5月に入って夕涼み?に中之島の東洋陶磁美術館へ。

地下鉄淀屋橋駅から地上へ出るとまず見えるのが大阪市役所。
その手前の屋形船っぽい(けど実際はちゃんと建物?の)お店、いつも気になりつつ、まだ未入店。
急におとづれた初夏の陽気に土佐堀川もきらきらしている(あ、川面がほとんど写ってへん)。

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現在の淀屋橋は昭和10年に完成、パリのコンコルド橋を参考にした公募作品とのこと。
コンクリートの建物としては珍しく国の重要文化財指定を受けているそうです。
名前の由来としては江戸初期に活躍した豪商「淀屋」さんが私財を投じて建てた、らしい。
この淀屋さんは「米市」で巨万の富を得て、手形などの活用によって世界初の先物取引を発案?した人(家系?)。
儲け過ぎ?が目立ったのか政府に財産を没収されたり、末裔は幕末にその財のほとんどを朝廷に納めて討幕運動をしたとか、いろいろ大変だったようですが、とにかくこうしていま橋の名前として、また大阪経済の歴史にその名を残しています。
(ウィキペディア等ネット検索による禰子まとめ、なので、話の詳細については別途お調べください)

中之島では産直のイベントなどが行われていて、絵に描いたような休日の幸せな都市みたいになっていた。それをどう思うかは個人個人で、また個人の中でも正否入り混じっていてもいいと思う。
去年「水都大阪2009」で整備が行われて以前よりゆったり散策できる設計になっている。水も昔よりきれいに思う。これは大阪のどの川を見てもそう思う。わたしの小さかったころは毎日光化学スモッグの赤い旗が校庭に出ていない日はなかったので、時代は決して悪い方向ばかりに進むものではないと実感するものです。もちろん良い方向にばかり進むものでもないことは言うに及ばず。

昨年有田に行ってから、陶磁器の美しさを再発見している。
特に磁器は人肌によって冷たくも熱くもなる生き物のようにも思う。
といって、夏に見れば暑苦しいか、そういう意味ではなくて(^-^)
夏の暑い昼下がりの東洋陶磁美術館、勝手におすすめスポットに認定いたします。

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少し東へ歩くと難波橋へ。
これも有名な大阪三大橋のひとつ。

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江戸時代には縦横無尽に伸びていた大阪の川。
それを西へ東へ南へ北へ繋いでいた大阪の橋。
今はほとんどが地名に残っているだけで、大阪の地名はほんとに橋が多い。
ちなみに大阪市内の駅で橋の名前があるのは
(以下ことわりのないのは地下鉄駅名)
淀屋橋
心斎橋
肥後橋
西大橋
四ツ橋
日本橋(近鉄も)
鶴橋(JRも近鉄も)
朝潮橋
天神橋筋6丁目
長堀橋
天満橋(京阪も)
京橋(JRも京阪も)
芦原橋(JR)
阿部野橋(近鉄)
…他にもあったらお知らせください。

橋、というのは一つの境界なので、そこに色々な物語があったはず。
もう少し沢山残っていたらなぁ、と思うが名前が残っているだけでも手がかりにはなる。

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そして上は難波橋の南橋から大阪証券取引所を望むの図。
証券取引なんて、なーんにも私には関係ないと思ってこの●年生きてきたけど、
大阪の成り立ちや今ある地名やはては文学に至るまで、
この大阪の商いなしには語れないと思うと、ちょっとだけ身近に。
前に居てはるのは五代友厚さん。大阪の恩人、らしいです。
明治に入って江戸時代の藩からの収入(各藩は倉庫収入や嗜好品や食料やとにかく大取引相手だった ま、要は利権握ってたんだとは思いますが…)がなくなって疲弊した大阪経済を立て直したとのこと。
4月に入った学校の社会見学に行くまで全然知りませんでした(^-^;
鹿児島出身で明治新政府からの任命で役人として派遣され、
その後、別の任地への異動を拒んで(大阪の人に頼まれて?)民間人となったのが34歳のとき。
『三国名勝図会』の執筆者で記録奉行の父の元に生まれ
(「記録奉行」という名前がほんとうにあるのか??なのですが、もしそうならちょっと!しました)、
もともとアウトサイダーだったのか、大阪によっぽど水があったのか、あちこち赴任を言い渡されれば動かねばならない役人仕事に「あほらし」となったのか、もっと正史には書けない諸事情があったのかはわかりませんが、
ともかく潔い性格だったのかも。
ちょっと男前なので載せときます(笑)←写真載せたかったから文章長いんや!とか言わないやうに!
だって直木三十五や織田作之助もこの五代さんについて書いている(らしい)のですぜ(笑)。

Godai_Tomoatsu.gif 五代友厚 写真もWikipediaより。

※日本史はからきし弱いので、ものすごく偏った話を纏めているかもしれません点はお許し&新たな視点をご教示いただければ幸いです。








【2010/05/05 17:00】 | ディープ大阪 | トラックバック(0) | コメント(7) | page top↑
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コメント
五代友厚といえば
ブログでははじめまして。津和です。
京阪中ノ島線ができたとき、車内広告で、笑福亭仁鶴師匠が五代友厚(と福沢諭吉と豊臣秀吉)に扮しておられたので、わたしのなかでは五代友厚=仁鶴師匠になってしまいました。ではではまた。
【2010/05/05 20:34】 URL | 津和歌子 #-[ 編集] | page top↑
境界・・・・
>橋、というのは一つの境界なので・・・・・

ウチの近くの、路地一本隔てただけの都県境には、さしたる物語もなさそうです。が、この路地一本で、アッチは東京都民意識を持っていて、コッチは埼玉県民意識を持っている・・・って、ホンマかいな? と思います。ちょっと行くと、埼玉県の領土内に東京都練馬区飛び地というのがあります。こういうのは物語がありそう・・・

追伸 : 津和歌子さま、こんなところではじめまして。いつも「短歌人」誌上で楽しみに拝見しています。会員1欄の斎藤寛と申します。(って、本名をあかしてしまいました^^;)
【2010/05/05 22:23】 URL | tamaya #wMURzdEY[ 編集] | page top↑
初めての書き込み
ドキドキです。
橋のお話に惹かれてやってきました。
本当に大阪は橋が多いですね。
八百八橋といいましたっけ。
しかし大阪の橋の名前で物語が立ち上がってくるかというと実際のコンクリートの橋を知っているだけになかなかです。
すぐ浮かぶイメージが戎橋=ナンパ橋とは情けない。
名前だけ知っている遠いところの橋のほうが想像が働きますね。
私が好きなのは東京の言問橋(さだまさしの歌がありました。在原業平の都鳥ゆかりの】・早稲田の近くにあるという面影橋。
京都の戻り橋(本当にあるのでしょうか?生と死の境界にあり、死者が戻ってくるという)
そして各地にありますが流れ橋。
【2010/05/07 07:02】 URL | 沙羅 #XrwkbYLc[ 編集] | page top↑
>tamayaさま

はじめまして。わたしもtamayaさまの作品は毎月楽しみに読ませていただいております。ここでお会いできてうれしいです。今後ともよろしくおねがいいたします。
【2010/05/08 20:30】 URL | 津和歌子 #-[ 編集] | page top↑
■津和さん

よくお越しくださいましたv-410
仁鶴師匠が五代友厚(と福沢諭吉と豊臣秀吉)……。
ちょっと絶句しました(笑)

京阪中ノ島線、去年初めて1回だけ乗りました。
大阪の人にとったら地下鉄で行ったらいい場所ばっかりやん…とはいいますまい!
京都からは便利やんね(^0^;めちゃキレイし!

■tamayaさん改め斎藤さん

>この路地一本で、アッチは東京都民意識を持っていて、コッチは埼玉県民意識を持っている・・・

そうですよねぇ。それはほんとに「紙の上で決めた境界」だから疑問ではありますねぇ。
実際に私もすぐそばが生野区で、生野区の人でもこちらに近い人は生活圏としては布施(東大阪)なわけで。
飛び地はめんどくさい理由というか、飛び地の出自、というのがあるわけで物語がある。
今度短歌人誌で詠んでみてください!
地形的な境界はやっぱりあると思いますね。
大坂の作られた地形、がどうなのかはわからないけど、
山や川を越えたりすると確実に。

■沙羅さん

沙羅さんもお越しいただきありがとうございますv-410

>すぐ浮かぶイメージが戎橋=ナンパ橋
おお、お若いですね!
私はあれが橋だという認識すら薄らいでいました。
めったなことがないと鬱陶しいので通りません。
通ってもひたすら人を見ず、目線をあわさず、まっすぐ前を見てるから気付かないのかな。
有象無象の魑魅魍魎みたいな黒服の怪しいやからがうろうろしていて、
そう考えるとあの橋こそ、境界を代表するものですね。興味深い。

淀屋橋や難波橋はコンクリートといえない趣があります。
名所図会などでも昔に思いを馳せることはできますね。

物知らずで恐縮ですが、言問橋や面影橋というのはコンクリートではなくて木造の趣のある橋なのですか?

【2010/05/08 22:52】 URL | 禰子 #xNtCea2Y[ 編集] | page top↑
調べてみました
言問橋は隅田川にかかる大きな橋で鉄製でした。
さだまさしの『言問橋』のロマンティックなイメージとは現実は違っていて、東京大空襲の時火災に逃げ惑う両岸の人の波がお互いに対岸へ逃げれば助かると橋の上でかち合って身動きできなくなりそのまま焼け死んだというとっても悲しい橋でした、ああ。

面影橋は神田川にかかるとっても小さなコンクリートの橋です。
伝説があって 戦国時代に、この地に来たという和田靱負という武士の娘於戸姫の伝説である。結婚を断った武士にさらわれ、気を失ったところを杉山三郎左衛門夫婦に助けられ、やがて近所の小川左衛門に嫁いだ於戸姫は、夫の友人に夫を殺され、仇はとったものの、自分の身に相次いで起こる不幸から、家を出て神田川の川辺でわが身を水に写し、亡き夫を想いながら川に身を投げて夫の許に急いだ。里人は於戸姫の心情を思いやり、面影橋・姿見橋と名付けたという。

こちらの話はまだ悲しいながらにロマンの香りがしますね。
【2010/05/08 23:12】 URL | 沙羅 #XrwkbYLc[ 編集] | page top↑
ありがとうございました
■沙羅さん

早速(早っ)調べてくださってありがとうございました。
なんだか、沙羅さんのもともと持っていらしたイメージ、を潰すことになってしまいましたね。申し訳ないことです。
【2010/05/09 00:30】 URL | 禰子 #xNtCea2Y[ 編集] | page top↑
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