はばかりながら
 
はばかりながら歌はホビーにあらざると言ひたかれども美しき顔   三井ゆき


石見神楽大蛇

忘れられない一首。折に触れ口ずさむことさえある。
説明は無用だと思う。
おそらく2007年初夏あたり、短歌人誌で初出を見たときにくぎづけになった。
(その後、歌集『天蓋天涯』(21世紀歌人シリーズ・角川学芸出版)所収)


写真は歌とは無関係。
石見神楽・大蛇 より。
右下にかわいいオロチが居ます。

去年、仕事先で「自分、あれや、クシナダヒメに似てるわ!(←「わ」はもちろん関西弁で)」
と言われたことあり。
「会ったことあるんかいっ」とツッコミ入れそうになりました(笑)
というか、よく教科書とかに載ってるあれかしらん。。。うーん、(・・;)びめうだ、有名人だけど。

本日、来週日曜日の短歌人新年歌会の詠草集が到着。
140首ある(140人参加予定)。
来月の詠草もまだ送ってないのに、、、
おまけに今回は密命もあり、しっかり読まねばならない。たいへんだ。

---
どんな人が居てもいい。
ホビーとして取り組んでいる人がいても全然構わないしそれが悪いと思わない。
それは一人一人が感じたり決めたりすることで、
私自身が短歌をホビーと思ったことはないというだけのことだ。
同様に「最終目標は歌人として立つこと?」という質問(を非常に残念なことに受けたことがあるが)、
これも質問としてまったく意味をなさない。
なぜなら「最終目標」とか「立つ」とか言うのは、きわめて経済にかかることしか言ってないから。
身を立てる、というのが悪いといっているわけではない。経済にかかることもまた重要だから。
でも表現としての品が下、だと思う。
ほな何ですか、ゴッホだって、宮沢賢治だって「立って」なんかいない。
同時代の「共選」に洩れたから、死ぬまでに間に合わないから立ってない、というのとは違うのだ。
もっとも、ゴッホや賢治のように発見されなかった人だって、同様のことなのだが。
短歌は読者を持ってはじめて作品になる、というのは上の2例と比べると格段に頷ける。
でも、「最終目標」や「立つ」や「作品」であることと、
自分が歌人であるか、や、別の○○である、というのは、微妙に基本の軸の種類が違うと思うのだ。

…といいたかれども、説明は無用なぞと言いつつもむきになる顔よりは、
確かにどんな顔であっても美しき顔、なのかもしれない。
【2010/01/10 01:10】 | 日々雑記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
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コメント
僕の知人の版画家が、ニューユークで
ゴッホの絵を数十点見て、生まれて一番感動した、旨のことを言っていました。僕は、絵は描きませんが、見るのは好きです。僕はゴッホの分厚い伝記を持っているのに読んでいませんが。
 生前、認められることのなかった画家(アーティスト)として良く名前の出されることの多いゴッホおじさんです。僕は、ゴッホは晩年には自分の絵にオリジナリティーがあり、才能があることを完全にわかっていたとおもいます。そうじゃないと、創作意欲が湧かないし、続けていくこともできないのではないでしょうか。まずもって、その場ですぐに死にたいでしょうし。
 生前には、(同時代に生きていた人たちから)認められることのなかった多くのアーティストもゴッホと同様に、自分のその分野のアートのオリジナリティーと才能を確信していたとおもいます(知的障害などの例外を除いて)。オリジナリティーと才能と確信の度合いが高ければ、高いほど、他のひとに認められたいとジタバタしないで生きていけるので、そういうアーティストが時々出てしまうのでしょう。
【2010/01/10 10:06】 URL | 山寺修象 #ZA9zVw0U[ 編集] | page top↑
きれいな女性(ひと)だなあ。
まぶしい。
とか、中学も高校も大学もだいたい思っていた。
女性を見る目ね。

それが、今は外見の度合いは相当低くなったなあと思う。徳川家康が美人とはまったくかけ離れた側室を沢山持ったというのが今となってはよく分かる。

ひとは、心だなと、しみじみ思う。
顔の造作、太っている痩せている、歯並びが悪い良い、色が黒い白い、それらはほとんど気になることではなくなった。自然にそうなった。
心と仕草、それがひとの魅力です。

ちょっと話題が逸れた?
美しい顔と、最後に出たのでつい、こんな話に。
【2010/01/10 10:38】 URL | 長谷川知哲 #hurAyYjo[ 編集] | page top↑
短歌と人生
短歌もそうだし川柳や俳句にも言えることだが、こうした定型短詩は人としての生き方や人生観を反映することが他の文芸作品より大きく、中でも短歌はその度合いが非常に高い。人生と切り刻んでミキサーにかけてさらに絞って出来たものが短歌だったりする。短歌に向き合うようになってから、人生についてより一層考えるようになり物事の感じ方も変化してきたように思う。もしもっと若い頃に出会っていたならいったいどんな人生を歩んでいただろうか。

中年にさしかかるぐらいの年齢になって僕は短歌に再会した。そして一度作りかけていた歌の世界を構築する作業を再開した。再会して再開したのは洒落のようだが洒落ではなくて、どこかに必然性があってそうなったのだろう。もし僕が求めているものが小説だったなら、とっくの昔に小説を書いていただろう。目聡い評論に活路を見いだしていたならそっちの方面に進んでいたかもしれない。しかしそうしなかったし、そうはならなかった。読書という宿痾の中で光が見えたのが短歌・川柳・俳句だったのだ。

短歌は生涯をかけて歩んでいく同行の旅人であり、言葉は心身を司る栄養素であり、創作意欲は前に進んでいこうとする意志である。短歌は人生の同行者だと僕は考えている。
【2010/01/10 18:37】 URL | H.IBA #-[ 編集] | page top↑
ホントの趣味は
40年前。新書判のハードカバーでみすずから。ハーバード・リードだったかの、ちいさな芸術案内といった内容の本があった。表紙にヘンリー・ムーアの彫刻か、素描あり。可憐なうつくしい本。愛読していたが、まあ、とっくの昔に古本屋に。なかみはすべて忘れた。扉に、短いことば。これが忘れない。

  本当の趣味は中途半端の趣味じゃない。

このうたの、上句が、そのようなものか。
【2010/01/11 16:42】 URL | 矢嶋博士 #WGj0Orxo[ 編集] | page top↑
おっさんばっかりが、よく書き込むサイトやなあ!
と、思った。

ちっとめんつをみて驚いたので。
【2010/01/14 23:57】 URL | 長谷川知哲 #hurAyYjo[ 編集] | page top↑
おっさんずへ(一番若い人、ごめん!)
■山寺さん

>ゴッホは晩年には自分の絵にオリジナリティーがあり、才能があることを完全にわかっていたとおもいます。
>オリジナリティーと才能と確信の度合いが高ければ、高いほど、他のひとに認められたいとジタバタしないで生きていけるので、

そうですよね。今しか生きていない人たちに認められるかどうかなんて、ものすごく短いスパンなわけで、もっと風呂敷を広げると人間だけにわかってもらう程度よりももっと広いところに意識が行っているんでしょうね。

■知哲ちゃん

そうだねー。そういう美しさ、もう、少しはわかるような気がする。(小さいときは面食いでした 笑)

■H.IBAさん

>中でも短歌はその度合いが非常に高い

そうですよね、下に77がある分の意味というのは大きいでしょうね。
同行者…私が言うとしたらなんだろう。
そうでもあるけど、どういう言葉が一番しっくりくるか、見つけていきたいです。

■ヤシマヒロシさん

>本当の趣味は中途半端の趣味じゃない。

せやねん。
今一般に使われている「趣味」と思われる可能性があるのに「趣味は短歌です」とは、閻魔様に口を裂かれそうになってもいいません(たぶん)。

>なかみはすべて忘れた。

ええよ(笑)。
私なぞ、カラマーゾフ2回読んだはずなのに、あらすじ覚えてへん…。

■ふたたび、知哲ちゃん

ほんまや!おっさんばっかりや(笑)しかもかなり変人揃い。
おっさんキラーか、変人キラーか、どっちや禰子。
【2010/01/15 00:18】 URL | 勺 禰子 #xNtCea2Y[ 編集] | page top↑
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