「修辞しかない」 短歌人2014年4月号 <三角点>より
またまた詠草しかアップしない日が続いております。
短歌人誌には詠草もたっぷりで
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別に詠草があり、ほかにも
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や、時期によって
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読み物コーナーも多く、
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のほか、春と秋には大型特集があります。

自主的に投稿するときもあれば、
依頼のあるときもあります。

そして短歌人のモットーは
・第一、会費を納入すること。
・第二、作品を書くこと。
・第三、出来る範囲でいいですから、
 会の運営のため何らかの手助けを心掛けていただくこと。であるからして、
依頼をいただいたらどんなに仕事が溜まってても引き受けねばなりません(^-^;

というわけで4月号の三角点に掲載のやや苦し紛れな
「修辞しかない」 をどうぞ(^-^;

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「修辞しかない」             勺 禰子(しゃく・ねこ)

初句から四句目までが結句にかかっている歌が歌会で出されたとき、
必ずと言っていいほど「重たすぎる」という批評が出る。
いわゆるレトリックと思えば
二十四音が七音に乗っかる構造は確かに重たい。
重たすぎるという批評の中には「執念し」
と言った意味も含まれているかもしれない。

「修辞」を電子辞書(広辞苑)で引くと
「ことばを有効適切に用い、もしくは修飾的な語句を巧みに用いて、
表現すること。また、その技術」とある。
「有効適切」でありながら「修飾的な語句」を「巧み」に用いる
というあたりが矛盾を生み出すのだろう。

修辞なくして短歌は成立しないと思うとき、
修辞は前半の意「有効適切」なことばである。
けれど後半部分がクローズアップされれば、
修辞はなんとなく軽薄なことばになる。

修辞への理解は、詠み手と読み手でも変わるように思う。詠み手は大抵の場合
「有効適切」と信じて三十一音をつくりあげるのだから、
結句にすべてが掛かってゆく構成の歌であっても「重すぎる」とは思わない。
重すぎるどころか愛着のある一首にさえなりうるだろう。
反対に読み手にはそこまでの愛着がない。「修飾的」「巧み」であると感じ、
実際上手くいっていなければ「小手先」の印象さえ抱くかもしれない。

ここで古今東西の歌で検討できればいいのだが、あいにく歌を知らなすぎる上に
最近は詠むことも読むこともままならない(短歌心も貧すれば鈍する)のを棚に上げ、
やむを得ず短歌人に入ったころの自作の歌を引っ張り出してみた。
すると私は五句まで引っ張るのが好きな性分だということが
おぼろげながら見えてくる(こんなこと書いているのだから当たり前かも)。

その中で突っ走っていた一首があったので恐縮しつつ引かせていただく。
これは実は四句目どころか、初句から結句の終りまで、最初から最後まで修辞で、
その修飾されることばの手前で終わっている。
結局修辞しかなかった…というのは、
人生にちょっと似ていなくもない、と思いませんか。

「この雨と湿気を吸ひし十津川の黒き森育つやうに止まらぬ」

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「短歌人」2014年4月号<三角点>より



【2014/04/28 23:06】 | 短歌人誌 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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