読めば枝の向きなどに、思想?が反映され分析されているようだが、
そんなことは美術史にとっては大事かもしれないが、
本物の前ではなんのたしにもならない。
なんともいえない色をしていた。
その色あいだけで、好きになった。

「本を読む花冠の女、あるいはウェルギリウスのミューズ」は、
えー、そんな設定?という感じがしないでもないのだが、
それを越えて絵画から伝わってくる素直な感じが、
観るものをも素直にさせる。

やはり「1点モノ」の威力はすごい。
美術展が大きな顔をするのもちょっと納得。
でも、博物館・資料館などにある、日常を支えてきたものたちと、
価値が違うかというとそうじゃないと思う。
個人名のない日用品や、いわゆる「工芸品」、
無名のものの上に個人崇拝の時代がちょこっとあるだけで、
座や工房のことを忘れがちだ。それ以前の名前さえつかない「作品」のことも。

個人も時代も両輪だから、
どちらのこともよく見つめてみないとわからないなー、と
そんな当たり前のことを・・・

【2008/12/01 00:30】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
上の絵、わたしも好きで一度本物を観てみたいなぁと思っているんだけれど、島根には県立美術館一つだし、なかなか巡ってきません。

本物の前に立つと、細かな色合いや筆のタッチが、画家の存在を浮かび上がらせて、やはり図版とは違います。

今までで一番好きな実物はゴッホの「夜のカフェ」。
中ノ島で見ました。
あぁ、「星月夜」も! これはNYのMoMAで。

歌も、こうして時を切り取って差し出せたら嬉しいんだけれど。
【2008/12/01 09:35】 URL | 文 #oL3vnBpM[ 編集] | page top↑
>文さま

わたしも実はゴッホが好きなんです。
両親は「印象派」全盛期の人たちで、
幼い私を連れて京都までわざわざルノワール観に行ったりしました。
ぐるぐると、美術館のまわりを何時間もまわりながら進んで、やっと観たルノワールは・・・
「太いおばちゃん・・・」これが4歳の私の印象(爆)。
その後、だったかその時だったかに観たゴッホは好きになりました。

嗜好というのは、なかなか御し難いものがありますねぇ。

ウタは…今ブログだとこうやって横書きのワープロ文字。
手書き縦書きとなるとまた雰囲気もかわる。
朗読すれば、べつのものになるときもある。
絵画よりも楽譜に似ているのでしょうか・・・(ちょっと違うけど^-^;
【2008/12/02 01:13】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
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