「それは芸術か」 短歌人2013.3月号 スピーチタイム〈2〉
またまたブログ更新までエネルギーが届いておらないシャクですm(_ _)m・・・

で、今までアップしていなかったものを、
順次アップしていきながら、
調子つけようかなという按配です(^-^;

短歌人の「スピーチタイム」に今年書かせてもらっている
「それは○○か」シリーズ?(勝手にシリーズ化しただけです)
1回目「それは自明か」のあとほったらかしになっておりました…。
連載は5回まで終わってあと1回。まとまるんか…まとめられるんか、シャク。。。

それでは第2回をば。

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「それは芸術か」
          勺 禰子(しゃく・ねこ)
          「短歌人」2013年3月号 スピーチタイム
     
1月号より続く)

老舗うどんすき店でチューハイをがぶがぶ飲みながら
短歌なんてただの〈日記の垂れ流し〉でしょっ」と叫んだ女社長
(老後は脚本家志望)の次の言葉が気になっていた。

「絵画や詩なら不遇のまま死んでも後世に再評価されるかもしれない。
でも同時代人に共感してもらえないような短歌が日の目を見ることは
未来永劫ありえないわよ」。

絵画は措くとして、詩が気になる。
なぜ詩は理解され短歌は理解されないのか。
そんな「思い込みの垂れ流し」には、
他の三人のように大人の微笑を返しておけばいいのか。

「二度とこの女社長に短歌の話はすまい。
そもそも、人はみんな全く違う要素でできた岩盤の上で暮らしていて、
岩盤と岩盤の間には相互理解を阻む深淵という無底の闇が広がっていると、
そのむかし哲学特殊講義で学んだではないか。
いや、相対主義を持ち出して納得している場合ではない。
なぜ詩はよくて歌はダメなのか。微笑んでる場合ではない」。

こてこてになった出汁を飲みながらSNは思う。
思いはしたがあれから二年。
こうして人はやり残したものを抱えて死んでいく…。が、
最近、坂口安吾の「第二芸術論について」に
興味深いヒントが書かれていることに気付いたのは天啓だった。

安吾は、作品の出来栄えを一流二流というのはわかるが、
詩形そのものを第二などと格付けるのはおかしく、
短歌も俳句も芸術であり詩なのだと言う。
しかし日本では、俳句だけを作る俳人、短歌だけを作る歌人、
「型を知るだけで詩の本質を解さず、本当の詩魂をもたない、
つまり芸術家ではない」俳人や歌人の名人達人諸先生がいるばかり
というだけの話なのだ
、と結んでいる。

「うどんすき事件」から安吾の文に触れ得たのは収穫だったが、
自明であるはずの三十一音の存在意義は…。

5月号へ続く)
【2013/09/06 10:52】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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