生駒あるくみるきく【2】 大看板が見守る酒屋の九十年
大正11年楠下酒店

奈良新聞で毎月第1金曜日朝刊に掲載される「なら民俗通信」
本日「生駒あるくみるきく【3】 受け継がれるくらし」が掲載されています。
大阪では、近鉄難波駅・大阪上本町駅の売店でも売っているそうです(Wikipedia談)。
奈良では近鉄主要駅の構内の売店か(目立たないところにある)自動販売機で。
お見かけの上、たまたま手に120円を握りしめていた方(笑)、
もしくは缶コーヒーその他を買おうとしていた方は
その手をそっと奈良新聞へ・・・(^0^)

「なら民俗通信」は連載回数200回以上の長寿コーナー。
民俗学や歴史学の先生や、行政、寺社、まちづくりなどの立場から、
いろんな人が奈良について書かれてきたこの欄に、
勺禰子、202回目から登場しています。
誰やねん!と言われていそうですが、
シャクネコというケッタイな筆名も
慣れてくると案外しっくりくるもの(たぶん)。

というわけで、今回は3月2日(金)掲載された
「大看板が見守る酒屋の九十年」をアップします。

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 生駒あるくみるきく【2】 大看板が見守る酒屋の九十年  勺 禰子
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■一枚の写真
近鉄生駒駅から、宝山寺へ上る参道筋を150メートルほど進むと、
どっしりとした瓦屋根の楠下商店が見えてくる。
硝子戸を開けて中に入ると、はめ込み細工のつやつやした彩色が鮮やかな、
年代物の大きな看板がずらりと目に入る。
欅(けやき)の一枚板で作られたそれらの看板の傍には、
セピア色の一枚の写真が掛けられていて、
若々しい初代店主の楠下俊男さん(故人)が、
家族や奉公人のほか、酒樽や大きな木箱に囲まれてこちらを見つめている。
俊男さんの次女で二代目としてこの店を支えてきた睦子さん(86)が生まれる3年前、
大正11年の写真だ。
■一升瓶も行き交った暗峠
 奈良市内で造酒屋の8人兄弟として育った俊男さんは、
大正6年に18歳で生駒の参道筋に菓子屋を開いた。
まわりが花街として急速に発展する中、3年後には酒店を開業。原酒を仕入れ、
「行進」「安楽」という銘柄の日本酒の販売を始めた。
番頭はじめ10人ほどの奉公人や女中を雇い、生駒山を越えた大阪側へも配達した。
「一升瓶が16本入った木箱を荷車に積んで、石切の酒屋さんまで
暗(くらがり)峠を3人がかりで越えてました。
1人が荷車を引いて2人で支えて、昔の人は力持ちやったねえ」
と睦子さんは振り返る。
ここにも、暗峠を活発に行き交う人とモノの流れを垣間見る。
 どこにも負けない気概で誂えられた看板は、
「店の顔」として誇らしげに参道筋を見つめている。
■たくあんとドレスとミシン
 俊男さんは、各々が朝食時に小皿にとった醤油は、
夕食時も大切に使って無駄にすることのないよう倹約を躾ける一方、
自ら樽いっぱいにたくあんを漬けて、皆に食べさせてくれた。
「もういっぺん食べてみたいわ。ずらっと干したあと、
糠にはズクシの柿を混ぜてね、ほんまに美味しかった。
お醤油はちょっといややったけどね。昭和11年に今の店に建て替えたとき、
父はまだ37歳。偉かったなあと今ごろ思てます」。
米や炭を扱う店舗を別に構え、順調に商売を広げていった楠下商店だが、
戦中戦後にかけてぜいたく品だった酒類、特にウイスキーはなかなか売れなかった。
あるときウイスキーを探して西洋人がやってきた。
俊男さんは蔵に眠っていたトリスやオーシャンを出してきて、
娘たちのためにビロードのドレスと交換してもらったという。
手に入れにくいものを交換する、交易の原風景を彷彿させる。
父は娘たちにミシンも買ってくれた。
「雑誌を見ていろんな服を作りました。私ちょっとオシャレ好きでね。
人気のあった中原淳一の絵を見つけては写して、
郡山女学校の先生のヒールにあこがれてスケッチしたりね。
男物のオーバーを勝手に女物のコートに作り直したときは、さすがに怒られたけど」
と睦子さんはいたずらっぽく笑う。
今は三代目の息子さんと四代目のお孫さんに店をゆだね、
俳画教室を開いている軽やかな筆づかいは、
慈しまれて育った女学校時代に培われたものだろう。
■心斎橋のようなにぎわい
宝山寺へ詣でる人の多さを、睦子さんは
「心斎橋よりえらい人でしたわ」と思いだす。
「お正月は向かいのお店に辿りつくのもやっとでしてん。
夜中から三箇日の間ずっと、赤いタスキにハチマキ巻いて、
お参りの人にお酒を振舞いますやろ、そしたら帰りには買いにきてくれますねん」。
かつては店内で枡酒の立ち飲みもしていた。
「芸妓さんの鼻緒の修理してる常連さんが、
夕方になったら向かいのお豆腐屋さんで出来立ての厚揚げを買うて、
手のひらに乗せたまま“熱い熱い”言うて走ってきはってね。
そのアツアツにうちの店でお醤油かけたげますねん。
仕事のあとのお酒は、そら美味しかったやろね」。
「持ち込み禁止」なんていわなかった時代。
「店」は、品物を介して人が集い、顔を見せあう場所だった。
■看板から伝わる「店」の意気込み
「あの改革があってから、あちこちにパーっと酒屋ができましたやろ。
あれからですねん」と睦子さんは少し悔しそうに言う。
流通革命の大きなうねりの中で、
小売りという「顔」の見える商売は追い詰められている。
参道筋にはもう、心斎橋のようなにぎわいはない。
心斎橋でさえ「街の顔」といえる店はめっきり減った。
「店(見世)」には、場所を定め、品物を見せるという意味がある。
今は店内に大切に飾られている楠下商店の大看板が、
21世紀の商いをどんな思いで見ているのかはわからない。
けれど看板を見上げる私たちには、
ここに店を構えた創業者の意気込みが、今も確かに伝わってくる。

(しゃく・ねこ 歌人、ささぶね編集工房) 奈良新聞2012年3月2日掲載
【2012/05/04 11:27】 | なら民俗通信 & 記事 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
宝山寺について
はじめまして。宝山寺の記事が載っていたのでコメントします。パソコン始めたばかりなので無事届くかどうか心配ですが。
母の里が大和郡山でしたので私も幼いころ宝山寺に何度か行きました。地元では、生駒の聖天さん、と呼んでます。年末にお参りするのが恒例で、火災封じのお札をもらってくるのです。今はもうすっかり寂れているのですね。聖俗合わせたお寺ですから、(とにかく聖天さんです)、今も吹き溜まりのような古風すぎる売春宿がかなりあるという話も聞きます。これもdeep奈良の一面と言えなくもないですね、
近々、奈良に墓参りに行きますので、奈良新聞、買いますね。
【2012/05/06 17:54】 URL | 田宮ちづ子 #-[ 編集] | page top↑
■田宮ちづ子さま

正式にははじめまして。WEB歌会などで、いつもありがとうございます。誌面でお見かけしております。
ブログにコメントいただいてうれしいです(^-^)
バタバタしていて、コメント放置しておりすみません(^-^;;

お母様の里が大和郡山!
大和郡山はちょっとご縁のある土地でして、またいろいろお話うかがえたらうれしいです。(夏の全国集会には参加されますか?)

生駒は聖天さんを中心に近代に入って発展した町です。とても人間臭くおもしろい場所だと思っています。
また見かけたら読んでくださいまし。
ブログも時々しか更新できていませんが、またよろしくお願いします。

※「宿」の話は、昨日発売の『編集会議』に書いた文章にちょっと載っています。また書店で見かけたらみていただけるとうれしいです。
【2012/05/12 09:33】 URL | 禰子 #xNtCea2Y[ 編集] | page top↑
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