顔が好きかどうか、というのは公私関係なくどんな関係でもかなり重要だと、
以前からうすうす感付いてはいたのだけれど、
最近やっぱり確信を持つようになってきた。

代表例でいうと申し訳ないのだけれど、中上健次。
誤解の無いように(!)言うと、好きな小説家は?
と聞かれたら、必ず中上健次は入ります。
『枯木灘』を読み出したが最後、嵌ってゆく世界、
『木の国根の国物語』を読んだが最後、「知っていた」と錯覚してしまう世界、
『熊野集』の中の、私はどの主人公でもあるような錯覚。
嫌悪感を感じつつも、読まずには居られない。
句点のない人生のような文章。
彼の小説がなければ、人生ぜんぜんつまんなかったんじゃないか、
とさえ思うこともある。
・・・でも、やはり何度見ても彼のポートレートは受けつけられない。

もうじっくり話すこともないであろう知人が昔、
「麻原彰晃の顔写真をもし見ていなかったら、たぶんオウム真理教に入っていただろう。
でも、あの経典に顔写真が載っていて、『(信用したら)アカン!』ってわかった」と言ってた(笑)

言葉は危うい。
言葉は魔物だと思う。
もっと、第一印象を信じて生きていいんだと思う。
というか、第一印象は決してないがしろにしてはいけない。
とこれは、最近しみじみ思う。
最初に、あかんかも、って思ったらやっぱりそれはあかん。
最初に、いいかも、って思ったらきっとそれはいい。
それは思い込みなんじゃなくて、直感というのはきっと正しいということ。

ってなこと言いながら、短歌って (^-^; 言葉やん?

でも、短歌って、顔 だと思う。
嘘つけないから。
ちょっと違うかな?どうでしょう?
【2008/12/09 00:52】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
うん、短いからこそ、いくら作り上げてもベースから「私」がのぞいてしまふ。
言葉は作り上げたものでも、作歌者があぶりだされてしまふ。
そんな気がわたしもしています。
俳句まで短いと断片化されてしまふし、詩になると言葉で世界を築き始めることができるけれど、短歌は丁度「私性」がでる長さなんでしょうか。
【2008/12/09 07:54】 URL | 文 #oL3vnBpM[ 編集] | page top↑
>文さま

わたしのとりとめもない話にお付き合ひくださりありがたう。
人をマインドコントロールしてしまふには、短歌のワード数は短すぎる。
そして、象徴で切り抜けるには長すぎる。。
結果、わたくしがあぶりだされるといふわけですね。
言葉があやふいことを十二分に知っていたからこそ、
三十一文字に決めてしまったのかもしれませんね。いにしへ人は。。。
【2008/12/09 22:02】 URL | 禰子 #-[ 編集] | page top↑
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