生駒あるくみるきく【6】 生駒大師堂を巡る人々
長らくアップしておりませんでした(^-^:
その2ですm(_ _)m
奈良新聞の毎月第1金曜日に掲載されている「なら民俗通信」
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 生駒あるくみるきく【6】 生駒大師堂を巡る人々  勺 禰子
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建替え前の生駒大師堂(2011年5月29日撮影)
建替え前の生駒大師堂(2011年5月29日撮影)

■榁木峠と参道筋
生駒駅の南にのびる宝山寺参道筋の急な坂道を5分程上って行くと、矢田丘陵を一望できる見晴らしのよい交差点に出る。参道筋沿いに階段をのぼれば聖天さんのいる宝山寺へ、南に進めば鬼取・暗峠(くらがりとうげ)へ、「ソーレン道」と呼ばれた尾根づたいの道を西に進めば壱分(いちぶ)の往馬大社に通じる分岐点だ。計6つに分かれた交差点には「榁木大師近」と書かれた石碑がつい先月まで残っていた。矢田丘陵と暗越奈良街道の交点にある榁木峠(むろのきとうげ)は、この交差点からは5キロほど離れた大和郡山市矢田町にあるが、この場所から峠を眺めた昔の旅人には、近く感じられたことだろう。

■生駒大師堂
この交差点を駅に少し戻ったところには、9月末まで写真のような生駒大師堂が建っていた。地元の年配の人に聞いても、「子どもの頃にはもうだいぶ年季はいっとったなあ」という建物は、かつては参道筋に並んだ旅館に、今ではマンションに囲まれ、老朽化のために波打った瓦屋根はまるで、そこだけ時間が止まってしまったかのような雰囲気を漂わせていた。それでもいつも花が手向けられ、町の老人会・婦人会・子ども会の人たちの手で、軒先にあるお地蔵さまとそろって、きれいに掃き清められていた。しかし雨漏りや耐震性、崩れた外壁の美観など、改修は難しく、建替えが決まった。安置されていたお大師さま・お不動さま・観音さまは運び出され、10月初めから取り壊しが始まった。

■生駒大師講
大師講とは、関西では弘法大師・空海を、オダイシサンとして信仰する講組織を指すことが多い。
生駒市山崎新町に住む山上明子さん(79)は、大阪の心斎橋から嫁いできた昭和31年に、この大師堂を拠点とする生駒大師講に入った。「昔はようけ居てはったんですよ。みんなで御詠歌あげて、鉦鳴らしてねえ」。明子さんが知っている中で一番多いときは30人ほどいたという講中は、大師堂のある山崎新町だけでなく、元町や本町など参道筋の、主に商売をしている人たちで構成されていたという。近年高齢化により休眠、事実上自然消滅してしまった生駒大師講だが、明子さんは責任者として、毎朝お大師さまにお経をあげてきた。
大師堂が建てられた時期は不明だが、「戦前よりもっと前やろうけど、大師堂の後ろは牛小屋やったときいたことあるわ」と教えてくれた。町の年配の方々に記憶を辿ってもらうと、床下には葬儀道具や櫓(やぐら)、正月飾りなど、町で使う道具もしまわれていたという。大師堂は町全体の公民館のような役割もはたしていたのかもしれない。

■新しい大師堂
取り壊される前の生駒大師堂の入口には、「北和八十八ヶ所第二十二番霊場/榁木山弘法大師賢聖院/分院生駒大師堂」の札が掛けられていた。冒頭の石碑に刻まれた榁木峠にある榁木大師のある寺院のことだ。
真新しい角材が着々と空に向かって立てられていく建築現場に、11月19日、上棟式を執り行いに来られた賢聖院(けんじょういん)の網干聖住職(63)によると、「生駒大師堂がうちに寄進されたのは昭和55年で、それより昔のことは先代が亡くなったこともあり詳しくはわかりません。けれど灯籠を寄進してくれたり、古くから熱心にお大師さまを信仰しておられたようです」。奥さんの敦子さんも、「講の方がまだたくさんいらした頃は、みんなでお参りに来られてにぎやかでしたよ」と振り返る。かつてのような講組織がなくなり、分院の大師堂を建替えるには大きな負担がかかるが、2人とも「生駒のお大師さまをなくすわけにはいかない」と考えている。新しい大師堂は新年早々にも完成の予定だ。

■参道筋に息づく大師信仰
明子さんは講がなくなってからも、生駒大師堂への日々のお参りと共に、定期的に四国八十八ヶ所巡りをしてお大師さまへの信仰を続けている。
「宝山寺さんの中にもお大師さんがいっぱい居てはりますやろ。若いころは22年間休みなしで毎日、早朝に通いましてん。参道筋の階段をたーっと上ってお参りして、下りてきてちょうど1時間。お大師さんいう人はあちこち回って、洞窟にも入りはってものすごい大修行をしてはるでしょ。せやからご利益も大きいんですわ」。明子さんが語る弘法大師への尊敬の念は、千年も前の人にではなく、見知った人に抱くような親近感を伴っているように思える。奈良県内はもとより、今もさまざまな形で全国に残るオダイシサンへの信仰心は、そのような親近感から生まれるのかもしれない。
百年前に出来たばかりの新しい道に集ってきた人々の中に、聖天さんや氏神である往馬大社への信仰だけでなく、弘法大師信仰がしっかりと根付いていたことは、くらしと信仰を思うとき、興味深い。

(しゃく・ねこ 歌人、ささぶね編集工房)奈良新聞2012年12月7日掲載
【2013/01/27 23:51】 | なら民俗通信 & 記事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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