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生駒あるくみるきく【10】 参道の新たなにぎわい
ながらくアップしていなかった「生駒あるくみるきく」。
やっとこ追いついて2013年10月掲載分です。

このような連載を書くなんて、
正直自分でも思ってもみませんでした。
偶然が偶然を呼んだここ数年、
それらをしずかに辿ってみれば、
何となく偶然とは言い切れないつながりを持っていて、
私に何をすればいいのか教えてくれているような気がします。
そして、たくさんのうれしいつながりをいただいています。

残念なできごともあったのも事実です。
生駒市広報課の女性から、
非常に身勝手な方法で情報を聞き出され、
まさしく「恩を仇で返される」ようなこともありました。
この件についてはいずれきちんとした形にしたいと思いますが
そのほか感じた官民の問題をあわせ(官を燗としか変換しない我がPC 苦笑)
下記の一首として記憶しておきます。

「協働」といふ通り魔になぶられて市民としても書き手としても 禰子

とまれ、来年は奈良大阪が飛躍的に短時間で結ばれて100年、
生駒駅ができて宝山寺への新参道ができて100年です。
新たなにぎわいのために活動されている方がたくさんおられます。
いろんな形の応援の仕方があると思います。
私も引き続きこの道の来し方行く末を、
自分の自然なポジションから見守っていきたいと思います。

△ikoma-aruku・miru・kiku----------------------------
 生駒あるくみるきく【10】 参道の新たなにぎわい  勺 禰子
-----------------------------------------sasabune△


新参道
万燈会でにぎわう宝山寺参道筋。
今年は生駒駅から灯りがつながった。(2013年9月23日)


■参道に気づく
「生駒あるくみるきく」を書きはじめたきっかけは、一昨年の初夏にたまたまみつけた小さな道標だった。少しさびれた商店街から伸びる坂道に点在する道標は、下部分がコンクリートに埋まっていたり、電柱の陰にかくれてゴミの集積所になってしまって、お世辞にも大切に扱われていると思えなかったが、ここが何か重要な道だったと思わせるに十分だった。道の入口にある「いらっしゃいませ参道筋」という街灯と方角から、宝山寺へ続く参道とその丁石だろうことは予測できたが、生駒駅改札前の大きな案内地図には「参道」の「さ」の字も見当たらない。地元の人に尋ねると、「昔は芸妓さんがいて旅館がたくさんありました。そこのマンションも向かいの家も昔は旅館やったんですよ」という予想以上の答えが返ってきた。片鱗を探すと駅の南側ロータリーの真ん中にごく控えめに佇む「宝山寺 大鳥居跡」という石碑をみつけた。隣接するケーブル駅の名前が鳥居も無いのに「鳥居前」である理由がそれでやっとわかった。(大変残念なことにその後「二丁」の丁石は折れ、撤去された)。

■参道を調べる
生駒に土地勘のなかった私は、早速知人から「生駒市誌」を借りて読んでみた。それでこの道が大正3年の大軌(現近鉄)開通時に新しく敷設された宝山寺への「新参道」であること、参詣者やお茶屋遊びの人で大層賑わい、一時期はそれが生駒の主要産業であったことなどを知った。昭和57年の駅前開発の際に生駒山の中腹にある宝山寺惣門前に移設されるまで、大鳥居は生駒駅を降りるとまず目に入った「生駒のシンボル」だったに違いない。駅前の大鳥居を潜ることで、来訪者は宝山寺へ至る別世界に入る。それが徐々に様変わりしたのは、風営法の改正や高度成長期など時代の変遷だけでなく、生駒自身が大阪の通勤圏としてベッドタウンになることを望んだ結果に思えてならない。大鳥居がなくなってしまい、駅から続く参道は当初の使命を終えてしまったのだと思う。

■参道をあるくみるきく
それはともかく、まだ華やかだった参道を知る人は存命のはずだと気づき、その年の秋から参道筋にくらす人たちを訪ねて歩いた。
ほとんどが突然の訪問だったにもかかわらず、いろんな話をしてくださった。連載の一回目から順に、仕事をしていると芸妓たちの三味線の音色が聞こえてきたという宮野さん、参道が出来て間もなく創業した酒屋の楠下さん、半月も続く盆踊りなど普段のくらしぶりを教えてくれた阪本さん、100年前の生駒トンネル事故の犠牲者を今も手厚く祀っている姜住職、戦前から旅館を切り盛りしてきた谷内さん、生駒大師堂を守ってきた山上さん、地域の人に愛されるお地蔵さまとそれを守り続ける山崎新町の人々、新道の子として道の盛衰を見てきた芳野さん、代々道普請に参加してきた仲之町の人々のほか、見ず知らずの私に貴重な話を聞かせてくださったたくさんの方々。
参道に関する記憶は決して忘れ去られたわけではなく、語る機会のないまま一人一人のなかに眠っていただけなのだった。お話を伺いながら、それぞれの方々の人生がこの参道を媒体に、時間を超えたつながりを持っているという感覚を覚えた。

■地元でにぎわう新たな参道
今年8月の生駒市広報の巻頭は「あの頃の賑わいを再び」と題した宝山寺参道の特集だった。歴史や新しい取り組みを意欲的に紹介していたが、「あの頃の賑わいを再び」とは、参詣者だけでなくお茶屋、置屋、芸妓に旦那衆といった「あの頃の生業」の復活と奨励を意味する。確かに生駒を発展させた重要な文化の一つだが、市の広報誌が発信する今後の展望としては軽率と言わざるを得ない。
一方、「宝山寺参道新たな賑わい活性化プロジェクト」等、参道の「新たな賑わい」への模索が活発だ。生駒聖天さんどう会や万燈会実行委員会が宝山寺の彼岸法要に合わせて行うイベントは年々広がりを見せ、ついに今年9月23日には生駒駅前から参道のすべてに灯りがともった。
市外からの観光客も重要で実際に人数も多かったと思うが、灯籠に絵を描き、道に並べ、一つひとつにろうそくをともした地元の人々の参加が、参道の新たな賑わいを作り出していた。自作の灯籠を探し心躍らせて一段一段階段を登った子どもたちが、時代の変遷を超えてここにある参道を新たに踏み固めている。こうした行事の中で道の来し方行く末を肌で感じることができれば、道にも人にも幸せなことだ。来年は生駒駅が出来て百年、新たな賑わいによる「観光生駒」は、地元の人たちの参道への愛着から再生を始めている。私も自分が出来る方法で、あるいてみてきいて、少しでもたくさんのこの道の記憶をつないでいきたいと思う。

(しゃく・ねこ 歌人、ささぶね編集工房)奈良新聞2013年10月4日掲載
【2013/10/15 21:41】 | なら民俗通信 & 記事 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
10回も大変でしたね。この地域の人も初めて客体となって驚いたことでしょう。こうした流れから発展して、他人の視線も交えながら、これからのこの土地のあり方が、自発的に次第に話題になってくるものと思います。あなたにも、土地にもいい出会いだったのですね。
【2013/10/15 23:19】 URL | 三郎 #-[ 編集] | page top↑
■三郎さん

ご無沙汰してます。ありがとうございます。どうにかこうにか10回書くことができました。相方さんに叱咤激励してもらったおかげです(^-^; それにしても生駒との出会いは今生の縁だけではないようにどうも思ってしまいます。考えすぎなのでしょうけれど、土地にもいい出会い、と言ってくださったので、人間よりも命の長い土地や道が、このご縁をくださったのだなあと改めて思っています。
【2013/10/22 00:48】 URL | 禰子 #xNtCea2Y[ 編集] | page top↑
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