生駒あるくみるきく【9】 百年目の道普請
ひき続いてアップいたします。
2013年7月掲載分です。

△ikoma-aruku・miru・kiku----------------------------
 生駒あるくみるきく【9】 百年目の道普請    勺 禰子
-----------------------------------------sasabune△

仲之町 
昭和20~30年頃の仲之町。
左は参詣者の接待所、子どもたちはこの道でスキー遊びもした。(撿保照生さん提供)


■大正十二年の道普請
生駒駅から宝山寺へ伸びる参道のうち、仲之町の辺りには、今も所どころ大正時代の敷石や石段が残っている。冬でも勢いよく歩けば汗ばむ階段沿いには、赤い鳥居の鮮やかな熊鷹神社がある。門前町との境、大石段下の植え込みにはひっそりと「道路開通記念」の石碑があり、発起人10名、請負人1名の名前と「大正十二年六月竣成」の文字が、勢いのある書体で彫られている。
「道は大正3年に出来て、これは推測やけど、きちんと石段になったのはこの道普請をした大正12年とちがうかと思うんです」と言うのは、記念碑の発起人に名前を連ねる撿保(けんぽ)安治郎さんの孫の撿保照生さん(昭和9年生)。参道は「新道」と呼ばれ、駅から宝山寺まで一丁ごとに十三の丁石が建てられていた。山崎町から訪ねてくるおばさんは、今は紛失してしまった四丁の丁石付近のことを、「新道四丁目」と呼んでいたそうだ。幼稚園のころ仲之町へ越してきた徳田宗一さん(昭和20年生)は、近所のおばあさんから、お嫁入りしてきたとき新道は地道で、自動車が走っていたと聞いたことがある。
今から99年前の大正3年、上本町奈良間に大阪電気軌道が開通して生駒駅が出来た。信者らの寄進で駅から宝山寺まで開かれた新参詣道は、人の往来を糧に、まるで道自体が生命をはらむかのように、ぐんぐんと発展したのだろう。建ち並ぶ旅館や茶店の中には、日本最初の映画スター「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助(大正15年没)の別荘もあったという。道普請に至った経緯や、たずさわった人々の範囲の詳細は不明だが、参詣道として出発した道が住人の手によって拡張・補強され、立派な記念碑をつくるほどに、道はそれぞれにとってかけがえのないものになっていたに違いない。

■お梅ちゃん・スキー・神輿
「大阪で材木を扱っている人の別荘前に、宝山寺の接待所があってね、参詣の人が休めるように無料のお茶を用意してたんや。黒い床几がいっぱい置いてあって、ちょっと気の弱いお梅ちゃんという女中さんが番をしてたなぁ」と撿保さんが言うと「空家になってからは卓球して遊んだなあ」と徳田さん。
「昔はお茶屋遊びのことを『ちょっと新道行ってくるわ』と言うくらい、ここは花街としても発展してね。吉原の大通り仲之町が町名の由来とも聞くね。新道が賑わってたのは昭和25年くらいまでかなぁ。枚岡(現東大阪市)の伸線業者がお客さん連れてきたわけ。尺遊びと言うて百円札を一尺(約30センチ)積んで一晩で使こたくらい儲かってたらしいで」と教えてくれたのは俵口育ちの取桝(とります)正一さん(昭和15年生)。
「この小さな仲之町に昔は四軒の旅館がありました。隣の軽井沢町一帯は松茸山で、秋は山を借りてロープを張って、お客さんに松茸狩りをしてもらいました」というのは、生家が旅館をしていた山中幸男さん(昭和18年生)。道普請の碑には、生駒小学校の校長だった祖父・豊太郎さんの名前もある。
「うちの祖父は芸妓さんや女中さんの着物の洗い張りをしてたんですわ」というのは、唐崎勝さん(昭和14年生)。積もりそうな雪の日は、朝から竹を割り火であぶって先を曲げ、参道の石で節をこすってスキーをした。道が敷き固められカチカチになったので、大人たちにひどく怒られたが楽しい思い出だ。
 昭和22年頃には新憲法公布を祝って、博多の祇園山笠のような神輿を作ったという。復員した人たちが担ぎ、二日間練り歩いてまわった。

■百年目の道普請
道普請のときに参道に移されたらしい熊鷹神社は、平成15年に老朽化で銅版の屋根に葺き替えられた。ほぼ一世紀この町の春夏秋冬を見てきた桜と紅葉の並木も病気にかかっていた。石段の劣化もここにくらす人たちには問題だった。この秋から参道の改修工事が始まる。
「仲之町の総意として市と話し合いを重ね、今ある石もできるだけ再利用する改修になる予定です」と言うのは現自治会長の木村茂さん(昭和16年生)。昭和40年代にこの町の住人になった清原卓さん(昭和13年生)も改修のための調査の光景を記録している。木村会長は「今は仲之町のナカは仲良しの仲と言うてます。参道は仲之町だけじゃなくて生駒の顔です。お参りする人もハイカーも、ここを歩いて『生駒てええところやな』と思ってもらいたい」。
落ち着いた住宅地となった参道筋に、かつての花街としての賑わいはない。昔に戻せばいいわけでもない。その時々の思いで、道は大切に扱われてきた。それぞれの時代の、それぞれの記憶をつないでいくとき、蓄えられてきた思いがあふれるように、にわかに参道がハレの空気をまとい出すように思うのは気のせいだろうか。

(しゃく・ねこ 歌人、ささぶね編集工房)奈良新聞2013年7月5日掲載
【2013/10/15 20:55】 | なら民俗通信 & 記事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<生駒あるくみるきく【10】 参道の新たなにぎわい | ホーム | 生駒あるくみるきく【8】 新道の子として>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://chipoo.blog84.fc2.com/tb.php/816-021a8f4b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |