天辻峠
『峠道 草が覆ってけものみち 今はしずかに眠る坂道』 禰子

十津川の手前、今は五條市に含まれてしまった大塔村に天辻はある。
冬、十津川に行くのに、このあたりがいちばん凍っていて、
うねうねと道がつづいている。
天誅組がことをおこしたとき、五條の奥の陣地があった場所が、
道の駅の北東側の山の上にあるというので細い道をのぼってゆく。
方向転換もままならない道をやっとのぼりきったところに、4~5件の長屋風家屋があり、その奥のお堂に隣接して、平成17年に整備されたばかりの「維新歴史公園」があった。石碑やら歌碑やらがごろごろしているが、どれもネットと鍵付き扉で仕切られている。歌碑の前のベンチにも行けないのか!?
よく見ると、「鹿防御ネット」だった・・・。
お堂は「天辻地蔵尊堂」。
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この石の方の小さいお地蔵さまは、和歌山県境にいたのに、「天辻へ連れて行っておくれ」とわざわざ所望されて、こちらへやってきたそうだ。木の方の地蔵さまは、天川村で弘法大師が阿弥陀如来・不動尊・地蔵尊三体を刻み「お好きなところへ」と言ったところ、地蔵尊が「天辻へ」と言ってやってきたそうだ。
「地蔵」という名の下に天辻にやってきたのは何なのか。
やって来たものと引きかえに人が明け渡したものは何なのか。
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弘法大師(や行基菩薩)は、巨大公共事業を取り仕切っていたドン。
「地蔵」は「役人」として各事業所(ここでは天辻)に派遣される。
山にへばりついて生きてきた人に、「地蔵」はいろいろなものを与えてくれる。
辺境の地には、魂を売ってしまいたいくらいの、
精神面・物質面ギリギリの生活がある。
さらに奥には6~7件の廃屋、廃屋のさらに奥にはなぜが豪邸があった。
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幾重にもつらなった山の向こうのまつりごとに馳せる思いの強さ。
国へのゆがんだ想い。
幕府終焉の臭いを嗅ぎつけて急場でこしらえたものではない。
「日本」の精神構造は、山(鄙)と都を底に据えることでなんとか成り立っているのではないかとさえ思う。

テーマ:奈良 - ジャンル:地域情報

【2006/12/08 01:13】 | ディープ奈良 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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コメント
いまこの現実がこうしていつかは過去になる。誰かがその足跡に思いをよせる。記録がこうして残っていく。昔は仏像いまはブログ。


友達の旦那がパチンコ依存症にはまっているという。嫁がうつ病になる。ぼくの病気は一生治らない。お金に悩み、健康に悩み、人間関係に悩む。解決方法は見つからない。


しかしそれでも明日はくる。そして呼吸し生きる。
【2006/12/12 22:18】 URL | 加速装置(もりたです!) #-[ 編集] | page top↑
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